伊勢本街道を歩く 2 
  (山粕東口~伊勢奥津駅)
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 山粕東口バス停-鞍取峠-桃俣-土屋原-御杖小学校-菅野-佐田峠-岩坂峠-石名原-興津駅       18.7km

伊勢本街道
 伊勢本街道は、榛原で初瀬(青越え)街道と分岐し、高井、山粕、興津、多気、田丸を通って伊勢市の筋向橋で伊勢参宮街道と合流し,内宮へ向う街道です。  関西方面から伊勢への最短距離なので、厳しい峠越えがあるものの、大いに利用されたが、峠小江の少ない初瀬街道を利用する参拝者が増加し、この本街道は次第に廃れていくようになっていった。距離は榛原から筋向橋まで84km程度、内宮までは90km程度。筋向橋から内宮までは歩き終っているので、ここでは榛原から筋向橋まで歩きます。 
         今回はその2回目で 山粕東口~伊勢奥津駅までを扱います。 

■山粕東口バス停~鞍取峠 ※ 写真をクリックすると拡大します
2012年10月14日 榛原駅10時12分発の奈良交通バスにより、11時前に山粕東口バス停に到着した。その前バスは8時9分であり、とても間に合わなかったので、こんな時間になってしまった。今日は伊勢奥津駅まで、17時21分発の連絡バスに乗るつもり。6時間で20km弱というところ。途中峠をいくつか越えないといけない。
  バス停のすぐ先に●きれいなトイレが設置されている。道はトイレの裏側から入っていくようになっている。入って行くと、すぐ上りになって、●鞍取峠の山道に入った。上りが500m程で、「伊勢に向う倭姫を乗せた馬の鞍がはずれた」というほどの難所であるという割には、さっと、10分ほどで●頂上に着いてしまった。 

 ■鞍取峠~桃俣
 頂上から当然に●下り坂になるわけだが、下りが約800m続く。最初はいささか急坂だが、段々なだらかになってきて、楽々OKな感じ。左手に●宝永8年の浄空欣了法師塔というのが立っている。 下り終ると「桃俣」。●左手に休憩所が見え、その奥に●白鬚稲荷神社がある。 

 ■桃俣~土屋原・峰
 ●桃俣の集落を抜ける。桃俣は宿場で、江戸時代には「伊勢屋」、「まつや」、などの旅籠や茶屋があったという。
 道は穏地橋を渡り、国道へ出て進むと、●国道との分岐点に来て、左折して「青連寺川」の沿って進むようになる。土屋原の集落に入ってくると、あちこちで●御杖村のキャラクター「つえみちゃん」を描いた、行灯があった。途中左手に「表具師」の看板があったりして、集落を行くと「峰」に●まつや旅館がある。本街道で唯一営業していると言っていいくらいの貴重な宿である。食事もできるようである。

 ■土屋原・峰~堂前
 ●土屋原の集落を進む。土屋原は古代、伊勢神宮領で西から「畑井」、「水口」、「中村」、「堂前」、「笹及(ささき)」と3km程も続く長い集落である。
 左手に●春日神社がある。土屋原の氏神で、祭神は天津児屋根命など4神。境内のイチョウは樹齢400年、普通の葉に混ざって、筒条になった葉が着いている「ラッパイチョウ」という、珍しいイチョウという。
 左手に白藤稲荷神社がある。本殿は高台にあって、荒れた感じなので上がらなかったが、しかし神社を過ぎてから、突然、巨大な音量でサイレンが鳴りだし、なにか災害でも起きたかと、非常にびっくりした。正午のサイレンだったのだけど、スピーカーが近くらしく、とても音量が大きく、しばらく動悸が止らなかった。今時サイレンではなく、チャイムくらいにしてほしいと思う。
 ●堂前バス停で請取峠へ続く「加波道」を分岐する。

 ■堂前~御杖小学校
 笹及を過ぎて、」しばらく国道を進むと、左手に●桜峠の入口がある。かって峠に大きな桜の樹があったことにちなむ峠名である。左折して入って行くと、牧舎があって、牛さんの良い香りがしてくる。●峠道はゆるやかで、峠の名前が恥ずかしいくらい。峠を過ぎると視界が開けて、UFOみたいな建物が目に飛込んできた。●御杖小学校である。画一的な四角の建物ではなく,特色があってすばらしい。

