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34 白石宿 斎川宿から1里15丁(5.6km) 白石城下の宿場。 本町、中町、長町、亘理町、短ヶ町、新町の六町からなり、 長さ13町(1.4km)、家数は約200軒であった。 |
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2019年6月12日の続き ■白石中町~亘理町 当信寺の所を右折した街道は本町大通商店街を通り、●中町交差点が見えてきます。ここは鈎形にずれて、城下町らしい痕跡を残している。 ●中心街へ入って来ました。 平日だけどシャッターがしまっている店が結構多いし、アーケードになっていて、●右手の骨董店など蔵造りなのだけど隠されてしまっている。左手奥に蔵王酒造の蔵などが見えます。 途中の沢の流れは沢端川で、白石城の外堀でもあった。 宿内には「市神」が6つの商人町毎にあったといわれるが、探す時間も無く、一つも見つけられずに終わりました。 ●亘理町丁字路を左折します。 本来は正面の歯科医院の裏手を左折するようですが、消滅して、ここを曲がるしかありません。 16:50 |
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■白石川土手~世羅修蔵墓 白石川は舟渡しで渡っていて、白石大橋の左手で渡っていたという。現在は●白石大橋を渡るしかない。 渡って左手へ少し行くと高台に●関ヶ原の戦いの際、伊達政宗が上杉勢を攻めた陣場跡と●奥州鎮撫総督府参謀長州藩士世良修造の墓がある。説明板 福島神社脇の世良修蔵の慰霊碑で見てきたとおり、世良修蔵は、福島の妓楼金沢屋にいたところを仙台藩士に襲われて、阿武隈川河畔で斬首された。首は白石市森谷の月心院に葬られたが、明治3年に現在地に改葬された。 墓前に木戸孝允が献灯した石燈籠がある。 ここまでで本日は終了し 駅前のホテルへ戻りました 17:20 |
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■白石市福岡~白石IC 国道脇を進み、やがて橋の両側に青と赤のこけしが乗った橋を渡ります。 児捨(こすて)川に架かる●児捨川橋という。 児捨川とはすごい名前と思ったが、渡った先に 説明板が架かっており、 児捨の名前の由来が説明されていた。 この地の人々は白鳥を神として敬い、その思いが「日本武尊」の伝説へ結びついていったようだ。 尚 説明板に載っていた白鳥の写真の現物をこの先の刈田嶺神社で見ることになりました。 国道の方は一段高くなっていて、 その先でトンネルをくぐって左手へ出ます。 最初の交差点を左に入ると、すぐ先右手の高台に●深谷地蔵堂があり、その手前に●鎌先への道標がある。苔むして読めないのだが、「これより かまさき道 元禄五壬申年」と刻まれているらしい。 国道はやがて●白石ICへの進入路が集まる所へやってきます。 本来、歩行者は迂回すべきところなのだろうけど、左手の進入路への車だけ注意すれば、4号自体は真っ直ぐ進んでいて、左側を歩けるスペースもあるようだし・・・と思って、進んで行ったら、なんのこともなく通過できました。 9:05 |
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■白石IC~宮 街道は白石市から蔵王町に変わります。左手に大泉記念病院がある。その先、●「宮」交差点で左斜めへ曲がると「宮宿」です。 左手の空き地に●馬頭観世音や庚申塔などの石塔群が並んでいる。 左手、「宮小学校」の入口に●大正12年の「小野訓導殉職記念碑」があります。 説明板 大正11年、宮城県女子師範学校(現東北大教育学部)を卒業して、宮小学校に赴任した小野さつき先生の殉職記念碑で、着任したばかりの先生が白石川で野外活動中に溺れた3人の児童のうち2人まで助けてもう1人を助けようとして力尽きて殉職したという。 左手の●大きな民家が本陣跡ではないかと思います。左の隣家の庭に「明治天皇御駐蹕之碑」がありました。 9:30 |
