山陽(中国)街道を歩く 16
                   (本郷から西条まで)
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 本郷駅-本郷橋-北方入口-尾原-日之内上-瓦坂峠-横大道-田万里-松子山峠-かご松-蔵造り-西条駅   27.5km        
 

■本郷駅~本郷橋
2012年10月1日
 今日は2泊3日の3日目。台風17号が昨日四国沖を通過して、雨が降り、難所の松子山峠を雨の中行くのがいやだったので、順序を入替えて、昨日西条、海田間を先に行っておいた。今日晴れて良かったと思う。
 宿泊した、西条駅から本郷駅に戻り、西念寺の所から歩きを再開する。 ●本郷宿に入った。少しばかりの古い家が見られる。右手の建物は左右にひょうたんのように真ん中がくびれた変った形のうだつがある。その先右手に●恵比須神社がある。鳥居の扁額に●二匹の石造りの鯛が掲げられている。こういう形のを見るのは始めて。恵比須神は鯛を抱えている姿をしているために、鳥居にも付けたのだろうか。中々しゃれている。
  8:25

  25 本郷宿
 古代から差尿道が通過していた要地であった。平安時代は蓮華王院の荘園沼田荘のの中心地でのあった。源平合戦以後、頼朝の家臣、土肥実平、遠平の父子が相模国から移住し、小早川の姓を名乗り、小早川家の発祥の地である。
 ここには広島藩営の御茶屋(本陣)が設けられた。 

 ■本郷橋~甑天満宮
 
沼田川に突き当たり、本郷橋がある。橋脇に大きな常夜燈が立っているということだったが、付近が、道路工事中なので移動されたか、見当らない。
 本郷橋で沼田川を渡る。橋の北側に見える山は右側が●高山城址、左側が新高山城址だという。
 本郷中央病院の所を右に入って行くと、右手に●「菅公御手掘井戸」というのがある。案内板によると、菅原道真が大宰府に送られる途中、この地に上陸したところ、人々は水不足で困っていた。見かねた道真が自ら井戸を掘ったところ、こんこんときれいな水が湧き出し人々を救った。人々はお礼に干し飯を甑(こしき)で蒸して差し出した。その後、このご恩を忘れないようにと丘に社を建てたのが、岸ケ丘の甑天満宮だという。●「甑天満宮」がすぐ先にある。ここも長い石段が続いており、ヤレヤレと思うが上がって行った。社殿は苦労して上がった割には、小さなものでがっかり。  8:55

 甑天満宮~北方入口
 
先に進み、右手、水田と本郷中学校の間の道の角に●「よこみ寺址 右は髙木山城址」の道標がある。横見廃寺は、発掘調査により、寺域は東西約100m,南北80m前後と推定され、白鳳期の造営とされる。国指定史跡。
 梅木平(ばいきはら)古墳入口」の標識に従い、右に入って行と、本郷中学校の裏手に●梅木平古墳がある。県内最大規模の横穴式石室を持つ古墳で、石室がむき出しになってしまっている。       9:15

■北方入口~尾原
 北方入口から梨和川を渡り、尾原川に沿って行くと、だんだん●山沿いの道になってくる。
 このあたり古墳への案内があちこち立つので、古代から開けた地方であるように思う。所々地蔵が立っている。
 右手に古い木造の洋館が建っている。●「南方村 村役場 農業会 農協 之跡」である。今は「みとしろ館」という老人集会施設になっている。     9:45

 ■尾原~旧道入口
 その先に「史跡御年代(みとしろ)古墳あるが、遠そうなのでパスした。
 その先に「史跡貞丸古墳」と書かれた看板があり、すぐ脇であるので入ってみた。大日堂が建っており、奥に●貞丸第2号古墳がある。境内にある大きな石碑の台座には大日堂家形石棺の蓋が再利用されている。
 次に進むと、右手の宗長神社の境内左手には三原市指定史跡、●二本松古墳の石棺が復元保存されている。神社の脇から国道のすぐ上を進む、草道がありこちらの方が旧道と思われる。ここは廃屋にぶつかり、国道へ出て行く。しばらく歩くと2号線が右にカーブする先に、●左斜めに伸びているの細道が旧道と思うので、ここに入っていく。   10:23

