山陽(中国)街道を歩く 3
              (西宮〜三宮まで)
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 西宮神社−打出駅−国道2号−田中町−本山中町−住吉−都賀川−春日野道−三宮      19.4km(西宮神社〜兵庫駅) 
 

■西宮神社打出駅北
2011年10月23日 
 
山陽街道2回目は西宮神社から。今日は兵庫位までを予定している。昔の距離は5里。寄道を含んで20kmを越えるでしょう。神社の南側に回ると国道43号に出る。●南門がある。国道から来る場合、ここを通ることになる。
 手前の塀の外には●道標を兼ねた常夜燈がある。七五三の宣伝の垂幕がじゃまでよく見えないが、寛政11年(1799)の建立で、「西宮大神宮 左 京都 大坂道」「右 兵庫 はり満道」と刻まれている。   8:30 

 すぐ隣に圓満寺がある。ここの唐門も風格がある。その先、細い道が上り坂になって、夙川の上に●香櫨園(こうろえん)駅がある。駅名は1907年に造られた遊園地の「香櫨園」の名前が、創立者の香野蔵治と櫨山慶次郎頭文字をとって付けらたという。
 香櫨園から先、阪神線は少しの間、高架になっており、旧道は線路の北側を通っていたといわれ、北側を歩いて見たが、マンションなどで道がわからなくなり、結局打出駅の手前の
踏切を渡る形になった。芦屋市との境界の地点から、「浜街道」が分岐している。踏切から北上し、左手のマンションの前に●道標と道標を兼ねた地蔵尊がある。読みにくいが、道標には「右西宮道」、「左中山道」と彫られ、地蔵尊の左側面にも「左甲山・荒神・中山・妙見山」と彫られている。  9:00

 マンションの前の細道は家に突き当たってしまうので、右折して、春日集会所前で左折、●二車線の道路へ出て、西へ向う。 阪神打出駅のあたりの交差点に右角に●正面に「阿保親王廟」と彫られた、自然石型の道標があった。ここから北方700m位の所にある「阿保親王塚」を示している。
 阿保親王平安前期の皇族で平城天皇の第一皇子にあたる。また在原業平の父でもある。「薬子の変」に連座して太宰府に左遷されたり、上野国や上総国の太守を歴任したりしている。    9:10

■打出駅北〜国道2号・三八通北
 
その先は旧道の跡をできるだけたどりながら、ジグザクに曲り、宮川に架かる西国橋を渡る。橋の手前右手に白露地蔵尊という地蔵堂がある。
 「茶屋之町北」交差点の少し南側の斜めの道は●旧西国街道であると、左隣の家の壁に案内板が掛けてある。
 「三八通北」交差点で●国道2号に合流した。この先は3kmほど国道をそのまま西に歩く。    9:28

■国道2号三八通北〜田中町2丁目
 「津知」の信号の先、右手の骨董品店の店先に、なにやらおかしな●道標がある。右隣の五重の石塔は売物のようなので、同じ売り物のような気もするけど。右面「指先手形と 天王寺 すて???左面 手形と 四天王寺 かう志んだう」。  この場所にあるべきものではないので、売物かも。
 その先で神戸市東灘区に入る。このあたり阪神・淡路大震災で相当な被害だったのでしょう。マンションなどがみな新しい。それにしてもよくここまで復興したものです。
 右手に●地蔵堂(大師堂?)がある。子安弘法大師と書かれ、子供を抱いている地蔵なぞ見たことがない。 9:56

 「赤鳥居前」の交差点の所に●稲荷神社の朱鳥居があり、左前に道標がある(写真は合成)。「稲荷之社 從是三町」としている。
 本山中町4丁目右手に●国道地蔵尊というのがある。
 昭和7年交通安全のために建立されたが、阪神淡路大震災で被害を受け再建され、合わせて周りに交通事故や震災の犠牲者を弔うため沢山の五輪塔や石仏が祀られている。
  10:15

■田中町2丁目〜住吉
 「田中東」信号の右手に「山王神社」がある。そこを斜めに旧道が通っているようであるが、道がないので、神社の先を右折して行くと、すぐ北西に●斜めに向う旧道があった。
 本山南中学校を過ぎたあたりの右手に●花松首地蔵がある。大きな首だけのいささか不気味な地蔵である。大正6年に造られたもので、首から上の病気に霊験あらたかだという。   10:36

 道はすぐ先で神戸コープ生活文化センターに突き当たる。旧道はそこを貫通しているが、迂回するしかないので国道へ回ってから、●住吉川を渡る。両側は遊歩道になっていて、散歩中の人やジョギング中の人が結構多い。
 ●国道2号の右手は「うはらホール」、東灘消防署、東灘区役所などがある。正面に高層マンションも見える。ここら辺も阪神大震災の後、復興してきたのだろう。
   10:45

