東高野街道を歩く 
     (岩清水八幡宮~河内長野)
歩行地図はこちら 地図
  東高野街道 2 (四条畷~安堂まで)
 四条畷-野崎観音-中垣内-箱殿東-瓢箪山-恩智-大平寺    21.3km(55.4km)


2011年8月7日 四条畷神社駅8時36分到着  
■四条畷駅~野崎観音
  東高野街道を再開する前に、駅の西口にある●楠木正行公墓所に寄っておく。正平3年(1348)、楠正成の長男、楠木正行が足利尊氏の武将高師直の大軍と戦い、戦死して葬られた場所である。墓所内に巨大なクスノキがあり、正行の死後、小石碑が建てられていたのだが、その後に石碑の両側に2本の楠木が植えられ、年月が過ぎ2本のクスノキは1本に合し、その石碑は木の中に入り込んでしまったとのこと。 線路を渡り、●街道歩きを再開する。本日は安堂駅くらいまで約20km程度。ほとんど南行の一本道のようである。気温がまた高くカンカン照りなので、熱中症に気をつけないと行けない。            8:58

  「北条」バス停先で旧道は●国道と別れて、左の細い道へ入って行く。薄茶色のダスト舗装みたいな感じで歩きやすい。車もそんな通ってなかった。旧道に入るとすぐ東高野街道の案内マップがある。
 すぐに●野崎観音への参道の石段が見える。東海林(しょうじ)太郎の「野崎参りは~ 屋形船でまいろ~~」という「野崎小唄」で有名だけど(若い人は無理か?) こんな所にあった。
 福聚山慈眼寺という。1300年ほど前、天平勝宝年間、行基の創建という。戦国時代に焼失したのを、江戸時代に曹洞宗の、青厳和尚が復興され、元禄宝永ごろに野崎参りが盛んになると共に、お寺も栄え、現在に到っています。とか。境内に
 ●お染久松の塚なるものもある。野崎観音は、お染久松を主題にした近松半二「新版歌祭文」をはじめ、近松門左衛門「女殺油地獄」、落語「のざき詣り」などで広く知られている。
 屋形船でまいるというからには、どこまで舟で来たのかと言うと、大阪から 寝屋川をさかのぼり、谷田川を経て、現在の参道の南側200m位の所から参拝したらしい。   9:28

 ■野崎観音~中垣内(須波麻神社)
 ●「寺川」に至り、阪奈道路を越える。前方左右に●大阪産業大学が広がる。甲子園によく出てくる「大阪桐蔭高校」も左手にあった。 「中垣内」交差点より左折して、●須波麻神社へ伊勢燈籠を確認するため寄道した。あまり大きくはないが、式内社で、本市では唯一のもの。道標を兼ねた伊勢燈籠は境内入口左手に立っており、文政13年(1830)のもので、東高野街道筋から移されたもので、道標を兼ねている。      10:10

 ■中垣内~石切神社
 「中垣内」を過ぎると、東大阪市へ入る。これから先の地名は善根寺、楽音寺、教興寺とか寺の名前が地名になっていることが多いと思う。さて善根寺への入口の左角に●「楯津浜」と彫られたずんぐりした石碑がある。日本書紀の神武即位前紀、東征の段の、「草香津」を改めて「楯津」と名付けたという記事にもとづくとか。このあたりは神武天皇の東征の際、難波から河内国草香村(日下)に着いたという地にあたる。 その南大川の手前の右手民家の壁下に●一里塚の跡碑が置いてあり、道の対面に金比羅燈籠が立っている。 ●「日下町3」先で、国道を別れ、左手の旧道へ入る。大体1車線でたまに車が入って来る程度だった。  10:50

 音川に架かる橋の手前に、●大峰山登山百二度供養塔というのが立ち、横の祠の中に観音、役の行者などの像が安置されている。  500m程行くと、左側に大きな天明の常夜燈が二本立ち、●石切劔箭(いしきりつるぎや)神社の参道になる。
 ●石切劔箭神社は式内社で、祭神は大和建国に功のある「饒速日尊とその御子、可美真手命(うましまでのみこと)。拝殿と鳥居下にある「百度石」の間を行き来する「お百度参り」で全国的にも有名とか。本社の南に大きな絵馬殿があり、屋根上には劔箭(剣と矢)が天をさして乗っている。また参道に易をする店が多かったのは何故なのだろうか。  11:28

 ■石切神社~箱殿東
 神社の南側に●石切藤地蔵尊がある。南北朝時代、当時の有志者により、施餓鬼供養のため建立された。大阪夏の陣の戦いの折、地蔵尊の顔が行方不明となり「首なし地蔵尊」と通称されるようになった。処が不思議な事にそれから頭痛、めまい、熱病足腰の痛み、神経痛等の病気平癒願ずると願いがかなえられ全快した人々の御利益あらたかで信仰者、参拝者常に絶え間なく繁盛したと伝えられる。
 ●「箱殿東」交差点は「暗峠越え奈良街道」との交差点で、右手の弘法大師堂の隣に●「東江すぐ ならいせ道」と彫られた道標が移されている。   11:46

 ■箱殿東~瓢箪山
 南へ少し進むと、左側に●平岡神社の鳥居があり、参道が東へ続く。遠いので寄ることはしなかったが、いずれ暗峠越え奈良街道を歩くとき寄ることになるでしょう。鳥居は阪神淡路大震災の時、ゆがんだということで上部と下部を繋いだ跡が残っている。
 道は●「喜里川町南」で右側にカーブする。角に交番があって、裏に●昭和12年の道路改修記念碑が建っている。国道が整備されたのは昭和12年のことだった。   12:05

