023 金田一から三戸へ    歩行地図
 金田一温泉駅府金坂-姉滝-川口-釜沢-蓑ケ坂-三戸同心町-八日町-二日町久慈町-三戸駅     12.67km

022からの続き
■斗米橋~第2長瀬踏切

 「斗米橋」を渡り、国道4号を右に曲がる。約400m先にフェンスの切れた所が分岐になっており、標識 「← 奥州街道まで400m」があるので、 ここに入って見ました。 ●川沿いに進んで、馬淵川で消滅した昔の長瀬橋が架かっていたあたりへ向かうようです。 十文字川に架かる小さい橋を渡り、対岸に●「水道局事業所」がある辺りが、長瀬橋が渡って来る地点だろうと思います。 左折して国道へ戻る所に、●大工棟梁の供養碑があった。江戸時代の長瀬橋建設工事で事故死した大工棟梁の供養碑だろうと思う。 ●国道に出ると、タイヤショップの所で、「奥州街道←」の案内標が立っている。  15:50

■第2長瀬踏切~金田一町上町
   そのまま国道を越え、タイヤショップの左脇を抜けて、銀河鉄道の●第2長瀬踏切を渡ります。 左線路沿いに●トトメキの追分石があって、どちらも金田一方面から歩いてくる旅人の為に、右手の「下斗米道」と奥州街道福岡宿への道を示し、享保と宝暦年間の建立になる。 又右後方から下がってくる道の所に●「上平の経塚」というのがあります。
 金田一へ向かって●銀河鉄道沿いに進みます。 右から合流してくる所の角に●餓没供養塔が建つ。江戸時代、東北地方は大飢饉に見舞われ、各地に多くの餓死者供養塔が立っていますね。  16:10

■上町~金田一踏切
 ここで又雪が降り出しました。今日は宿場毎に雪に見舞われている感じです。左奥に●曹洞宗「長寿寺」、後方の丘陵は四戸城址だが、疲れてきたので上がる元気が出ません。 右隣に●八坂神社があるが、これも高台にありそうで、そのまま通過します。●左へゆるく曲がるあたりから先が「仲町」で、金田一宿中心部に入るのでしょう。 岩手県最北の宿場ですが、遺構など残っていないようです。 左手に「金田一小、中学校」がある。 この先●「金田一踏切」を越え、今日の歩きを終えました。宿は「金田一温泉」しかありません。 1.2km先でした。 16:35  

71 金田一宿
 福岡宿から1里(3.92km)。岩手県最北の宿場。四戸城(金田一城)の城下町金田一温泉が寛永3年(1626)に発見され,南部藩指定の温泉地となった。「侍の湯」と称される

2021年4月10日
■金田一踏切~温泉駅北
 ●金田一温泉「きたぐに旅館」に泊まりました。作家「三浦哲郎」ゆかりの旅館ということです。昨日の雪模様とは打って変わって今日は快晴。「金田一踏切」を過ぎて、左手に●金田一温泉駅」。明治42年開業時は「金田一駅」で、昭和62年に、「金田一温泉駅」と改称されている。 ●駅前を通過。ここも宿内なのだろうか。その先、●標識「←奥州街道」があるので、左へ入ります   8:53

■温泉駅北~府金坂
 東北新幹線高架を潜り、 次いで●銀河鉄道の「野々上通踏切」を渡り、全面の山道を上ります。 ●「府近坂」という名前が付く坂を上がり、●細道にロープが張られた急坂を更に上がると、墓地に出た。このあたり奥州街道の難所の一つを云われている。 只、右側は視界が開けて眺めが良い。 右手に●道根山神社があるので、石段を上がって脇を通り抜けます。 この神社には・・・昔60歳になると山に捨てられる・・・・という怖い伝説が残っているそうです。 9:05

■府金坂~姉滝
 道根神社を抜けると●願海庵の門前に出ます。 永暦元年(1160)、叡山の僧「円忍」が打ち続く兵乱の京を嫌って遁れ、 金田一村に来て、庵を結んだのが始まり。後の時代に天台宗から浄土宗に改宗している。 道はこの先下り坂の舗装路になり。「岩舘橋」、●「小野橋」と渡って行くと、右手に●「←奥州街道」の標識と「姉滝100m→」の標識が立つ所へやって来た。姉滝100m右 といっても右奥は線路で、滝なぞあり得ず、道路に沿って下る道がそうだと、思って行って見ると、●姉滝があった。ここの標識は「姉滝→↑」と書いてもらいたい。 9:30

■姉滝~
 元に戻って坂を上がり、右手から下に下るると、●姉滝神社がある。社殿の前に●蛇が祀られ、御神体は蛇で、雨乞いの神として崇められているそうだ。 沢が流れ、奥を覘くと滝になっており,先ほどの「姉滝」の上流にあたるのだった。
 少し先で、●右手の草道の山道に入ります。奥州街道の案内標識があります。 ●掘り下げられた山道を上がります。道も落ち葉が重なり歩きやすい。 距離は大したことはありません。  9:45 