 ■旧道入口~山陽サテライト
 ここが本日の最初の難関で、廃道同様になっており、藪こぎしなければ進めず、猪よけの板もあるというので、覚悟を決めて進んだ。 最初は、●はっきりとした山道が続き、そのうち●雑木や倒木、藪が行く手を阻み、両手で払いながら進むことになった。ここまでは事前情報の通り。
 しかし、いくらも掻き分けない内に民家の前に出た。回りはきれいに整備され、例の 猪板などは見あたらない。次に右、前方の道と思えないような所に入ると、右手にお墓がある。その先右手の国道へ降りて行く道には、たしかにブリキ板で遮断されている。その左側は笹薮が伸びており、前が見えないが、そこを強引に進むと、訳なく●山陽サテライトの駐車場脇に出てきた。 ・・・・ま、たしかに人が通るような所ではなく、藪こぎの必要があるが、そんなに大変な道とは思わなくてすんで、良かった。 
  10:45  

■山陽サテライト~瓦坂峠入口
 
サテライト山陽はケイリンの場外車券売場で、環境問題で市内に設置できず、僻地のような場所に、できたのだろうと予想される。が、街道歩きの者には適当な休憩場所で、トイレ、食堂もあって都合が良い。
 国道2号の「日名内上信号」の角に●「旧山陽道」の看板がある道が(県道49号)北西に延びており、そこを行く。
 途中で右に曲って、ぐるっと山道へ入り、その先の同じ●49号線のトンネルをくぐる事になる。左側に廃車された車が1台捨ててある。向側は瓦坂峠の入口だけど、こちら側から覘いても、すでに藪が人の高さ位に生えていて、先が見えないくらいになっている。こりゃ大変だと思った。   11:10

■瓦坂峠入口~横大道
 
トンネルを抜け、●藪の中に突入した。足元は笹で覆われ、強引に足で分けていかないと先に進めない。 目の前に蜘蛛の巣が繰返し現れた。顔にくっつくと、気持悪いことおびただしい。蜘蛛の巣を避けるため、しゃがんだり立ったりしながら、藪こぎをして進む。
 きれいに整備されているとの情報もあったのだけど、夏休みが終った為か、元の廃道に戻ってしまい、先のサテライト手前の道より数倍、手に負えない。
 水路もあって、ぬかるみ、足を突っ込んで、ベチャっとなったりした。道であるよ、という感覚はあるので、それを頼りに20分くらい格闘していると、やっと空間が現れて、●瓦坂峠頂上かと思われた。その先は、まあまあ快適な●林間道の下り坂が続く。石畳の道もあったりした。回りの景色なぞ見る余裕も無かったね。    11:30

■横大道~大橋
 
やがて●横大道の集落に出た。左手に大きな●地蔵尊がある。寛政7年(1795)の銘がある。右角には、道標があり、「東大坂 西廣島 道」「明治三十二年」と刻まれている。
 「横大道橋」で葛子川を渡り、国道に沿って進んで行く。賀茂川の段丘だろうか、こちら側が国道より高くなっているので、見晴しが良い。このあたり、●石垣を備える家やレンガ造の家、棚田などが続いている。宝貴橋の所にコンビニが見え、食料を仕入れてないので、寄って行った。少し先から旧道に戻ったら、水ヶ谷神社を通過してしまったようだ。大橋の所で国道にぶつかり、大橋を渡って、すぐ右折し、四万里川に沿って進んで行く。   12:00

