西高野街道を歩く 
     (堺〜河内長野)
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 大小路−榎元町−梅北−関茶屋−草尾−山本−おわり坂−茱萸木−楠町−古野−河内長野    18.1km

西高野街道
  西高野街道は大阪方面から高野山を参詣する高野街道の一つで、堺の大小路と大道筋の交差点を起点として南東に向い、狭山を経て、途中で中高野街道と合流し、その後、河内長野で東高野街道と合流し、一本の街道となります。一本となった高野街道は、三日市から紀見峠の峠を越え、橋本を経て「高野女人堂」に向かいます。江戸時代には中世以降、重要な港町として発展した堺を起点とする為、西高野街道は、高野参詣の本道として大変賑わいました。またこの街道の特色として、堺市榎元町から高野山女人堂まで、ほぼ一里毎に13本の里石が立てられ、すべて現存しています。西高野街道として、堺の大小路から河内長野まで18km程を1日で歩きました。
 ルートは
「歴史の道調査報告書 高野街道」(大阪府教育委員会)
「大阪ウオーキングマップ 東高野街道」(大阪府都市整備部)
「西高野街道の里道標石をたずねて」(橋本市観光協会)によります。
 東高野街道  高野街道不動道  

2011.08.28 南海線 堺駅 8時50分着
■大小路〜榎元町
 南海線堺駅到着。ここは2006年の12月、街道歩きを始めた頃、竹内街道を歩くため、夜行バスで来て以来2度目の再訪。東へちょっと行った、●大小路交差点から西高野街道は始ります。(但し堺郵便局前の、今は埋立てられて無くなった、旧大小路橋のあたりが起点だという説もある。)。ほぼ東西に走る大小路は摂津、和泉の国境であり、大小路交差点で「紀州路」が直交している。
 東へ700mほど歩き、●阪神高速堺線の高架をくぐる。高架下は土居川を埋立てて、「土居川公園」になっている。「堺郵便局」前が「大小路橋」がその昔架かっており、現在はその●親柱が残されている。
 右手に「堺市役所」を見ながら、南海高野線、堺東駅前に着く。右折して、南海線第3踏切を渡った。     9:30

 踏切を渡ると榎元町に入るが、道は細く、車が少なくなった。ここでは竹内街道と重複している。左手奥に●一里塚があり、榎、宝筐印塔、庚申塔などが建っている。これは竹内街道の一里塚にである。しかし奥まっていて、見逃しやすく、民有地らしく入ることができないようだ。
 少し先の右手に●「高野山女人堂江十三里」の道標がある。高野山女人道から数えて13番目にあたる。安政4年に茱萸木村(くみのきむら、狭山市)の小左衛門、五兵衛の2人の発起人により、一里ごとに建てられた。
 すぐ先で●竹内街道と西高野街道が分岐する。分岐点に道標があり、西高野街道は右手を行く。     9:52

  ■榎元町〜梅北
 分岐点から右手の道を行くと、国道310号にぶつかるので、歩道橋を登っていく。ちょうど仁徳天皇陵の北側に出るので、歩道橋から●仁徳天皇陵の頂上がちらっと見えた。ここからしばらく天皇陵に沿って進むが、堺市内では●「西高野街道」の道標が頻繁に建てられていて、歩くには良いことと思う。
 しばらくして、旧道は●国道310号線に吸収され消滅しているので、国道を歩く事になる。JR「阪和線」を越え、●梅北交差点で左折し、旧道に入る。    10:28

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■梅北〜中百舌鳥町5丁目
 「梅北」交差点を左折すると●古い町並みが残る雰囲気のいい道になった。あちこちに小さい地蔵堂がある。右手に御廟表塚古墳があって、古墳の前には●府指定天然記念物の大クスがあった。樹13m、樹齢800年とも千年ともいわれる。クスの前の屋敷は戦国時代の筒井順慶の子孫といわれる筒井氏のお屋敷。
 歩いていると●何本もの幟が立っているので、何だろうと見たら「中百舌鳥町ふとん太鼓」とあり、街道右手にある「百舌鳥八幡宮」のお祭のことだった。   10:48

