山陽(中国)街道を歩く 15
         (尾道から本郷)
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 尾道駅-東元町-大人峠-糸崎神社-三原-梅観橋-淀屋大橋-納所橋-本郷     24.1km     
 

■尾道駅~日小橋東詰
 2012年9月29日(土)  
 新幹線を乗継いで尾道駅9時14分到着 2泊3日の予定で、広島駅まで行きたいと思っている。早速街道歩きを再開する。台風17号が本日沖縄付近にあり、天気が少し心配。
 ●辻堂踏切を渡って、駅、北側に出て左折して進む。この先は県内の山陽道のHPを各種参照して、「尾道七曲り」を行くべきかと思い、(「西国街道を行くhttp://www.c-haus.or.jp/kaidou/020onomitiitozaki.htm)のHP内の地図を印刷して持ってきた。 三軒家に入ると、情緒ある家並みが続き、右手には●創業安政元年(1854)の「吉源酒造場」がある。その先を左折して、イオンの脇を通り、真っ直ぐ進むと●「日小橋東詰交差点」に突き当たり、栗原川を渡る。 正面は日比崎小学校  9:35

 ■日小橋東詰~東手崎公民館
 その先は、日比崎小学校の●脇の石段を上がるのが旧道という。
 この石段を登り切ってしまうと、墓地に入ってしまうので、途中で石段をそれて、●校庭の端を通らなくてはいけない。校庭の向こうに道が続いている。セキュリティー上からはおかしな構造とは思う。
 校庭の西の出口から出て、道なりに右に左に坂を下りて行く。このあたりが「七曲り」というのだろうか。左手の空地の先を右折して、とても街道とは思えないような民家の塀越しの所を進み、「天理教」の建物の南側をぐるっと、巡って行くと、●美容室の脇に出た。人しか通れないような路地である。       10:00

■東手崎公民館~東元町
 
●尾道の旧道を進んで行く。けっこう趣のある旧家が建っている。右側は山になっていて、山裾を進んで行く。
 山肌をうがって、いくつかの●地蔵堂や地蔵が立っている。尾道バイパスを越えて、右に曲がって、●東元町に入った。 10:15

■東元町~大人峠 
 右手に吉和小学校があり、その横には茶堂大師がある。郵便局を過ぎて、左手に鳥居があり、ずーっと奥に入って行くと八幡神社があった。景色がとても良く、眼下に●瀬戸内の景色が広がっている。右奥に、因島大橋も見える。
 まもなく尾道バイパスの陸橋にさしかかり、橋を渡って左折する。右手に●「大人峠一里塚跡」の新しい石標がある。この先は●緩やかな下り坂を進む。大人峠という名前から想像されるほど大した峠ではなくて良かった。  10:42

■大人峠~糸崎神社
 バイパスに沿った田畑道を行く。途中●両側が石垣の所なども進み、●「木原踏切」を通過した。 渡ってから100m程度国道を進み、左斜めに入って行く。木原4丁目という所。海岸沿いの集落内をしばらく歩いて、木原町内畠」信号の国道に合流した。250m位国道を行くが、右手に●厳島神社の常夜燈が見える。参道はJRの線路に見事に分断されていて、国道側からは参拝が不可能である。   11:11

 その先で、●国道2号を左斜めに入って行く。案内板もなにもないので、こんな所が山陽道だとは誰も気づかないだろうと思う。 途中で化学会社の建物に邪魔されているので、多少の迂回をしていく必要がある。
 やがて「観音寺下」信号で再び国道に合流した。旧道は、まっすぐ国道2号を横切って北側に出るが、その前に右手高台にある「観音寺」に寄ってみることにした。JRの踏切を渡り、急坂道を上がって行く。えらい急坂で、いささか息が切れた。広島県の山陽道の神社、仏寺は山の中腹などにあるのが多いので大変な感じ。
 さすがに境内からの風景は全面に瀬戸内の眺望が開け、大変に見事。写真はパノラマでないと撮るのが難しい。境内に●石造の五重塔がある。広島、小早川家の庶流、沼田小早川家の相続争いの中で殺害された、重臣「田坂義詮子頼賀の墓という。 国道に戻り、右斜め前方に入って行く。右手山陽線のガードの入口に●「鉢ケ峯 虚空蔵 一粁五〇〇米」と刻まれた、半分埋れた道標がある。   11:40

