街道から左へ入って、国道2号の左手に称名寺がある。ここは、加古川城跡といわれ、「糟谷有数」が源頼朝よりこの地を与えられ、寿永3年(1184)に築城されたという。その後関ヶ原の合戦では西軍についたため、領地没収の上、廃城となった。跡地に称名寺が建っている。
境内に●文政3年(1820)建立の七騎供養塔がある。南北朝時代正平5年(1350)、塩治高貞が讒言により、京都を追われて、出雲に落ちていく途中、足利尊氏の軍勢に米田町船頭付近で追いつかれ、主人を討たせまいと激しく戦った忠臣七騎が全員討ち死にしたという。七人塚が加古川向うの船頭地区にあったが、洪水で流された。 街道は、加古川にぶつかった。加古川は昔は渡船によっていた。現在は勿論●加古川橋を渡ります。 9:35 |