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2019年9月25日 画像をクリックすると拡大します 昨日は大和パークホテルに泊まりました、2食付きで手頃な値段で大満足です。本日は距離が長くないのでゆっくり目に出ました 街道に戻る前にホテルから南へ少し下がった所にある天皇寺へ寄っておきます。 天皇寺は吉岡を開府した伊達宗清の墓所となっている寺で、まず名前が珍しいと云うか大層な名前であります。 ★天皇寺 まず●茅葺の仁王門がきれいで好ましい。正面に●本堂 左へ行って墓地の中に入ると、●伊達宗清の墓があります。伊達宗清は伊達政宗の三男で、城下町吉岡を開府した吉岡城主だった人物。 案内板 墓の様式が五輪の塔と思うけど、ひょろっとした変わった形をしている。 奥に●飯坂の局の墓というのがあって、飯坂の局は伊達市の分流、飯坂宗康の次女で、政宗の側室となり、伊達宗清の養母となっった。 案内板 本道の裏に●ひさご池があります。秀吉の「千成瓢箪」にあやかって、またご機嫌を取る為か、各地にひょうたん池が造られたそうだが、徳川の時代となってから、罰が悪くほとんどは取り壊されたが、徳川に逆らってか、あえて残された貴重な池といわれます。 9:15 |
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■桧木交差点~松島道追分、吉岡宿入口 前回終了した●桧木交差点へ戻りました。 道下」バス停の手前、ラーメン屋さんの前に●一里塚の看板と生け垣があります。案内板がかすれて読みにくい。一里塚の前には「奥道中歌」と題する碑がある。仙台宿・国分から一関宿の宿場を詠み込んだもの。 その先の●十字路は松島道(日本三景の松島)追分です。 旧道はこの信号で左折して吉岡宿に入ります。交差点を右へ行くと松島道(現県道3号線)で、直進方向は一関方面でです。 往時は追分地蔵道標があったが、宿内の九品寺に移設されている。 9:35 |
47 吉岡宿 富谷宿から1里32丁(7.4km) 映画「殿 利息でござる!」で有名になった宿場。 元和2年(1616) 伊達家三男伊達宗清の吉岡入りにより黒河地方の中心として発展した。奥州街道と出羽街道の二重の伝馬役を課され苦難の道を歩んだ。 |
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~上町 ●右折してすぐ左折、上町に入る 左手に●浅多屋商店。 掲示されたポスターでは滝多商店は映画『殿、利息でござる!』に紹介される「滝野屋」からのれん分けをされたという店 突き当りの手前右手が以前コンビニがあったという本陣跡。現在は●「吉岡宿本陣案内所」というのが造られていました。 興味あったけど時間を取られるので、通過して●突き当りを右折して、中町に入ります。 9:50 |
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■上町~仲町 その先、左手、七十七銀行の手前に、●今にも崩れそうな蔵が一つ。先を右手に進むと吉岡八幡神社があります。隣は吉岡小学校。左へ境内に入っていくと、右手に 珍しい木造の建物が見えて、学校の体育館かな思いましたが、 調べると●「大和町武道館」というのだそうで、昭和5年、「吉岡小学校」の講堂として建てられ、体育館や集会場として使用されている。正面の方が美しい。 ●吉岡八幡神社は黒川総鎮守。宗清と共に現在地に移転してきた。 ●朱塗りの随身門は明和元年(1764)造営。 ●社殿は昭和63年、落雷により焼失して、現在の社殿は平成元年の再建になる。 その先は街道に戻らず境内の先から下町の方へ出てしまったので、途中の上州屋、大ケ森屋、高札場跡とか見られずじまいでした。 9:56.. |
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■松本橋~中央平 突き当たりを右に曲がって、左折すると●●昌源寺があります。天正9年(1581)の開山で、寛永12年(1635)伊達家家臣戸田定隆が現在地に開基、同氏の菩提寺とした。 ●昌源寺前の砂利道を行くと、「奥州街道の歴史にふるれ散策路の整備」という案内板がたっている。 これから先が問題で、もみじ広場までの奥州街道は「第二仙台北部中核工業団地」によって喪失してしまったと云われ、代わりに散策路と公園をつくりましたと説明されている その為最初から「万葉クリエイトパーク」まで、迂回するつもりでいました。 先人の歩いた情報を色々探ってみたのだが、団地造成前か、造成中のことばかりで、 「クリエイトパーク」右側の「村道大日向線」を迂回している多く、 自分もその通りにしました。 現在、帰ってから最近の情報を見てみると、「クリエイトパーク」の東側、「すかいらーくMDセンター」右側あたりから旧道が残っているらしいことのようですが、後の祭りで通れませんでした。 というわけで●昌源寺案内板の先の草地の中を上がって「村道奥田工業団地西線」へ出ました。ここは標識がほしい所ですね。 10:45 |