■糸崎神社~糸崎7丁目
 その後は山と●瀬戸内海に夾まれた細い国道を海に沿って進んでいく。この辺りの海には、「たくろう火」の伝説がある。昔、このあたりに2つの火が並んで現れ、非業の死を遂げた2人の女の霊がくろう火になったといわれるそうな。 「糸崎神社東」バス停の先の二叉を右に行くと、「六本松一里塚跡」碑がある。その先に●糸碕神社がある。神功皇后が西征の帰途、船を寄せられた際に水を献じたという故事によって、天平元年(729年)創建された。神門は、三原城内にあった侍屋敷門の一つが移設されており、境内には、樹齢約500年の●巨大なクスノキがある。特に根元の2mにも及ぶ根本の肥大が著しいのが特徴となっている。    12:25

 神社を出て、国道の高架の右側を行くと、右手に●松の木と祠があり、神功皇后が西行の途中、この地に立ち寄った時に、船をつないだ松といわれている。
 国道の高架をくぐり、高架の左側に出る。右手に●井戸と地蔵堂があるが、特に説明がないので何だかよくわからない。 ●左の公園の脇を左折して、また右折して行くのが旧道で、忠実にたどって行く。正面の陸橋を上がって、JRの線路を越えて、JRの北側に出た。
 12:38

■糸崎7丁目~熊野神社
 ●「JR糸崎駅」前を通過した。再び国道と合流、三菱病院前を過ぎて、左手のガソリンスタンドの所を左折して行くと、右手に金重稲荷がある。しょぼい祠である。
 山陽本線の東町踏切を渡る。国道の高架の先に●三原城東惣門跡の石碑が立っている。 左手の旧道を行くと、昔ながらの町並が続いている。右手に大師堂があり、JR、新幹線と過ぎると、道が広くなって左に曲がって続いている。 その曲がり角の右手に●熊野神社がある。参道の石段をやっと上がって行くと、あまりきれいではない拝殿、本殿があった。籠怒(かごぬ)神社が正式名称のようで、案内板には、元和五年(1619)、紀伊より浅野忠吉公が三原城主として入府されたとき、その水手(さきて)等が熊野新宮速玉大社の御分霊を勧請したとある。   13:15

■熊野神社~極楽寺
 
熊野神社の北隣に極楽寺があり、三重の塔が珍しかったので寄ってみた。 極楽寺は嘉禎3年(1237年)の創建で浄土宗。2度移転している
 ●山門は明治11年、三原市の奉行所の門を移築したもの。また、奉行所の以前には新高山城という城の城門だったのだという。●本堂は江戸中期の建物で、向拝を設けない簡素な造りであり,全体的に素朴な構成で統一されている。背面屋根の錣葺(しころぶき)は広島県の近世寺社建築の特徴の1つだという。
 境内の左側に見える●三重の塔は極楽寺のものではなく、隣の松寿寺のものだそうだ。どうりで極楽寺の案内では何も書いていないかったか納得。 敷地が隣合っていて、わからなかった。塔自体は明らかに最近のものと思う。  13:25    

 ■極楽寺~三原城
 
街道に戻り、広い道を三原駅へ向う。左手に蔵元、●酔心山根本店の藏造の大きな建物が建っている。創業は万延元年で「横山大観」が終生愛飲したお酒として有名だそう。
 右手には●善教寺がある。伊能忠敬の観測地点という石碑がある。 その隣の酒屋さんは、●旧三原宿本陣跡といわれる。   13:40

  24 三原宿
  三原は小早川隆景が永禄10年(1567)に三原城を築いて以来、福島、浅野と城主は変ったが、城下町として繁栄してきた。山陽道の宿駅でもあったが、城下町であるので、参勤交代の大名や一般旅人は宿泊をさけて、休憩程度の利用だったようである。本陣としては山科屋などの町屋が利用されてた。

■三原城~甲山通交差点
 神明大橋を渡って、「三原小前バス停」まで来ると、角に「三原城東大手門跡」の石碑がある。
 左手は三原城と石垣で、●史跡三原城跡である。見事に三原駅が城跡をつらぬいて、北側少ししか残っていない。戦国時代に小早川隆景が海に向って築いた城で、満潮時はあたかも海に浮かんでいるように見えたので浮城と呼ばれた。
 天守台跡には、三原駅構内から行くようになっている。駅構内の北側に国指定史跡三原城絵図がある。海に突出て築かれているのがよくわかる。堀を巡って行くと駅前に●小早川隆景の銅像が建っている。    14:00

