■友待橋~飢坂
一旦国道と接して、すぐの「友待橋」信号を斜め左に入って行く。ここから本格的に旧道に入るが、手前でオーバーズボンなど付けていたら、ごみ集積場のそばにあるという、「時友一里塚跡」碑を見落した。
旧道に入り、黒瀬川に架かる時友橋を渡ると、●田園風景になってきた。左手に祠がある。上り坂になり、住宅地の間を抜けると、右手に「飢坂」と書かれた案内標識があり、●飢坂に入って行く。
最初は舗装道路だが、そのうち土の坂道となった。飢坂の名前の由来は二つあり、江戸時代、飢饉の時に、ここで多くの人が飢えで力尽き亡くなったことからこの地名になったという伝説と、昔、牛を救って長者となった牛満長者は、助実の歌謡坂)から朝早く田植を始め、昼に浜田まで仕上げ、夕方に当地に達したところで、空腹となり飢坂(カツエザカ)の地名がおこったというもの。
左右の池の間の道を抜けると、再び●林間の山道になった。このあたりが頂上らしい。雨で濡れているが、問題はない。9:35 |