山陽(中国)街道を歩く 9
                     (相生〜三石まで)
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 相生駅−竜泉−若狭野−有年横尾−東有年−西中野−上組−有年峠−梨ヶ原−船坂峠−三石      21.4km        
 

■相生駅〜竜泉
 2012年3月17日
京都から新快速で●相生駅 9時30分到着。前回から3ヶ月ぶり。今回から日帰りが難しいので、下関のゴールまで2泊3日の歩きを繰り返すことになるだろうと思う。天気は雨模様。オーバーズボンをはき、折りたたみ傘を手にした。
 駅の南側の交差点から、相生市民病院を左に見て、西へ向かう。その先でJR赤穂線、山陽本線、山陽新幹線の高架下をくぐって進んで行く。「菅原台」信号で国道2号を渡り、ここを斜め左に進む。旧道はしばらく細い道を通って、バス営業所の裏から再び●国道2号に合流する。    9:57


 ■竜泉〜上松
 
国道に沿ってしばらく歩き、山陽自動車道の下をくぐる。
竜泉交差点を過ぎて、すぐ先で、国道から右折して進み、国道へ一回出るが、あたりは工事中で、防音壁が立っていたりするので、左手に、「明治天皇駐驛處」碑があるはずなのに、よくわからず、見あたらなかった。
 国道から右折する道があり、●鶴亀集落に入っていく。鶴亀は間の宿で、鶴屋、亀屋という旅館があったこという。
 国道を200mほど行き、上松歩道橋の所から、左手斜めに上松集落に入って行く道がある。左手に●円立寺がある。寺を通過していくと、国道2号へ出る。国道を横断するのだけど、信号がない上に、車がどんどん通りすぎていくので、横断に手間取ってしまった。今回は何回も国道2号と出会ったり、横断したりすることになった。     10:37

 ■上松〜若狭野福井
 
国道を横断して、●若狭野八洞集落。弧を描いて、国道をかすっている。
 若狭野野々に入る。右手に常夜燈があり、右手奥へ●天満神社への参道が続いている。いささか遠いが寄っておく。相生のあじさい神社として親しまれているということだった。
 神社の先の二股は左へ行き、若狭野小学校の南側を通る。福井集落を抜けて、また国道へ出た。
   10:48

■若狭野福井〜畑
 国道から山陽本線を跨いで行くのだが、国道に歩道がなく、トラックが次々やってきて、きわめて危険を感じる。トラックの方もこんな所歩く人なぞいるなんて事、思ってもいないと思うけど。
 国道の右側は全く歩けず、左側の方がいくらか歩道側が広く、そこを行くしかないと思った。やっとこさ、左側に渡った。
 ●跨線橋のあたりはトラックが次々とスピードを上げて通過していく。やがて●赤穂市に入った。
 すぐ右下に山陽本線の線路との間に国道と並行して小さな道がある。ここが●旧道らしいので、急いで国道を渡り返し、この国道と平行している道を行く。雨でびちゃびちゃだが、車が来ないだけまし。畑集落の中を通る。
     11:40

 ■畑有年横尾
 その先、またまた国道2号と合流する。今度は歩道があってちょっと安心。少し行くと●左斜め前方に入って行く道があり、これが旧道なので、又々国道を渡って、入っていった。
 ●有年横尾の集落に入る。端正な旧家が残る町並みである。横尾の中程に「有年村道路元標」が立つ。この付近に高札場があったという。
  11:55


 ■有年横尾〜有年橋
 
有年駅前を過ぎ、集落の西端で再び●国道2に合流する。歩道橋を渡って下りた所に昭和3年の道標がある。「右上郡 鳥取道」、「左岡山 廣嶋道」と彫られている。
 国道に合流してしばらく行くと、左手の水路の向こうに●池魚塚がある。道路改修のために売られた魚への感謝と供養のために建てられたという。天保7年のもの。
 
    12:15

 ●矢野川を渡り、千種川の右手の土手を行くと、●亀の甲という標柱が立っている。説明によると、河川改修前にはこの岸辺に大きな石畳が有り赤穂藩浅野時代の護岸、高瀬舟の荷積み場所があったとか。
 向う側には「有年橋」が見える。昔は千種川は渡船で渡っており、水量によりと渡船料が変動し、おまけに「綱操渡し」といって、手繰り船だったという。今は有年橋で渡る。
 渡って、すぐ先、左に入る道があるので、入って行く。12:23

■有年橋〜東有年
 
すぐに●東有年集落に入る。ここが旧有年宿にあたり、街道筋の古い景観を残す民家も多い。集落は真っ直ぐ750m程続いている。
 集落中央付近、左手奥に。「有年中学」の体育館が見えるあたりの路地を左へ入って行くと、大きな●「明治天皇駐輦記念碑」が建つ。「有年宿本陣跡(旧柳原家宅)」と書かれた標柱もある。柳原家は有年家と並び、代々庄屋を務めた家で、参勤交代の大名の宿泊施設として使用されたという解説が書かれている。しかしここへの案内板が旧道の方に立っておらず、知らずに通り過ぎてしまうおそれが多分に多いと思われ、旧道の方に案内板がほしいと思う。
   12:43