 旧道は駅前から●「本町1丁目」を通って西へまっすぐ続いている。千本格子など備えた民家がちらほらと見えた。
 県道手前を右手、奥に入って行くと、●宗光寺の山門が見えてくる。参道右手に「吉田石痴墓」と書かれた案内板がある。 幕末に三原地方の人々に種痘を施した人物で、山陽道で初めてという。 宗光寺の山門は、小早川隆景が本郷に築いた新高山城の城門で、隆景によって当寺に移設されたと伝えられ、国重要文化財に指定されている。外に七層石塔婆がある。 14:10

■甲山通交差点~梅観橋
 旧道に戻って来て西に向かう。右手に順勝寺がある。●山門は、三原城内にあった御作事奉行所門を明治10年に移設したもの。築城当時の建築物が当時の状況を保存してあるものが非常に少なく貴重である。
 道は郵便局の所で左折して行くが、郵便局の前に「三原城西惣門跡」の石標がある。右に上がって行くと三原八幡宮がある。石段がきついのでここはパスした。 「宮浦橋」を渡らず、手前を右折して行く。しばらく進んで行くと、右手奥へ石段を上がって●「八坂神社」があるが、ここも石段が続き、パスした。ほんとにこのあたりの神社や寺は石段を相当上がって行かないといけないので大変だ。    14:35

 ■梅観橋~淀屋大橋北詰
 
八坂神社の先を左折し梅観橋を渡る。国道2号線のバイパスへ近づき、その後バイパスに沿って南下して行く。 ●山陽新幹線と山陽本線のあたりは複雑に交叉しているが、あくまで真っ直ぐ進み、「頼兼公園」の所を左折、すぐ右折して行くと左手に、「宮浦中学校」がある。その先正面、高台に「県立広島大学三原キャンパス」が見えてくる。●大学の前は、備後と安藝の国境に当り、道の両側に●国境石がある。右の国境石には「従是東 備後國 従是西 安藝國」と刻まれ、左の国境石は、ほとんど読めないが、「是より東備後国御調郡西野町 是より西安芸国豊田郡長谷町」と書かれているらしい。15:00

■淀屋大橋北詰~長谷橋
 ●淀屋大橋手前を右折して、しばらく国道を行く。
 三原バイパスの高架をくぐり、市内は左へという表示があるが、そのまま右方向へ進み、一つ目の道を左折して真っ直ぐ進む。このあたりは区画整理がされており、旧道は所々で消えていると思われる。「関西住建」、「福山通運」の所を通過して、「「新倉」信号で国道2号と合流した。
 七宝橋の先で右折して「伯母ヶ崎第一踏切」を渡った。そのままJRに沿って直進して行くと、●稲掛けしてあるのが見えた。乾燥機を使うので、最近はこういうのをあまり見ないので、珍しいと思った。  15:50

 ■長谷橋~納所橋
 ●「長谷宮第5踏切」を渡る。踏切の先は、階段になっていて、上ると、国道2号に出、長谷橋を渡って行く。「本市橋」の手前を右折して。●土手道を仏通寺川に沿って歩いて行く。再び、国道に合流して進むと、「三原市本郷町」の看板が見えた。●納所橋の交差点、右手に、●「川向米山寺道」と刻まれた石柱がある。米山寺は小早川家菩提寺であり、歴代の墓がある寺であるが、片道2km位あるので、寄るのはとても無理。16:45

■納所橋~本郷駅
 納所橋の交差点から150m位の所から土手を降りて行くと、右手に●明和7年(1770)の大きな地蔵尊がある。
 いよいよ本日のゴールも間近。
 右手にあるコンビニでおやつなど仕入れ、本郷駅へ繋がる道の右手に●西念寺がある。浄土真宗本願寺派のお寺で、結構立派なお寺である。
 時間もきたので、本日はここまでとして、駅に向う。  17:10

 宿泊する前に、線路の北側にある、●御茶屋本陣跡を訪ねておいた。
 何も表示がないのでわかりにくいが、医院の隣の門のある旧家がそう。広島藩は宿駅を指定するにあたり、本陣を造らず、茶屋を造り、必要に応じて、参勤交代の大名や幕府役人の宿にあてていたといわれる。
 ●JR山陽本線「本郷駅」。宿泊は駅前の「本郷グランドホテル」。名前の割に2食付、民宿並の料金ですんだ。 17:20

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