■小繋~笹目子トンネル
左手奥にある●地蔵堂は「天台宗長楽寺」という寺の跡で、征夷大将軍坂上田村麻呂が、大同2年(807)東夷鎮撫祈願で当地に地蔵堂を建立したのが起源という由緒を持つ。南部藩主の篤い崇敬を受け、江戸勤番の往路では本陣となったという。大正4年の小繁の大火で寺は全焼し、今では地蔵堂を残すのみ。 ・・幕府巡見使の使用する「巡見道」は長楽寺の脇から北に進み、IGR線、国道4号を超えた先で、山道に入り、上女鹿沢一里塚等を経て、尾根道を進み、女鹿口で奥州街道に合流します。・・ 街道はIGR線路を越え、●国道4号を右折、このあたりは難所で、川沿いは岩壁が迫って通れず、屈折と上がり下がりを繰り返す険しい山道だったといわれます。左手に●一部旧道が残るというので、入って見ますが、すぐ国道に合流します。 前方に●全長600mの「笹目子トンネル」。旧道はトンネルの右手に入り、川沿いに進み、トンネルの上方に出るのだけど、廃道になって、通行不能だというのでトンネルを通ります。 13:40 |