  11 有年宿
 西有年にあった有年宿は、慶長年間に現在の東有年に移されたという。 本陣は柳原家が勤めたが、現在は標柱があるだけとなっている。また脇本陣は設けられていたが、場所等の詳細は不明である。旅罷は柏屋など数十軒があり、この他にも商人宿、牛馬宿、各種の商店等が軒を連ねていたといわれる。

■東有年〜片山
 
さらに進むと、右手の空き地に●「有年宿番所跡(旧松下家宅跡)」と書かれた標柱がある。標柱には、「寛永年間(1624〜)頃、東有年に有年宿が移された。赤穂藩役人は出張の際にここに宿泊し、前庭を白洲にして番所として利用したと伝えられる。・・・」と書かれている。
 集落の東端で県道にぶつかり、右折して国道2号を渡ると、すぐ右手に●八幡鳥居がある。鳥居は延享元年甲子年(1744)のもの。八幡神社小山の上にあり、特異な形の、高瀬舟型灯台があるというので、見に行こうと石段を上がっていくと、入口が網で通せんぼされていて、土砂崩れのおそれがあるというので、立ち入り禁止のようだった。無理すれば行けないこともないようだけど、ここは無理せずあきらめて引返した。灯台の写真が番所跡の所にあった有年宿の案内板に載っていたので撮っておいた。   12:55


■片山〜西中野
 
ここから片山集落に入って行く。
 集落の中ほど、右手に●有年(ありとし)家の長屋門が建っている。こちらの名前は地名とは読み方が違っていた。有年家は江戸時代、大庄屋を務めた家柄であった。赤穂市に残る長屋門は赤穂城内の大石良雄跡宅門、近藤源八宅跡とここの3軒しかなく、母屋と一体となって、赤穂藩の庄屋の屋敷構えを残す貴重な文化財といえる。
 その先、左手に●淳泰寺がある。鐘楼が特に印象的。その先長谷川が流れ、かっては直進して渡渉していたものであろうが、現在は50m上流の中野橋を渡る。
  13:15

 ■西中野〜上組
 
中野橋を渡ると、西中野集落に入る。
 右手畑の前に「西有年・宮東遺跡」と書かれた標柱がある。平安時代末から鎌倉時代頃の掘立柱建物跡が多数見つかったという。西中野集落の右手には●大避(おおざけ)神社がある。拝殿両脇の絵馬堂には沢山の絵馬が揚げられており、中にはかなり貴重なものもあるとか。
 国道を斜めに横切って進み、民家が少なくなって、●左側が林の細い道を進んでいく。   13:27

■上組〜坂折池
 
道は川縁に沿って進み、右手の墓地の中に●石造宝篋印塔がある。相輪を欠いて、五輪塔の宝珠、受花で代用してある。鎌倉末期の作と推定される。
 その先左手の畑の前に●一里塚跡の白い標柱がある。「東有年横尾からここまでが一里で、現在ではこの塚跡を塚の元と呼ぶ。」と書かれている。
 上組橋を渡って上組集落に入る。
   13:35

 ■坂折池〜有年峠
 
その先右手に●立場跡とされる三村家がある。駕籠が縦に並ぶように、軒を深くして、縁側の幅を細くしてあるのが特徴と案内板に書かれている。
 いよいよここからは山道に入って行くわけだが、ネットでうわさの●峠入口のゲートが見えてきた。いのししよけのゲートといわれる。3月15日まで峠内は狩猟可能で、ハンターが入って、いのししより撃たれるのがこわいということだが、今日は17日で狩猟期間は終わっている。部外者立ち入り禁止になっているが、かんぬきを外して入った。入ってから閉めようとしたが、これが案外困難で、内側からは手が入らなくて、閉めるのは不可能。上から腕を伸ばしてやっとこさ閉めた。
     13:43

 入って左手に●坂折池があり、かたわらに西国街道の案内板が立つ。有年峠は、急峻さゆえに「播磨箱根」と呼ばれていたという、難所であるが、篤姫の嫁入りの際にも通ったという由緒ある峠道である。明治になって、明治天皇西国行幸の折り、北方に現在の国道2号が造られ、通る人もいなくなって、廃道になってしまった。しかし山陽道の旧道なので、通らないわけにいかず、ネットでは通るのにさんざん苦労したとか、あきらめて、国道2号の方に迂回ししたとか色々報告があった。 しかし2010年頃地元で整備したという記事を見つけていたので安心はしていた。そうは言っても、再び荒れているのではないかと、少々の不安はあった。
 最初は●タイヤ跡が残る道が続く。脇にビニールで保護されたツバキらしき木が植えてある
。   13:49