  ■中百舌鳥町5丁目〜関茶屋
 中百舌鳥駅前を過ぎ、府道28号を越えて、しばらく歩くと再び310号に合流します。正面は大阪府立大学で、左折して、「白鷺駅口」を左折すると、正面に●高圧鉄塔がドンと立っていた。道の真ん中に立っていて、車がよけるようになっている。
 鉄塔の手前を右に曲り、進んで行くと「白鷺公園」の所に歴史のみち」という案内板が立っている。
 泉北高速のガード下を越え、少し歩くとベージュ色の舗装をした、街道の面影が色濃く残る●関茶屋の町並みに入りました。関茶屋はその名のとおり、茶屋が何軒かあり、旅人の休息の場として賑わっていたことでしょう。
 左手の地蔵堂前に●「十二里石」があります。ちょうどお婆さんがお参りに来ていました。十三里石から1時間半掛っていて、地図で計ると5km弱ありました。ゆっくりめだったし、旧道は正確に残っているわけではないので、こんなものかと思います。
 11:22

 ■関茶屋〜草尾
 十二里道標から400m程進むと、信号のある交差点になり、渡った左側に●薬師如来像を彫った道標がある。「東ふじい寺 なら」と刻まれている。
 右手に●雄妙寺がある。日蓮宗ということ以外にこれという特徴が見えないが、ここまで、この街道沿線にはあまりお寺がなかったように思う。
 ●阪和自動車道の高架をくぐります。道は草尾から中茶屋になります    11:37

 草尾〜山本中
 中茶屋自治会館の前に、「法界地蔵尊」の小さいお堂が建ち、さらに左手には「大神宮燈籠が」町内掲示板に隠れるように立っている。
 さらに進むと分岐点が現れ、正面に●地蔵堂がある。左の道標には「右 かうや 大ミ祢 左 たきたに金剛山」と刻まれている。道標の通り右へ行きます。
 右手に●興源寺がある。行基が開いたという真言宗の寺で、本尊は童子形の不動明王という。
 道は「福町」を抜けると●右側が畑、左側が住宅街になると、「狭山市」との境界上を歩くようになる。このあたり両側ともため池が多い。     12:41

 ■山本中〜今熊7丁目
 道はゆるやかな上り坂になって、「岩室」に入ると、左手に●「十一里石」が倉庫の軒先に置かれている。ここはお堂がなくて、里石だけ立っている。十二里石から約4.3km程。
 岩室歩道橋で国道310号線を越えます。ここより狭山市内に入る。左手に●西高野街道碑、岩室郵便局跡、家塾跡の石碑が立っていたけど、説明がなく、くわしいことはわからない。
 やがてまた分岐点に来て、●お堂と道標が立ち、「右 あまの山二里 左 かうや山十里」と刻まれている。ここも道標の通り、左側へ進みます。   13:16

 ■今熊7丁目〜おわり坂
 左側を進むと、急激な下り坂になり、眼前に展望が突然開けた。この坂をおわり坂と言うようだ。街道を歩いて来た旅人は突然展望が開けて、金剛山などがパノラマのように望めて、さぞや感激したのではないかと思われます。現在ではビル、マンションに視界が遮られてしまい、残念な感じがします。●パノラマを撮ってみました。位置からすると金剛山が左手、紀見峠が右手の方にあるのではないかと思われます。
 坂を下り切った所は「おわり坂交差点」で、左手から三津屋川沿って来る道は四天王寺からやって来る●下高野街道ではないかと思う。地図上ではここが合流点になっている。    13:29

 ■おわり坂〜茱萸木6丁目
 歩道橋を越え三津屋川を渡る手前に、「牛滝地蔵」を祀る小堂がある。川を渡ってすぐに川沿いの道から●左の細い道に入ります。このあたり「三津屋」といって、陣屋、旅籠などがあったという。右手奥に「帝塚山学院大学」がある。
 右に三津屋地蔵を見て、さらに進み、直角に左に折れて行くと、左手角に●町会の集会所があり、集会所前に「弘法大師御堂建立」の石碑が立っている。御堂に地蔵などが祀られている。
 道は「茱萸木」を直進するように進み、右手に●「酒かけ地蔵堂」がある。地蔵に酒をかけて願事をすると叶うと言われる。
 このあたりの街道は大きな旧家などが見られ、昔の雰囲気が感じられる。   14:02

