山陽(中国)街道
大阪へから西へ向う場合、脇街道の「中国街道」を通ることになる。この道は京都から太宰府へ通じていた、「山陽道」を踏襲して決定されたといわれる。古代の山陽道は七道の内、唯一の大道であった。しかしその後衰退し、江戸時代においては、五街道の中には含まれず、主要な脇街道の扱いをされることにすぎなくなり、大阪、高麗橋から出発し、尼崎を第一の宿場として、下関から北九州市門司区の大里を終点とする、51次約489kmの路線を「中国路」(五駅便覧)として正式に定められた。
山陽道は元々大阪を通っておらず、京都から西宮へ向う路線は「西国街道」とか「山崎道」と呼ばれ、西宮から下関までを「山陽街道(路)」と呼ぶ説が多い。また京都から下関まで全体を「西国街道」と呼ぶ例も見られます。
大阪から下関まで向うので、「中国街道(路)」と呼ばなければいけないのであるが、大阪以西は山陽の言葉が定着し、中国路の名称はあまり一般的ではないと思われるので、「山陽(中国)街道」の名称を用いることにしました。大阪までは東海道57次で歩き終り、大里まで行くと、江戸から九州まで繋がることになります。できたら太宰府まで行けたら良いと思います。
資料
「太陽コレクション地図 京都・大阪・山陽道」(平凡社)
「山陽路四十八次」(中国新聞社)
「歴史の道調査報告書 山陽道(西国街道)」(兵庫県、岡山県、山口県)外 |