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■古川江合寿町~江合橋 すぐ先の●八幡神社参道はかなり長い。奥に●社殿がある。前九年の役の末、康平6年(1063)源義家が陸奥の阿部貞任を征討し、凱旋の折、騎馬をこの地に駐め、岩清水八幡から勧請したと伝えられている神社。 この先右手に●立派な門構えの旧家があった。左側に●茅葺屋根の建物が垣間見えます。 裏手の老人保健施設の経営者の屋敷ではないかと思うけど。 9:48 |
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■江合橋~二ツ江バス停 ●江合橋を渡ってすぐ左折。寛文6年(1666)、橋が架けられたのは、現在の江合橋の少し上流側とのことであったので、街道も少し上にずれていたと思われます。 その為橋を渡って左折して旧道へ向かいます。 堤防伝いに進んで、旧道が合流する●二股は右へ回り、●三ツ江」バス停の先を右折します。県1号を横断、●東北新幹線手前で左ヘ進みます。 9:05 |
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■竹ノ花~荒谷 ●国道4号線に合流。 右へ進むが、 この先左へ入るので国道を渡っておきます。 歩道脇によく見る明治22年の●仙台まで「十二里」の道路標があった。 直ぐ先、●斗瑩稲荷神社参道入口の看板が立っている分岐を左手に入ると●荒谷宿です。 9:35 |
50 荒谷宿 古川宿から1里13丁(5.3km) 慶長後半から元和にかけて町が成立。荒谷は戸数40~50軒。宿駅としては商人宿が1軒あるだけの小宿だった。 |
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■荒谷~斗瑩稲荷神社 荒谷宿は戸数40~50で、宿駅としては商人宿が1軒だけの小さな宿場であった。 右手に「明治天皇聖蹟之碑」があったようですが、気がつかず通過。 左側の●荒谷郵便局があった所が本陣跡とか、庄屋跡とかの説があります。 町外れの県道の左向こうに森が見えて、斗瑩稲荷神社だろうと思い、遠くて少々面倒ながら向かいました。 田尻川に架かる稲荷橋を渡ると、●●斗瑩(とけい)稲荷神社があります。ここは源義経が創建したとかの伝説があり、入口の由来記が古くて読みにくいので、 こちら をどうぞ また幕末の有名な剣客千葉周作の縁地ともいわれている。 周作(幼名於菟松)は、5才頃、父幸右衛門に伴って陸前高田より斗瑩稲荷神社下に居を構えて、15歳で江戸に上がるまでの10年間、父に剣術の手ほどきを受けたと伝わります。 神社の下の田尻川の土手に●周作ゆかりの地の案内板が立っていました。 10:15 |
51 高清水宿 荒谷宿から1里9丁(4.9km) 宿の名前は高台の地に多くの清水が湧いていたことによる。かっては高清水七清水と呼ばれる泉があった。宿としては本町、中町、荒町からなり、寛永18年成立した。本町に肝入屋敷や札場が、中町には本陣泪屋、新町に検断屋敷があった。 |
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■旧道入口~力石 ●左手へ上がる草ぼうぼうの山道が旧奥州街道で、高清水(栗原市)の史跡として保存整備されている。 旧道の要所に立つ 案内標 は有壁まで立てられていて、そのまま信用できて旧道は有壁まで歩けて感謝です。 右側に●石の道標が建てられて、 「旧奥州街道、左力石、右八重壁」と刻まれている。 ここの旧道は地図に載っていないので、道なりに進むしかなく、GPSのログで後で確認することにします。 ●分岐に達すると正面に大きな道標、ここは左へ折れます。 ●完全に林の中に入ると、青大将に出くわした。思わずギャっと叫ぶ。 蛇に出くわすのは5回目くらいで、あまり好きではないね。 やがて●車道との合流点に達し、力石碑がある所です。 百姓一揆旧蹟の碑はどこだかわからなかった。 13:55 |
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■築館照越~双林寺 その先で東北道の高架をくぐり、右に曲がって坂を上って、そのまま道なりに北上して行きます。 やがて「赤坂橋」という所へ出、橋から先は栗原市役所まで旧道は消滅しています。 ●赤坂橋を左折して、すぐ先で右前方の細い道を上ります。(市役所までは迂回路です)。 ●国道4号を進み、 ●「トヨタ」の手前を左折して、細道を迂回して行くと、●市役所西側で旧道は復活しています。 15:52 |
51 築館宿 高清水から2里19丁(9.9km) 慶長後半から元和にかけて町が成立。 文化年間の家数は200軒ほど。 本陣は旧築館郵便局の所にあった。 |
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010 吉岡~古川 | 012 築館~有壁 |