 ■御杖小学校~駒繋橋
 御杖小学校の校庭に沿って、坂を下って行く。国道に出ると、「菅野の前谷」。これからしばらく菅野の集落が続いている。旧道は国道をさけて蛇行するので、2回ほど国道から分岐している。最初の●分岐点を左へ入る。左手に茅葺からトタン屋根に変ってしまった家がある。ここはすぐに国道に合流してしまい、●次の分岐点には本街道の大きな看板が立っていて、わかりやすい。のどかな道を行くと、●駒繋橋へ到着した。駒繋橋の名称はたもとにある、神代杉とか一本杉ともいわれる杉に、倭姫命が伊勢への途中罵をっないだからといわれる。旧道はこの橋を渡るのではなく、手前を左折して行く。橋を渡る道は三重県との境の白鬚峠を越えて、和歌山から伊勢へ至る、和歌山街道に合流している。 

 ■駒繋橋~菅野・庄谷
 駒繋橋のたもとに、●太神宮燈籠と道標がある。道標には「左いせみち」、「右はせみち」と刻まれる。燈籠は天保三年の建立のもの。 左折して●菅野の集落に入った。菅野は古代伊勢神宮領であったと考えられ、前谷、西川、庄谷、中村、東郷の集落を形成している。また南に白髪峠を越え、伊勢の櫛田川沿いの街道にでる道が通じ、北には長尾峠を越え太良路にいたる道が通じている。笹屋、まるや、井筒屋、あぶらやなどの旅籠屋があったという。駒繋橋から300m程の●庄谷で直角に右折する。その正面角に道標が立って、「右 いせ 」と刻まれている。

 ■菅野・庄谷~牛峠入口
 街道は菅野川に沿った道になるが、奈良県宇陀土木事務所が出している、伊勢本街道コースマップでは御杖中学校を過ぎて、すぐ左へ入るように記載されているので、それに従い、中学校の脇を通り、校庭を左に見ながら、右折をして行く。●クネクネと蛇行している道になり、ほどなく菅野川沿いの道に出た。道の右手に●道標がある。「伊勢本街道 右旧ちか道」の刻銘がある。右へ行く近道は今は無く、そのまま過ぎると、●菅野大橋を渡る。 牛峠に入って行く。左手に●木の根に大きな石があり、ちっちゃな目無地蔵という地蔵と、祠があった。 

 ■牛峠入口~神末
 ●牛峠は上りには違いないが、車も通る舗装道であり、そう苦もなく上がってしまった。国道369号に合流する所が頂上であるらしく、国道の右側を真っ直ぐに●下り坂が続いている。途中左手に子安地蔵尊がある。
 下りきると●神末(こうずえ)、西町の集落に出る。このあたりを「町屋辻」と呼ぶ。左手に●文政9年(1828)の太神宮燈籠がある。 神末は菅野と同じく、古代伊勢神宮領であり、地名は倭姫命か天照大神のご神体を伊勢に還される際、この地が大和の最東端であったことから「神の末」といわれたことにちなむといわれている。今西家を始めとした旅籠があった。

 ■神末~佐田峠
 その●今西家が右手にある。 旧道は神末川に沿って東町を北上して、先に見える橋の所で右折して行くと、なだらかな坂になる。 この道はれっきとした●佐田峠という峠道である。感覚としては峠とは呼びがたい。その頂上左手に●首切地蔵がある。明治維新の際、廃仏毀釈のため投捨てられて破損したものという。
 また六十六部供養碑と菅野村光悦の道標もある。道標は菅野村の行悦が願主になって建立したもので、「はせより是迄九里 是より宮川迄十二里廿一丁 為六十六部供養 願主行悦」との刻銘がある。

 ■佐田峠~敷津
 佐田峠を下りると道は●二股に分岐している。正面に姿の美しい、大洞山が見えている。分岐点には道標があり、「伊勢本街道 右旧ちか 左新道」と刻む。左へ行く道は国道の敷津バス停、道の駅の「伊勢本街道御杖」へ行くことができる。ここは当然に右を行くことになる。
 進んで行くと●敷津の集落に出る。敷津は奈良県東端の集落で、中世には色津、色豆、式津などと書かれ、近世では中子垣内、集落の中央に三本松があったので、三本松村とかいわれた。 敷津には昔、狐や狸が出没して人を騙したなどという伝説が残っていて、今でも「敷津の七不思議」という民俗的遺跡があちこちある。
 1 子もうけ石 ●2 月見岩・・・倭姫命が伊勢へ向かう時、この岩の上から仲秋の名月を観賞されたと伝えられている。
 3 夫婦岩    4 倭姫の手洗井戸  5 弘法大師の井戸  ●6 金壺石・・・旧道から少し離れた左手。この石の上で毎年正月元旦の朝、金鶏が鳴くという。   7 姫石明神 

