011 古川宿から築館宿へ   歩行地図
 十日町-江合橋-荒谷-羽黒山-高清水-瀬峰-旧道入口-力石-築館IC-照越-赤坂-宗林寺-築館 21.94km

2019年9月26日 
■十日町交差点~古川江合寿町 画像をクリックすると拡大します
    奥州街道3日目。 今日は築館までの予定ですが、2日で50km越えて来ているのでかなり足に来てますね。 ホテルを8時に出て、十日町交差点に向かいますが、地図を見ると交差点南側に●金谷不動尊というのがあるので、寄ってみました。県道脇の小さな三角形の敷地に押し込められている小さなお堂がありました。由来などはわからずです。
 昨日終了した●十日町交差点。 今日は南から来ているのでここは直進します。 こちらの道は●四季彩通という名前が付いていて、歩道も広く花壇もあったりで気持ちが良い。 しばらく進むと「ドラッグヤマザワ」の駐車場の角に●明治天皇観農遺蹟碑というのががありました。明治9年の行幸の際、このあたりで農業の様子を見学した記念碑だと思います。かなり立派な碑です 8:37

■古川江合寿町~江合橋
 すぐ先の●八幡神社参道はかなり長い。奥に●社殿がある。前九年の役の末、康平6年(1063)源義家が陸奥の阿部貞任を征討し、凱旋の折、騎馬をこの地に駐め、岩清水八幡から勧請したと伝えられている神社。
 この先右手に●立派な門構えの旧家があった。左側に●茅葺屋根の建物が垣間見えます。 裏手の老人保健施設の経営者の屋敷ではないかと思うけど。   9:48

■江合橋~二ツ江バス停
 ●江合橋を渡ってすぐ左折。寛文6年(1666)、橋が架けられたのは、現在の江合橋の少し上流側とのことであったので、街道も少し上にずれていたと思われます。 その為橋を渡って左折して旧道へ向かいます。 堤防伝いに進んで、旧道が合流する●二股は右へ回り、●三ツ江」バス停の先を右折します。県1号を横断、●東北新幹線手前で左ヘ進みます。  9:05

■二ツ江バス停~竹ノ花
 8分程で●休塚の追分へ。 右手は県道15号で、旧道は左の狭い方へ進みます。 分岐の正面に●「聖骨傳真居士」と刻まれた石碑がある。  裏はブロック塀が邪魔して見えないが、「東 田尻、西 古川、北 荒谷」と刻まれて、追分石を兼ねていたという
 追分を左に行くと、 「延慶の碑」の標識があって、左に折れて行くと小さな神社の境内に●「延慶の板碑」と呼ばれる板碑があります。 延慶2年(1309)に建てられた供養碑という。 右側に「古碑トシテ保存ノ価値アルト認ム」という昭和5年宮城県学務部の碑があった。 その先で左右にカーブして行き、狐塚地区に入り、左側に●天満宮があります。鳥居が真っ赤で新しい。  9:25

■竹ノ花~荒谷
 ●国道4号線に合流。 右へ進むが、 この先左へ入るので国道を渡っておきます。 歩道脇によく見る明治22年の●仙台まで「十二里」の道路標があった。 直ぐ先、●斗瑩稲荷神社参道入口の看板が立っている分岐を左手に入ると●荒谷宿です。
  9:35

50 荒谷宿
 古川宿から1里13丁(5.3km)  慶長後半から元和にかけて町が成立。荒谷は戸数40~50軒。宿駅としては商人宿が1軒あるだけの小宿だった。

■荒谷~斗瑩稲荷神社
 荒谷宿は戸数40~50で、宿駅としては商人宿が1軒だけの小さな宿場であった。 右手に「明治天皇聖蹟之碑」があったようですが、気がつかず通過。
 左側の●荒谷郵便局があった所が本陣跡とか、庄屋跡とかの説があります。 町外れの県道の左向こうに森が見えて、斗瑩稲荷神社だろうと思い、遠くて少々面倒ながら向かいました。 田尻川に架かる稲荷橋を渡ると、●●斗瑩(とけい)稲荷神社があります。ここは源義経が創建したとかの伝説があり、入口の由来記が古くて読みにくいので、 こちら をどうぞ 
 また幕末の有名な剣客千葉周作の縁地ともいわれている。 周作(幼名於菟松)は、5才頃、父幸右衛門に伴って陸前高田より斗瑩稲荷神社下に居を構えて、15歳で江戸に上がるまでの10年間、父に剣術の手ほどきを受けたと伝わります。 神社の下の田尻川の土手に●周作ゆかりの地の案内板が立っていました。 10:15