  国道に入ると●アーケードのある商店街になっていた。「サンロード瓢箪山」という。途中●「近鉄 瓢箪山駅」を通過する。瓢箪山の地名はこの先にある稲荷神社の敷地に由来する。
 商店街のはずれから左へ入ると●瓢箪山稲荷神社がある。敷地が6世紀末ごろに作られた双円墳で、ヒョウタンに似た形状から、「瓢箪山」と呼ばれる地であり、一帯の地名が「瓢箪山」と呼ばれるようになった。
 日本三稲荷の一つであり、 祭神は若宇迦乃賣命(保食神)、創建は天正11年(1584年)。豊臣秀吉が大坂城築城にあたり、巽の方(大坂城の南東)三里の地に鎮護神として伏見桃山城から「ふくべ稲荷」を勧請したことが由緒とされる。
 また街道付近、辻占いの風習があり、神社は辻占総本社であるともいわれる。    12:20

 ■瓢箪山~横小路
 
●「下六万寺1丁目」バス停の所で、また旧道は左手に入って行く。ここの旧道は250m位しか続かない。途中左手の●小さな祠のなかに、古い宝筐印塔の下部の欠けたもの、石仏などが安置されている。 国道に戻り、ほどなく●「八尾市」である。 
 12:50

 ■横小路~恩智北町
 国道を進む。元々このあたりの集落は東に少し離れており、旧道は野中の一本道だったそうで、寺や神社は国道から東寄りに立地することが多く、国道の回りはなにもない。従って鳥居などは国道沿いに立つものの、参道が延びていて、寄道してい行くことが難しい。そいうことで左手に●式内社玉祖神社鳥居がある。参道は「松の馬場」と呼ばれるような松並木があったというが、枯れてしまっている。神社まで1.5kmもある。
 近鉄信貴線のガードをくぐり、教興寺に入る。●天理教会南側で交差する道は信貴越えの道で、左右に道標が二つ立っている。いずれも信貴山の毘沙門天を指している。 教興寺5丁目を左に入った所に●一里塚跡がある。松が植えられている。  13:58

■恩智北町~恩智中町(恩智神社)
 ●「南高安中」の南で、旧道は申訳なさそうに、右に迂回している。中程に大きな旧家が1軒建っていた。
 国道に戻ると少し上り坂になって、登り切ると「恩智」である。そこの左側に●恩智神社鳥居が立っている。神社までは500mあるが寄ってみた。が、参道は上り坂ばっかりで少々きつい。途中に道標が2基ある。参道沿いに石垣を備えた大きな旧家が建っている。 恩智神社は大和時代の雄略年間(470年頃)と伝えられ、国内でも有数の古社であり、後に式内大社に列した神社である。うさぎが神の遣いとして道案内をしたと云われており、狛犬ならぬ、「狛うさぎ」である。●本殿の建築様式は、明治年間で、王子造り(流れ造りの一種)で極めて珍しい貴重な建築様式であるという。   14:30

 参道を下る途中左手に入ると●恩智城跡がある。恩智城はこの地の豪族であり、楠木正成の家臣、恩智左近が築いた城である。貞和4年(1348)、四条畷合戦で楠木正行が戦死し、恩智城は廃城。現在は城址公園として整備されている。
 公園から●河内平野を一望することができた。 城跡から国道へ向って下りて行くと、国道脇のお堂に●シュミイ地蔵が安置されている。名前の由来はわからないが、地元の有志が天文13年(1544)に建立したもの。     14:58

 ■恩智中町~太平寺
 柏原市へ入る。大県信号の手前に●鐸比古鐸比売(ぬでひこ ぬでひめ)神社の鳥居が立っている。ここも式内社で、創建は成務天皇21年(151年)とされるが、実際の年代は不明。 祭神は「鐸比古命」「鐸比売命」。 鐸比古命は垂仁天皇の子であり、 和気清麻呂の遠祖であるとされる。由緒ありそうな神社であるが、時間も無くなっているので寄道は遠慮した。
 左手の山腹に●柏原ぶどうの看板があり、柏原ワインの看板が立っている。あまり有名ではないと思うけど、柏原の周辺では明治から大正にかけて葡萄栽培が隆盛を極め、一時期、大阪府は日本最大の葡萄の栽培面積を誇ったのだとか。ワインは甲州などを使用している。 このあたりの東側では三宅寺、智識寺など六つの白鳳期の寺院が南北に並んでいたという。いずれも廃寺になってしまったが、その内の智識寺の東塔礎石が石神社に残るというのでちょっと遠いが行ってみた。 「太平寺」信号から左へ入り●石神社を見る。 15:50

 ■太平寺~近鉄安堂駅
 石神社は式内社で、祭神の石姫皇女は欽明天皇の皇后である 。かつて、この辺りに「智識寺」と呼ばれる古代寺院があり、大きい廬舎那仏があり、これを見た聖武天皇が東大寺大仏造営を発願されたといわれている。 境内には●智識寺の東塔の礎石があり、大阪府の文化財に指定されている。 礎石の柱穴の直径が122センチあり、この上に高さ48.8mの五重の塔が乗っていたとされる。
 境内にある大きな●クスノキは高さ約16m以上の大木で、樹齢700~800年と推定されており、大阪府指定天然記念物となっている。 さて国道に戻るとすぐ「大和川」の堤防に至り、堤防脇に●近鉄 安堂駅 があった。今日はここまで終りとした。道は真っ直ぐでわかりやすかったが、寄道で結構距離が伸びてしまった感がある。     16:00

     高野街道TOP     東高野街道 1  東高野街道 3