■住吉〜御影塚町2丁目
 右手に本住吉神社がある。神社の手前の交差点から北に向かう道は、六甲山を越える「住吉道」であり、角に●「有馬道 是ヨリ北江九十丁」と刻む道標がある。
 ●本住吉神社の祭神はいわゆる住吉三神と神功皇后であり、日本書紀において、神功皇后の三韓征伐からの帰途に船が進まなくなり、神託により住吉三神を祀ったと記される地が当地であり、大阪にある有名は住吉大社の元はここであると主張しているそうだ。   10:53

 「御影中町2」信号の所で旧道は斜めに南西方向へ行っているが、ここもマンションや学校で道が消滅している。角、角と曲って、一度国道へ出たりして、最後に●御影中学校の西側に「旧 西國街道」の新しい石標がある所から、西へ細い向うことになる。やがて天神川に架かる一里塚橋を渡る。名前からして、この当りに一里塚があったとされる。
 ●右手が公園の所に「徳川道起点」と書かれた案内板がある。幕末、兵庫港開港するにあたって、外国人と西国街道を通る諸大名や武士との衝突を避けるための迂回路として造られた。ここを起点として、杣谷峠、長坂などを通って、明石大蔵谷までの8里27町9間(約34km)あった。  11:17

■御影塚町2丁目〜都賀川
 
少し先の交差点の角に「処女塚の道標」案内板があり、そこを左折して行くと●処女塚(おとめづか)古墳の旧跡がある。 4世紀頃の前方後方墳である。東西それぞれにある「東求女塚古墳」、「西求女塚古墳」とともに万葉集や大和物語に悲恋の物語の舞台として登場することで知られている。
 塚の東側に●小山田家の碑と田辺福麻呂の歌碑が立っている。新田義貞を助けて、自分は戦死した小山田家の武勇を記念して弘化3年(1846)に建てられた。歌碑は福麻呂が処女塚に立寄った時、伝説から受けた感動を歌ったものである。  説明板を読む     11:30

 ■都賀川〜JR灘駅
 塚の東奥に●東明八幡神社がある。あんまり見たことがない、武内宿彌の創建になるもの。応神天皇を祀るが、境内に、宿彌が1700年もの昔、植えたという松が江戸時代には幹回り5mもの大木になって、摂津の名所になったという松の一部が保存されている。(巨木は明治に枯れ残るのは一部だけ)
  塚から1.5km程で●都賀川に出た。この川では平成20年7月28日、上流の篠原橋付近で、急な増水による鉄砲水で5人が水死するという痛ましい事故がありました。 12:00

 都賀川の先で右折し、国道2号と合流する。●その合流地点に大正15年建立の「厄除東向八幡宮 南一丁」と刻まれた碑が建つ。
 国道に出てから350m先の●西灘交差点で国道は南西方向へと曲り、山陽道は直進する。
 「岩屋中橋」を渡って右折して灘駅方面へ向う。尚このあたりいくつか地蔵尊があるらしかったが、よくわからなかった。
  12:12

 ■JR灘駅〜春日野道商店街
 
灘駅に近づくにつれ、道が高架になっていたり、工事中だったりして、わからなくなり、とにかく灘駅に近づきつつ、円弧状に南西方向に向うように努めた。 
 ●駅南の高架脇を通ると、青陽東養護学校の南側に出た。そこを通過して、よくわからないけどマンションの脇を左折して、脇浜公園を右折すると●広い道路へ出た。ここから真っ直ぐに三宮へ向うのが旧道らしい。   12:40

 旧臨港線高架で、遊歩道になっている手前右手に、●脇浜子安地蔵尊がある。再建されたのか新しい地蔵であった。
阪神線「春日野道駅」の所に●アーケード付き商店街があり、左手に旧西国街道の案内板が立っている。ちなみに兵庫県では山陽街道ではなく「西国街道」の名前を使っているようだ。それによると・・・打出付近で内陸部を進む、大名行列などに使われた「本街道」と海沿いを進む、庶民が使った「浜街道」に分かれ、生田付近で合流している・・・とある。今まで本街道を歩いてきたわけだ。  13:02

 ■春日野道商店街〜新生田川
 先に進むと、●「大安亭市場」という商店街が現れ、左手の「コミスタ神戸」の所に、長州藩の絵図方役人だった「有馬喜惣太」が描いた「行程記」の絵地図が案内されている。
 それによるとこの付近には、明治時代にできた「大安亭という人気の高い、浪花節の寄席があり、その周りにできた商店街が「大安亭」と呼ばれ栄えたというのが由来とのこと。
 ●新生田川を雲井橋で渡る。右手奥の六甲の中腹にロープウエーが通っている。  13:22

 ■新生田川〜三宮
 上流にある「布引の滝」が古来から名勝で知られ、多くの名歌が詠まれてきた。その●歌碑が海辺の「HAT神戸」あたりまでの「歌碑の道」に沢山設置されていた。
 新生田川のすぐ先は●JR三宮である。駅の回りに「行程記」の三宮の当りの説明が掲示されてある。三宮駅を斜めに横切って、JRの北側に出て行く。  次頁へ続く。
  13:35

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