 道はきちんと整備されて、不安は無くなってきた。入山者への注意書とか、反対にハンターへの注意書とか木に貼ってある。
 雨で、次第にずぶずぶになってきたので、用意してきたビニール製のシューズカバーを付けた。これは200円程度のもので、使い捨て。終りの頃には石でボロボロになってしまったが、案外役にたった。
 道は石でゴロゴロしてくるが、落ち葉が積って歩き安い。 だんだんタイヤ跡もなくなり、●峠道らしくなってきた。水路を越える所も何ヵ所かあったけど、ちゃんと●丸太で橋も作ってあった。地元の人に感謝ですね。   14:10

 ■有年峠
 有年峠に近いだろうと思われたところで、前方に子鹿が現れた。こちらも野生の動物に出っくわすのは初めてで、ドキっとしたが、むこうはもっとびっくりしたらしく、さっと逃げてしまって、写真撮る暇もなかった。
 ●有峠らしい地点に到達した。特に案内板がないので確かではないが、この先下りだったので、たぶんそうだろう。
 下っていくと、再び●イノシシよけのゲートがあった。ここはU字型の針金で留めてあるだけで、簡単にはずすことができた。扉を開いて、元通り針金で閉めた。入口のゲートからここまで40分程度で歩けた。   14:21

■有年峠〜梨ヶ原
 何の問題もなく、簡単に有年峠を越え、出口のゲートを出て、●右側をフェンスに囲まれた細い道を過ぎ、明るい所に出てから少し休憩。西国街道の案内板が立っていた。水分を補給してから更に進む。
 国道2号を横断し、すぐ左折する。左手に●「梨ヶ原・宿遺跡」という案内板がある。中世から近世の集落の跡で、「宿」の字名等から、「中世山陽道(近世西国街道)沿いにおこった「宿」と呼ばれる町のひとつ、「梨原宿」として、山陽道を行きかう人々でにぎわったものと思われます。」と書かれている。     14:40

■梨ヶ原〜船坂峠
 右手に常夜燈が立って、船坂神社への参道が続いている。。この先●梨ヶ原の集落の中を通っていく。古い景観が残る静かな集落だった。
 右手の空き地前に大きな●「明治天皇駐輦之碑」が建っている。
明治18年の西国巡幸された際に休憩された記念碑
    駐輦=ちゅうれん(天子の乗る車をとめて一時滞在すること)
 14:55

 ■船坂峠頂上
 この先一度、国道2号へ出て、少し行き、右手のJR山陽本線の踏切を渡る。すぐ先の二股を左に行き、線路に並行して進む。
 登り坂をずーと登っていくと、やがて●船坂峠に到着した。
 右手に●県境碑があり、「縣界 東宮殿下行啓記念 岡山縣」と彫られている。ここが兵庫と岡山の県境にあたる。
  15:20

 船坂峠は昔はもっと高い地点にあり、明治天皇行幸のめ、10数メートル削られて低くなった。そのため●両側の崖の上が昔の峠道で、右手崖上に●備前国の国境石が立っている。
 この国境石はこのままでは見ることができないが、頂上から少し先の、「船坂山いこいの広場」と書かれた新しい石碑の所から上がって行った先に立っているので、見ることができる。
 いこいの広場左手に大きな●「船坂山義挙の碑が建っている。南北朝時代、武将児島高徳は、隠岐に流される後醍醐天皇を助け出そうとして、船坂山で待ち伏せたが目的が果たせず、桜の木に後醍醐天皇への言葉を刻んだという歴史がある。    15:27

 ■船坂峠〜三石駅
 峠から●下り坂を下って行く。人と馬しか通れないような、細い、また両側からいかにも削った跡が残っている気持の良い街道である。
 左手に再び船坂トンネルの入口が見える位置で、国道に合流する。
 700m程国道と一緒になり、●右折して行く。左の国道の標識には「岡山 39km」と書いてある。今回はもっと先の吉備津まで行きたいと思っているところ。
 第一船坂踏切を渡る。ここは上り線のみの踏切である。   15:50

 船坂の集落に入り、右手に「深谷滝道 是ヨリ六町」という道標がある。少し広い道に出るが、ここが国道2号が開通する前の、旧国道という。
「亀甲橋」を渡り、やがて左手に●三石駅があった。最初気がつかなくてしばらく行過ぎて、しまったが、本日はここまでとしることにした。三石駅は無人駅で、1時間に2本の運転間隔でした。駅周辺にホテルが見あたらないので、相生駅まで戻り、駅前のステーションホテルに泊った。相生駅まで案外距離があって、480円もかかってしまった。

16:10

 山陽街道TOP  8 姫路〜相生    10 三石〜上道