  ~川口
 樹林の中を進み、木橋を渡ると、●前方が開けるりんご畑に出ました。 ●真っ直ぐ伸びるあぜ道を進み、川口の集落の中を通り過ぎます。 やがて●県道241へ出て、左に曲がる。右手は「豊年橋」が見えます。 左手に●「庚申 廿三夜塔」、「十和田山大権現」の石塔が祀られています。 10:00

■川口~釜沢
 海上川に架かる「川口橋」を渡り、●すぐ先の「釜沢」の標識がある三叉路を右折、「釜沢」地区に入ります。 中世には、「釜沢城」があった所。 又正面の山裾を巡って●「釜沢用水」が流れる。釜沢用水は、天正年間(1573~91)、釜沢城主の小笠原伊勢守信浄が、 開田を目的として掘削されたといわれており、現在も約33haの水田を潤しているという。
 ●蓑ケ坂へ向かって一直線に向かいます。前方の山を越えていかないといけない。 昨日の雪が残っていないといいなと思う。 ●釜沢集落を抜けます。りんご農家ばかりのようです。 ここで、変わった、真っ赤な車と出会いました。写真が撮れず、後で調べたら「スピードスプレヤー」という、果樹園用薬剤散布車ということでした。機械好きとしては珍しい車に出会えて、うれしかったです。 10:17

■蓑ケ坂入口~頂上
 集落を抜けると舗装道は左に曲り、 旧道は正面の山道で、●蓑ケ坂入口です。正面の砂利を盛った山はなんだろう。通行止めのバリケードではあるまいし。単に補修用に積んであるのだけかもしれません。右手に「奥州街道・蓑ヶ坂入口」と書かれた案内板がある。説明板  奥州街道の難所の一つで、明治天皇はここを馬車から馬に乗り換えて上がっていったという。 
 入口から進むと、すぐ青森県の県境で、南北に長い岩手県から、やっと青森県に入りました。 道は石ころだらけで、ガレ場という感じだが、昨日の雪が残っていないので一安心。 5,6分で●「駕籠立場 あと500m」という標識のある地点に着いた。  更に落ち葉でふかふかする箇所や、石の転がるガレ場を7分も行くと●駕籠立場 あと200m」の所に来た。 その先は道幅の広いふかふか道で、難なく●頂上へ到着。「駕籠立場」です。駕籠立場説明板 右側に展望台に上がる木段が付いてます。ここまで難所というほどでもなく、最も、往時とは坂の勾配がゆるくなっているのではないかと思います。 10:40

★蓑ケ坂頂上
 ●展望台から東側の風景。馬淵側が右手奥から流れてきて、大きく舌状に蛇行し、左上へ流れて行く。その間に「舌崎集落」が点在している。特に左側の馬淵側の切り立った崖は、川が削ったのか、段丘なのかわからないが、特徴的に美しい。
  ここは「駕籠立場」と呼ばれ、険しい蓑ケ坂を上り詰めた旅人達にとって必ず一息入れたい場所で、吉兵衛茶屋1軒があったと云います。  展望台から下りた広場に、●明治天皇駐蹕之地碑と、巡幸碑。「駕籠立場碑」がある。 又幕末に「吉田松陰」が青森県側から入ってきて、金田一側に下っていて、その●記念碑も立っています。 10:45

■蓑ケ坂頂上~国道4号
 ●頂上からの下り道は道幅も広く、落ち葉が積み重なって、快適な道となっている。 数分で●駕籠立場の一里塚に着いた。 説明板 長年にわたり、勾配をゆるくするため、6mも高くなっている。その先、さっと下り●国道4号に合流した。 「奥州街道」の標識もあり、三戸側からは車が入れるくらい、道幅も広く、勾配もゆるいので頂上まで簡単に行けるようです。11:05

■国道4号~三戸・上同心町
 国道を左に曲がり、十数分歩くと、前方に●食堂とサイクルプラントがあり、そこの脇に入り、「←、関根の松3.1km」と書かれた東北自然歩道の標識があるので、●板坂と名付けられた坂を上がり、丘陵地帯へ入ります。 板坂は右へカーブして行き、突き当たりを左折。 後は道なりに丘陵を上がったり下がったりしながら、●正面に三戸の町が見えてきます。急坂を下りると●県道258に突き当たり、三戸の町へ入ります。 11:45 

72 三戸宿
 金田一宿から3里5丁9間(11.32km)。南部氏が盛岡へ移転するまで、三戸城を本拠としていた城下町で、鹿角街道と交差する交通の要衝として栄えた。同心町から元木平辺りまでが宿場として形成された。宿駅業務は八日町と二日町が1ヶ月交代で務めた