■茱萸木6丁目〜松が丘中町
 やがて左手に●「十里石」がぽつんと置かれています。里石建立を発起した小左衛門と五兵衛は、ここ、茱萸木村の住民であったといわれている。
 「十里石」を過ぎると、急激な下り坂となり、信号を右折した●天野橋を渡って先に進みますが、旧道は信号から真っ直ぐ進んだ細い道ではないかと思います。
 橋を渡ると河内長野市に入ります。右側に西高野街道の案内板が立っています。道なりに登っていくと左手に●太神宮の常夜灯、宝篋印塔、道標、地蔵堂が立っている。道標には「右 上神谷妙見山」とあり、常夜燈の裏側を行く細い道がそうなのだろうか。     14:27

 ■松が丘中町〜楠町西
 道は●二手に分れ、旧道は右の坂を上って楠町へ入って行きます。左手に●松林寺がある。市の指定文化財になっている「両界曼荼羅図一対」が残されているとか。
しばらく歩くと左から道が合流してくるが、大阪市平野から河内長野に至る●中高野街道との合流点になっていて、ちゃんと案内板が立っていた。真ん中のお堂には道標を兼ねた地蔵が祀られ、大神宮燈籠などが立つ。   14:46

  楠町西〜木戸西町3丁目
 この合流点には神南辺道心による●四国八十八ヵ所遙拝道の碑が建てられている。ここを右に行くと弘法大師に縁のある「盛松寺」がある。
 街道は左へと下って行く。右手の高台に「千代田学園」を見て進むと、左側に「千代田駅」があり、スーパー「西友」の脇を通り、●広い通りを横断します。右手に「歴史街道 西高野街道」の案内碑がある。
 さらに真っ直ぐ行くと、●画家の「辻野典代」さんのギャラリー「撲庵」というのがあった。知らない人であるけれど、市内高向出身の画家であるそうな。    15:14

 ■木戸西町3丁目〜原町6丁目
 原町に入ると右手に、安倍晴明の経典を埋めた場所だと伝えられている●晴明塚がある。塚の前に明和の燈籠、背後に地蔵堂がある。
 ●国道170号線のガード下を越えると左手に●原町の旧阿弥陀寺石造物群と出会う。十三仏板碑2基、地蔵菩薩像、観音菩薩像各1基が収められている。かつてこの地の南側に存在し、20世紀初めに廃寺になった、阿弥陀寺の境内にあったものと伝えられています。   15:29

 ■原町6丁目〜古野
 すぐ先の狭い●十字路の右側に道標があり、「右 こうや 左 まきの」。次に左側に「かうや ふしゐ」と刻む。この原の辻を橋本市の資料では東高野街道との合流点と説明しているが、とてもそうとは思えない。
 国道310号線を越える手前で、●寺元記念病院の裏手を抜ける道があり、これが旧道である。大きな道路を横断すると、右手に常夜燈が立っており、●膳所藩代官所跡の説明がある。河内長野一帯は膳所藩の藩領であった。  15:45

 ■古野〜河内長野
 代官所碑の所を道へ下りて行くと、寺本記念病院の表側を通る道に出会い、角に●行者堂があって、「九里石」が立っている。この道は旧道ではなく、行者堂と「九里石」は元は1本東側の旧道へ行った極楽寺への曲がり角に建っていたというのであるが、これはおかしな話で、今まで十三里石から十里石まで西高野街道の旧道に建っていたわけで、なぜこの九里石だけ動かしてしまうのか理解できない。ちゃんと元の所に移転させるのが筋ではないかな。
 というわけで、1本東側の旧道に戻って進むと、左手に●燈籠、地蔵堂などが建つ。ここが極楽寺からやって来る、東高野街道との合流点と考えられる地点である。極楽寺から来る●東高野街道は非常に細い道である。2週間前の8月14日にここを通過している。東高野街道との合流点はもう一つ考えられ、駅前あたりといわれる。  15:51

  合流点から先●割坂と呼ばれる急な坂を下りる。下りてくと先ほどの旧道ではない、●九里石が立つ道と合流する。先に進むと駅前のアーケード付き商店街がある。
 河内長野駅前に●高野街道のモニュメントがあり、ここがもう一つの東高野街道との合流点となっている。
 以上で堺と河内長野との西高野街道を終了した。ここから高野街道となって、高野山へ進んで行く。ここから先は又後日ということになります。河内長野駅から南海電車で大阪方面へ帰りました。   16:10

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