■斗瑩稲荷~御前水
 街道に戻り、田尻川を渡ると、国道4号線と合流します。左手が● 羽黒山公園といって春の桜と、秋の曼珠沙華の名所だそうです。 なるほど曼珠沙華が満開で10~15万本もあるとのこと。 羽黒山の上に●恵水不尽碑というのがあります。元禄年間(1688~1704)、伊達藩の新田開発に関係する碑でありました。 
 その先、国道4号を横切って●旧道に入ります。 車も通らない静かな街ですが、800m程で国道に合流します。
 この先、分岐のある「立街道」という所まで国道4号を排気ガスを吸いながら、延々と行くのだけど、国道を挟んで左右に旧街道が残されているのだそうだ。 そんなこと気がつきませんで、 ただ1ケ所、●御前水バス停という所の左手、工事現場の脇に●「明治天皇御野立所」碑があった。 明治14年東北巡幸を記念するものでしょう。 11:30 

■御前水~高清水・中町
 国道4号とは●立街道という所で分かれて、そこを真っ直ぐに進み、台町交差点を左へ進み、●坂を下って2つの川を越えて行くと●高清水宿です。 文化年間の家数90軒で、本陣、検断屋敷などがあったが、遺構は残っていない。
 宿内に入る前に、右手へ入って、300m行くと、高清水中学校入口脇に●「高清水城址碑」が建っています。 一帯が城跡で、天文年間(1532~)奥州探題大崎氏の一族・高泉直堅により築かれ、亘理氏、石母田氏と城主が代わり、明治維新後は栗原県庁が使用し、明治6年高清水小学校として開放された。 尚、高清水中学校は廃校になってしまって残念です。  12:15
51 高清水宿
 荒谷宿から1里9丁(4.9km)  宿の名前は高台の地に多くの清水が湧いていたことによる。かっては高清水七清水と呼ばれる泉があった。宿としては本町、中町、荒町からなり、寛永18年成立した。本町に肝入屋敷や札場が、中町には本陣泪屋、新町に検断屋敷があった。

■仲町~新町
  街道に戻ってから、逆に少し戻って、仲町バス停を三叉路を右折(西へ)行った正面に●牟良佐喜神社があります。 創建は明らかで無く、京都紫野の地から分座して紫野大明神と称した。境内には元和元年(1615)に植えられた「鷹の杉」、宝暦11に建てられた芦東山書による庚申塔等石塔群など置かれています。 神社の裏手に●小山下公園という小さな公園があって、高清水七清水の一つ、小山下清水跡になるが、水は涸れているようでした。
 街道に戻って先に進むと右手に●まるさん醤油醸造元の看板の架かる旧家があります。 その先郵便局の前に「 明治天皇御憩所碑」の標柱があるが、鉄柱の細い柱の上に、さびてしまってほとんど読めない状態です。
  左手にある●福現寺は仙台藩重臣の石母田家の菩提寺です。 それ以前は、亘理家の菩提寺で安楽寺と呼ばれていた。 亘理家4代の墓標が今も残されている。  12:40

■新町~瀬峰・旧道入口
 新町交差点を過ぎると、宿外れで左手ので左手の愛宕山公園を上ると、「奥州善光寺」があります。藤原基衡が父清衡の菩提の為、信州善光寺を模して保安年間(1120~)に建立されたとされている。 遺構としては●阿弥陀如来堂があるくらい。 境内に●「北条塔」があって、鎌倉幕府最後の将軍、北条高時が新田義貞に敗れて自害したのを悼み、北条の縁者が建立したと伝わります。 その後、国道4号に合流し、右折。 ローソン先の三叉路で右へ入り、八重壁方面へ向かいます。 旧街道がそのままの形で残されているというので期待が高まります。入口がわかりづらいといわれ、標識を見落とさないように注意しないといけません。 
  ●右へ入ったバス道は歩道の割れ目に沿って雑草が生え、いかにも手入れが悪い感じがします。 バス道は左へ行ってしまい、そこを過ぎると細い切り通し道となり、民家手前に●旧奥州街道入口がありました。 小さな案内標識が立っています。  13:45