■大橋~間の宿跡
 
●田万里川沿いの静かな道が続く。左手に●田万里往還の標識が立っている、田万里は本郷、四日市(西条)間の間駅として、往時の賑わいは、山峡の小村にあっては、たいそうなものであったという。 左手に祠に入った地蔵がある。その先の地蔵は「いぼ地蔵」というらしいが、表示板が摩滅して何も読めない。左手に●「旧山陽道 茗荷ノ清水」と書かれた案内表示があり、水溜りであるが、水がきれいではある。この先に「茗荷清水」という名前の清水とは別物という。    13:00

■田万里(間の宿跡)
 
国道の「田万里市バス停」当りの、南側で、道は半円形を描く。左折する角の家は●江戸時代の旅籠の跡であるという。 案内板があり、・・・田万里市は旧山陽道、四日市・本郷の間駅として知られた宿場である。 幕藩期には本陣、問屋、旅龍、茶店が軒を連ね戸数三十五戸余りの集落が形成されていた。明治期に入っては、郡内最初の郵便取扱所や羅率屯所が設けられ駅制廃止後も交通の要所として賑わった。・・・・とある。その隣の家は●「明治時代最初の郵便取扱所、後の郵便局跡」の看板が架かっていた。    13:05

■田万里~薬師橋(国道迂回路)
 
更に田万里川に沿って進み、国道の●「田万里橋信号」までやって来た。国道を渡らずに左のトンネルを進んで行く。トンネルをくぐって、国道に沿って進み、次のトンネルをくぐり返すと、「銀山橋」の所に出る。
 橋を渡らず、そのまま田万里川に沿って進むと、だんだん●山間道を上るようになってきた。山間道を行くと、左手に●茗荷清水跡がある。屋根つきの小屋で覆われているとい事前情報だったが、小屋は無くなって、むき出し。 標柱の隣に・・・「音に聞こえし茗荷の清水、三原御前酒におとるまい」・・・と「芸藩通誌」に称えられた文章が彫られた石柱が立っている。
 さて、この先は松子山峠への入口へ至るために、国道を2本強行横断する必要がある場所である。  13:58

■薬師橋(国道迂回路)~東広島呉道
 
「ひげの梶さん」の本では土蔵がある家と隣の間に延びる旧道を国道に向って上がり、国道を2本渡るという説明になっているのだが、回りを大部、探って見て、結論的に行くと、ここは全く進めない。詳しい経路を空中写真により説明しておいた。・・・・・・・・・
 そいう訳で旧道を歩くのをあきらめて、迂回路である●薬師橋を渡り、1本目の国道を過ぎる。
 国道の間を進み、2本目の国道のトンネルをくぐると●三永の石門という旧蹟がある。1882年。国道2号の敷設によって、それまで使われていた農業用水路が分断されるため、国道を跨ぐようにして造られた水路橋であった,その後解体、現在の場所に移築されたもの。秘伝の石積みによるものだそうだ。迂回路だけど、これが見られて良かった。   14:20

 ■東広島呉道~松子山峠入口
 国道をずーと戻って、旧道に出て大明神社の脇を通るのが筋とは思うが、まあいいかと、三永の石門の所から近道で大多池へ来た。
 ●大多池(田尾池?)右脇道が旧道で、舗装されており、林間道が続いている。
 やがて●東広島自動車道のトンネルが見え、これをくぐって進む。左へ折れて、後ろを見ると、一里塚らしい塚がある。
    14:45

 後ろは小公園になって、●日向の一里塚がが左右両塚共復元されている。
 さて前を向くと、細い舗装された道があって、ここがこの日一番の難所、●松子山峠の入口になる。
 100mくらい先に、また例のように雑草が肩くらいまで伸びているのが見え、奥が見えないようになっている。ヤレヤレまた藪こぎかとがっくりきた。、ここは地元の尽力で整備されて歩きやすいこともあるという情報もあるが、瓦坂峠と同様に時期はずれで獣道に戻っていると見た。ここは覚悟して進んだ。