35 宮 宿 白石宿から1里28丁(7.0km) 別名刈田宮宿という。刈田嶺神社が地名の由来となった宿場。古代から川崎~笹谷峠を経て最上へ向かう笹谷街道が分岐していた。 本陣1 |
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■宮~刈田嶺神社 宮宿には蔵屋敷や門構えを備えた旧家などがちらほらあって、宿らしい雰囲気が感じられます。左手に●海鼠壁の倉店があります。 宮信号で県道は右折しますが、街道としては少し北側を右折していました。現在は消滅しているので、県道を進むしかありません。 県道を行く前に、宮信号をそのままそのまま直進して、刈田嶺神社に向います。 ●刈田嶺神社は、式内社の格式を持ち、祭神は日本武尊。 由緒書 片倉家、伊達家や奥州藤原氏も保護したそうだ。 堂々とした 随身門 を持ち。本殿は宮城県の指定文化財。 また 本殿の後ろに●白鳥の姿を刻んだ石碑群がある。この地方の白鳥信仰の現れで、この地方以外では見られないという。 ここに先ほどの児捨川にあった説明板掲載の白鳥碑の現物がありました。 9:45 |
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■向山~観音坂 県道を東へ向かい、宮大橋を渡る。 ●「向山」交差点で国道を越えます。 向山工業団地へ入り、右手にコカコーラの派手な工場があったりします。 コカコーラの先のT字路で一度右折しますが、 歴史の道調査報告書によると、その先で旧道は国道4号を跨いで、3回ジグザグに曲がります。 まずその旧道は見つからないと思うので、。T字路をいったん右折した後、直ぐ先の●武田工務店の前で左折して、国道に出ました。 ●国道4号は改修されたかで、広々として渡るのも難しい。 旧道の跡をたどるのは不可能と思いました。 右手に名残のように●観音堂が小山の上に建っています。 10:32 |
36 金ヶ瀬宿 宮宿から1里12丁(5.2km) 西側の本町に白石城主片倉氏の足軽百姓が住み、境界警備と伝馬役を担当していたが、さらに享保6年に東側の新町に仙台藩の百姓が移住してきて、現在の金ヶ瀬宿形成された。 |
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★大高山神社 左折すると、左手高台に●大高神社があります。先ほどの遊歩道から来ることもできます。 式内社で、敏達元年(571年)の創建という。祭神は日本武尊、 この地方の白鳥崇拝は同社が発祥といわれている。 大正3年にここに移転してきた。 鳥居は寛政13年(1801)に南蛮鉄で鋳造されている。本殿は 端正で美しい。江戸中期ののものという。 境内の●鉄九輪塔は 文治年間、奥州藤原氏、秀衡の三男である藤原忠衡が寄進したものと伝えられています。 今は原型は見られず火袋部分だけが残り、灯籠型に作り変えられています。 また神仏習合の名残か●鐘楼もありました。 神社の鐘楼は不似合いです |
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■金ヶ瀬~大河原 宿を抜けると正面は●さくらショッピングセンター。 ケーヨーデーツ-、ユニクロ、カワチなどがずらりと・・・ 街道は国道に沿っています。カワチの裏手に、場違いな感じで●薬師堂と板碑群があります。説明板 板碑は全部で16基。 一番古いのが文保2年(1318)で郡内最古だそうだ。 国道に沿って進み、ショッピングセンターの外れで国道から裏通へはずれます。 ●県道110号に入り、突き当たる所が裁判所前、この辺りが一里塚のあったといわれる。 突き当りに●如意輪観音堂があります。 この地は奥州街道大河原宿の西入口にあたり、白石川の渡し舟によって角田・亘理道に通じる要衝でもあったので、境内の広場は旅人のよい小休所となったという。 さて本日の行程が長く、本頁も長くなりそうなので、次の大河原宿から次頁へ移ります。 12:50 次頁へ |
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006 藤田-白石 | 007-2(岩沼まで) |