■旧道入口~力石
 ●左手へ上がる草ぼうぼうの山道が旧奥州街道で、高清水(栗原市)の史跡として保存整備されている。 旧道の要所に立つ 案内標 は有壁まで立てられていて、そのまま信用できて旧道は有壁まで歩けて感謝です。
  右側に●石の道標が建てられて、 「旧奥州街道、左力石、右八重壁」と刻まれている。 ここの旧道は地図に載っていないので、道なりに進むしかなく、GPSのログで後で確認することにします。 ●分岐に達すると正面に大きな道標、ここは左へ折れます。
 ●完全に林の中に入ると、青大将に出くわした。思わずギャっと叫ぶ。 蛇に出くわすのは5回目くらいで、あまり好きではないね。
 やがて●車道との合流点に達し、力石碑がある所です。 百姓一揆旧蹟の碑はどこだかわからなかった。 13:55

■力石~青苗センター分岐
 左手に●力石の碑があります。後三年の役で源義家の臣鎌倉権五郎景政が大石を谷底に投げ込み味方を奮い立たせたと伝わる。
旧道は●正面に続いており、入って行くと田んぼのあぜ道を歩くようになり、左手は稲刈りコンバインが動いています。 前方に車道が見えてきて、●脇に旧奥州街道の石柱が立ちます。 先に進むと右手に●御野立 明治天皇行幸記念碑があります。 旧道区間はここまでで約30分  14:11 

■青苗センター分岐~築館IC
 その先、右手に●築館育苗センター出入口と書かれた看板の下に 「旧奥州街道」と書かれた案内標識があります。 事前情報では、ここは廃道になって入れないということが多かったが、まあいいか と思って入ってみました。 別に問題のない道で、轍もうっすら残り、先の●二股では左に曲がります。 最初右へ行ってから、おかしいと思って戻ってみたら、正面の木の陰に案内標識が隠れていました。 やがて●鬱蒼とした林の中を行くようになり、段々廃道っぽくなってくるのだけど、●正面が開けて、国道が見えてきます。東北道築館ICの手前に出ました。  この間 15分  14:25

■築館IC~築館照越
 ●築館ICを通過するには、国道の左側の歩道を真っ直ぐ進み、●IC下のトンネルを3本くぐります。  くぐると町中で、東北道と国道に夾まれた地区となってしまって、かなりな騒音と思いますがどうだろう。
 東北道に最も近づくと●照越追分です。 左手の高架は東北自動車道です。 「高森遺跡3.2km→」と書かれた標識があった。 かの旧石器発掘捏造事件の舞台となったところですね。 旧道はこのまま右の道を直進し、●神田バス停手前で左折 15:16

■築館照越~双林寺
 その先で東北道の高架をくぐり、右に曲がって坂を上って、そのまま道なりに北上して行きます。 やがて「赤坂橋」という所へ出、橋から先は栗原市役所まで旧道は消滅しています。
 ●赤坂橋を左折して、すぐ先で右前方の細い道を上ります。(市役所までは迂回路です)。 ●国道4号を進み、 ●「トヨタ」の手前を左折して、細道を迂回して行くと、●市役所西側で旧道は復活しています。  15:52

★双林寺
 左手の高台は「双林寺」なので●石段を上がると、左手に樹齢1200年、樹高34m、幹回り9.5mという●「薬師の姥杉」と呼ぶ老杉が立っています。落雷や火災で痛々しいが、徐々に回復しているのだそうだ。
 坂を上がって行くと●「薬師堂」(瑠璃光殿)があり、寺は天平宝字4年(760)孝謙天皇が創建された勅願寺であります。 その後、天正19年(1591)伊達家により再興され、曹洞宗「双林寺」となった。  ●鐘楼もかなり痛々しいが存在している。  16:05

51 築館宿
 高清水から2里19丁(9.9km)  慶長後半から元和にかけて町が成立。 文化年間の家数は200軒ほど。 本陣は旧築館郵便局の所にあった。

■双林寺~築館市内
 ●双林寺から下って行くと●築館宿の町並に入ります。町名の由来は、室町時代に豪族大場氏が館を築いたことによる。 現在の築館の最寄りの駅はなく、東北新幹線「くりこま高原駅」で、かなり不便ですね。 「はぎのや」という店の交差点の向こう左手が●本陣跡になります。  この交差点を越えると左手に●門構えを備えた旧家があり、そこを右折して、左奥に行った所に今夜の宿泊先「ビジネスホテル築館」がありました。 家族経営のようなこじんまりとしたホテルで気持ちよかったです。   16:25

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