■松子山峠~かご松の碑
 峠に突入した。「ひげの梶さん」お薦めのスーパーの袋、3枚持ってきてあったのだけど、ま 大丈夫だろうと、靴に付けなかったのが、まちがいで、●下はぬかるみ。足元の笹はそんなに多くなかったが、細い木が手強く、折って進むわけにいかず、よけながら藪こぎをしながら進む。
 方向がわからなくなるので、時々GPSの経路を確認し、倒木が結構沢山あり、蜘蛛の巣も顔面に現れるので、しゃがみ込みながら、よけながら強引に進んだ。それでも●いくらか道はわかり、迷うことはなさそうな感じはする。途中、案内表示があると聞いていたが、1枚も見当らない。雨で落ちてしまったか?。
 左手前方の池の所でコンクリートの低い壁に出会った。手前に水路の管のような感じで壊れた管があったので、それに足を架けて壁を上ったら、池の右手に道が延びていた。やがて●峠の頂上に到着した。右手に「旧山陽道松子山峠」の碑が立っている。25分位経過している。さすがにぐったりした。街道歩きも大部歩いて来たけどこんな所は始めて。山陽道最大の難所とはよく言ったもの。   15:15

 ■かご松の碑~今宮神社
 頂上からの道は細いながらも、しっかりしたものになってきて、藪こぎの必要は全くない。きちんと整備されている。石畳の場所もあった。早く出たい気持もあり、どんどん進んだ
 峠の入口から出口まで50分ほどかかっている。
 峠の出口から、舗装道路へ出て、緩やかな下り坂を下って行く。左手に●「カゴ松の碑」が立っている。大きな松があって、参勤交代の殿様も駕籠を止めて休んだので「カゴ松」と呼ばれるようになったという。
 左手に●「今宮神社」がある。ここに「牛宮神社「ともいい、面白い伝説が残る・・・・「昔、ほうろくを商う男が今宮神社を通るとき、そこにいた弱った牛に自分の弁当を食わしたが、結局牛は死んでしまった。哀れに思って体をさする大判小判に変わり、男は牛満長者と呼ばれるようになった・・・・」という。15:50 

 ■今宮神社~西条酒造通り
 吉士実信号を過ぎ、土与丸の交差点を過ぎると、左手に賀茂泉酒造の赤いレンガの煙突が見てえて来て、●「酒造通り」と呼ばれる通へ入って来る。街道の両側やその奥に、賀茂泉酒造、福美人酒造、賀茂鶴酒造、白牡丹酒造など沢山の酒造場が並んでいる。右手の亀齢(きれい)酒造の●白い藏のナマコ壁は特徴的で美しい。西条は、灘・伏見と並び、銘醸地として知られており、西条駅の周辺では、現在も8社の蔵元が醸造を続け、酒蔵通りは経済産業省の「近代化産業遺産群続33」というのに認定されているそうである。  16:25  

■西条酒造通り~西条駅
 
●亀齢酒造では「万年亀井戸」と名づけられた水が流れ、同様に「天保井水」や「四日市冥加水」と呼ばれる各々の醸造元の水も自由に汲めるようになっている。
 街道から少し入った右手に●「西条四日市本陣跡」がある。 江戸時代、西条は四日市と称し、「旧山陽道最大の宿場として栄えた。重要な大宿駅だったので、浅野藩が直営で御茶屋と呼ばれた本陣同様の建物を設けた。建物は明治維新後に壊されたが、賀茂鶴酒造により復元されたもの。
 この後、予定が台風により、前後したが、2泊3日の旅が終り、西条から広島回りで新幹線で帰った。     16:40  

 26 四日市(西条)宿
 西条の名前は条里制の西半分に相当する地域を指すことに由来する。戦国時代は四日市、江戸時代は四日市次郎丸と呼ばれる地域に宿が置かれたので、宿名としては四日市宿と称する。本陣と脇本陣が置かれた。
 安芸国最大の三ツ城古墳があり、大豪族が存在した地域であり、西条駅北東に安芸国分寺があった。 

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