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■大衡城~県道57号~古井待 村道に戻って、馬頭観音などが置いてあるという「中央平公園」がわかりませんでした。 大衡こども園前が公園らしかったけど、ここも案内板くらいあって良いかなと思います。 ●県道57号を通って、●万葉クリエイトパークの中を散策して見ました。案内図 「トヨタ紡績東北」の左側、「村道大日向線を通って、●バス道へ出ます。 途中で無くなった旧道が合流してくるはずの道です。 11:54 |
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■古井待~駒場・須岐神社 ●戸口バス停付近で県道16号線と合流します。 戸口バス停反対側に 一里塚の案内板があります。●雲泉寺前に一里塚があったといいます。このあたりは●駒場といい、奥州合戦の際、頼朝がここに陣を置いて兵をねぎらったとことに由来すると伝えられる。 この先の左手に●須岐神社がある。 式内神社で黒川郡四社の一つ。祭神は素盞鳴尊。 式内社らしく社殿はすっきりとした風格ある形で好ましい。 12:45 |
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■御殿森橋~大豆板 御殿森にあるという「明治天皇鑾輿航渡聖蹟碑」をうっかりして見落としました。 全く、一人で歩いていると、ちょくちょく見落としてしまうことが多くて、帰ってから後悔しきりです。 県道に進むと●左側がかなり開け眺めがいいです。 ●急な坂を下ると、●国道4号線との交差点・大豆坂交差点に出ました。 14:12 |
48 三本木宿 吉岡宿から3里10丁(12.9km) 鳴瀬川に面し川を挟んで南側が南町。北側が北町として発達した。宝永17年に宿場として成立。南側に大崎氏の家臣、渋谷氏の桑折城があり、北町の端に本陣があったが、外の宿駅関連施設も含めて、河川改修で失われた。 |
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■北町~国道4号・多田川 ●三本木橋を渡り、●北町に入ります。 北町の端には御仮屋(本陣)があったが河川改修で失われてしまったといいます。 右手に門構えの旧家があり、左手に●蔵を備えた重厚な屋敷があります。 隣の「ささくに」という衣料店の屋敷のようです。 最初 新澤醸造店かと思ったら、この先に店があり、違いました。 新澤醸造店は東北震災で製造蔵が倒壊して建物が新しくなっていました。この先で●国道4号線に合流します。 15:30 |
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■多田川~祇園八坂神社 多田川橋で●多田川を渡ります。その後、ひたすら国道を進み、●鴻巣の交差点の手前より左へ国道は曲がって行き、街道は●真っ直ぐ進みます。 右手に鳥居が見え、「日本三社之一宮大崎之郷総鎮守 祇園八坂神社」の社号標が立ち、参道は長そうで、足も痛み出したので止めようかと思ったが、エイとばかり、行ってみました。 天慶3年(936)、藤原秀郷が東夷征討の武運長久を祈願する為、京都祇園社より勧請し、京都祇園、鳥取祇園と共に日本三祇園の一社とするという。 その割には●社殿は小さく、境内も狭い。ここにも鐘楼があった。16:17 |
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■祇園八坂神社~諸絶橋 陸羽東線の踏切を越えて進むと、左手に●西宮神社。・・・本来神明社と称して伊勢神宮の遥拝所として陸前七神明の一社に上げられた社であり・・・・ 長いので 案内板 その隣が●瑞川寺。 荒廃していた寺を伊達政宗の重臣鈴木元信が再興した寺であり、●風格のある山門は古川城の搦手門を寺門風に改築して寄進したものという。 先に進むと歌枕の地として有名な●緒絶橋があります。 下を流れるのが諸絶川。 脇に藤原道雅の・・・「みちのくの をだえの橋や 是ならん ふみみふまずみ こころまどはす」・・・という歌が書かれた案内板が立っている。 元来、川が氾濫し、以前の川筋が変わって、取残されてしまった川のことを「緒絶川」と呼び,そこに架かる橋を諸絶橋と呼ぶらしいが、 この地の場合、・・・嵯峨天皇の皇子が東征のために陸奥国へ赴いたが、その恋人であった白玉姫は恋しさに、皇子の後を追うようにこの地に辿り着いて、行方がわからなくて、意気消沈した姫はそのまま川に身投げをして亡くなってしまった・・・という悲恋物語によるという。 16:50 |
49 古川宿 三本木宿から1里20丁(6.1km) 古川は大崎平野の中心に位置し、古代には多賀城の前線基地である玉造軍団が置かれた。中世は大崎市の拠点だった。 宿場は慶長後半に旧古川城下に整備され、三日町、七日町、十日町から成る。御仮屋、外人屋などは七日町にあったが残っていない。 |
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~十日町交差点 交差点を右折すると●七日町となり、本陣、問屋などがあった中心地だったけど、面影はもうありません。●十日町交差点を左折して街道は進みますが、今日はここで終わります。ホテルはこの先の「プラザホテル」でした。 17:05 |
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009 仙台~吉岡 | 011 古川~築館 |