★同心町
 突き当たりは「鹿角街道の追分」であり、角に 説明板 が架かっている。 追分には「右ハかつの 左ハもり岡」と刻む追分道標があったが、現在、三戸城址の城山公園」に移されている。 右折すると●三戸・同心町で、三戸宿に入りました。 左折して、右手奥の寺は●長栄寺で、慶長2年(1597)開基。敷地は南部氏が盛岡城に藩府を移した際、随行した大泉寺跡という。境内に南部氏27代信直の次女檜山御前の五輪塔がある。 この先しばらく長栄寺の前の道、県道の裏通りを歩くことにします、 左手奥にある大きな倉庫のような建物は「馬検場」と呼ばれた、馬のせり市が行われた建物。 横並びに●熊野神社。 赤い両部鳥居が特徴的。 街道に戻って●玉岑寺。二日町の検断で、藩主に町民の減税を企て、処罰された「川村惣太郎の墓」という人物の墓があるが、位置はわからなかった。 12:05

★八日町
 街道に戻って進むのは●八日町。「スーパーユニバース」駐車場の奥にあるのが●観福寺。「山門」は三戸代官所の門を移築したもの。 街道右手に●三戸大神宮がある。石段がきつそうだが、行ってみるしかあるまい。 元は万治元年(1658)に町内有志によって箸木山に建立されたものが、元禄元年、南部家の家臣である藤枝宮内の屋敷であった、現在の場所へ移されたという。南部藩の篤い崇敬を受けている。 現在の●社殿は昭和62年に整備されたもの。 境内案内図   12:20 

■八日町~二日町
 右手に●佐滝本店というコンクリート造りの建物がある。 案内板 明治19雑貨商として創業した佐滝本店は町内で最も成功した商屋として名を馳せる。大正12年に社屋が焼失し。14年に鉄筋コンクリート造りの社屋を完成させた。現在も使用されている。案内板の写真と現在の姿では少し違っている。 隣に建つ●別邸は同じ大正14年に建てられ、本店と趣が違い、八角形ドーム屋根のの形が特徴的となっている。門を含めてほとんどが国登録文化財。 すぐ先の●交差点が宿内「枡形」となっており、直進すると「三戸城址」に行ける。 ここを左折すると●二日町に入ります。 12:35

■二日町~
 右手に半円形ドーム状、円柱の屋根を備えた洋風建物は●富田修歯科医院で、昭和初期に破綻した旧九十銀行の三戸支店の建物がそのまま使われている。開業はされていない感じ。 三戸町は漫画家馬場のぼるの出身地で、「役場前バス停」ベンチに、代表作●「11匹のねこ」の石像が座っている。 街道から1本右の「在府小路」に入ると、●「総合福祉センター」は三戸代官所跡、その隣は「野馬役所」NTTは「蔵役所跡」と云われます。 12:45 

 街道に戻り、二日町の中程で左へ曲がり、「関根橋」を渡り、ななめ左へ行くと、●関根の松(県天然記念物)というのがある。  説明板 慶長期(1596~)、三戸南部氏家臣。一戸兵部綱定が一戸から移った際に移植した赤松で、樹齢420年以上。 明治天皇御巡幸の際、一戸邸に宿泊された北白川宮能久親王は「翠葉千年の緑 貞節克巳の操」と讃えたと云います。
 「関根橋」を渡り返すと、前方は●城山公園で、三戸城の城郭が復元されているのが見えるが、上がって行くのも大変そうで、帰りの新幹線の時間も気になるので、残念ながらカットせざるを得ない。 二日町のはずれで●黄金橋を渡る。欄干に乗る 擬宝珠 は往時勅許を得て、京都の鴨川の橋を模したという。江戸時代の擬宝珠は三戸城温故館にあるそうだ。 黄金橋を渡ると、●三戸宿六日町に入ります。 13:06    

                 ~久慈町
 左手に●法泉寺。山門は 三戸城の搦手門を移築したもの。 その先に「毘沙門堂説明板」があり、左奥に入って行くと、宝泉寺境内にある小社が●毘沙門堂と思われます。三戸城の北方を護る守護神として、この地に鎮座。歴代の城主から崇敬されていた。
 三戸町川守田にあるのは●熊野神社。享保年間(1094~)創建で、南部家家臣「川守田常陸入道正広」の館跡に鎮座している。
 その先、●龍泉寺の山門は三戸城の表門を拝領して移築したものという。 13:25

■久慈町~三戸駅
 その先を左に曲がり、元木平交差点の左角にあるのが●アップルドームという建物。三戸町スポーツ文化福祉複合施設になってます。 その先は●下元木平の交差点。このあたりまで宿場が延びていたようです。 本日はここで終了し、三戸駅へ向かいます。
 馬淵川に架かる「住吉橋」を渡り、駅前右手に●「村井家住宅主屋」(国有形文化財)というのがあり、(文化遺産オンライン)●三戸駅から二戸駅へ向かい、新幹線で帰宅しました。 13:50終了

 022 小鳥谷-金田一  024 三戸-