 ■敷津~岩坂峠
 敷津の集落の終りは円山公園になっていて、こんもりとした丘になっている。旧道は公園の駐車場の脇から、●岩坂峠の入口に入って行く。公園の丘の頂上にどういう意味なのか、行者像が立っている。
 岩坂峠へ入って行く。峠といってもここは下り坂だけですんでしまう。岩坂の名前通りの岩だらけの道で、かえって下り坂の方が疲れそうな感じ。踏外して、捻挫しないように注意しないといけない。
 下ってすぐ左手に「七不思議」の7番目。●姫宮明神の鳥居があった。倭姫命が婦人病の全快を祈願されてから姫石と呼ばれるようになったという。●岩坂峠を下りていく。 

 ■岩坂峠~三重県境
 下りの途中に●大日如来供養塔が立つ。石製の屋根が付いて、地元では「大日さん」と呼び、牛の守護神として信仰されたという。さらに下ると、六部経塚と称するものもある。
 ここを下ると●国道が見えてきて、三重県の杉平の集落に出る。国道の脇に●休憩所があって、三重県側の本街道の案内板が立っていた。

 ■三重県境~石名原
 案内板の裏から旧道は続いており、●国道下の崖下を通り抜け、山道に入り、少々の集落を通って行くと、左手高台に●杉平の常夜燈が立っている。天保15年の建立のもの。このあたりは●道路改修で切通しになっており、低くなっているが、常夜燈のある位置が旧道が通っていた位置になる。常夜燈には太一」と刻まれ、伊勢特有の形になっている。
 あちこちに●屋号を書いた行灯が掛けられている。杉平の先●石名原の集落を通る。ここは石名原宿があり、往時は相当賑わい、本居宣長が泊っている。現在でも伝統的な家並が見受けられる。

 ■石名原~瀬之原
 しばらく進んで行くと、右手に払戸の常夜燈」がある。払戸の先で街道は●右手に入って行く。10分ほど歩いた右側に●文化2年(案内板では)の中垣内の常夜燈がある。この地区で一番大きい常夜燈で、毎晩点灯されているという。
 常夜燈の先に道標があり、旧道は●左へ入るようにとの案内板がある。案内に従い、左折して坂を下る。

  坂の右手に●庚申堂がある。なぜか古いワラジが掛けてある。水神の石碑のある橋を渡ってすぐ、木製の案内板があって、それに従い、右折すると目の前に●金網の扉が現れた。獣害対策の為に閉めてあるものだけど、これを見るのは山陽道の有年峠以来。通行後は閉めるようにと注意書があるので、開けてから念入りに締めておいた。扉は向側にもある。民家と民家の間をすり抜けるように進み、その先の右側に●太一の常夜燈がある。民家の車庫の脇にあり、見過しやすい。背の低い、むっくりとした常夜燈である。

 ■瀬之原~伊勢奥津駅
 旧道は再び国道に合流して進むが、ほどなく叉、国道と別れ右手へ入って行く。●奥津の集落へやって来た。奥津宿である。古い家が並び、所々、●屋号が入ったのれんがかかり、行燈がが置かれている。入ってすぐ左手に●名松線、伊勢奥津駅がある。木造の駅舎は新しくきれいだが、平成21年10月の台風により、家城(いえき)奥津間が普通になってしまい、未だ復旧せずバスが代替輸送している。全くの赤字線で、JR東海は廃止したいだろうが、地元の存続の願いは強いようだ、しかし2時間に1本程度の運転で利用しやすい線ではない。構内に●昔の蒸気機関車の給水塔が歴史遺産のように残っているのが珍しい。
 17時21分発のバスで帰ったが、乗客は自分一人だけ。次に奥津に来るのがやっかいで、午前中が8時48分、12時32分の2本だけ。プランを作るのに本当に困った。