![]() |
伊勢参宮街道 1 日永追分~津・塔世橋(神宮外・内宮) |
歩行地図はこちら 地図 |
日永追分-高岡橋-神戸-玉垣町-江島-白子-上野-栗真-江戸橋-津-塔世橋 29.1km |
伊勢参宮街道 伊勢街道は、日永の追分で東海道から分岐して、伊勢湾沿いを南下し伊勢へと至る。 その距離およそ18里。日永の追分、白子、津、六軒、松坂、斎宮そして伊勢へのルートは近世にはほぼ固定され、幕府によって脇街道として整備された。 神戸、白子、上野、津、雲津、松坂、櫛田、小俣の各宿駅を経て、外宮、内宮に到達する。この道は主として江戸、東海方面から参拝する人々に使用され、途中で 1 江戸橋で、関からの伊勢別街道が合流し、 2 六軒で、あお越え初瀬街道が合流し、 3 外宮手前で、榛原からの伊勢本街道が熊野街道と一緒 となって合流している。 全74.1km 参考資料 みえ歴史街道 ウォーキング・マップ「伊勢街道」 「今昔東海道独案内の中の 伊勢参宮街道 今井金吾」など |
![]() |
![]() ![]() ![]() ![]() |
■追分~内部川 ●県道103号を南下して行く。大治田の左手に●道標が4基あり、蜜蔵院への方向を示す。道標の間に壊れかけた地蔵尊像が立つ。やがて●県道との分岐点に来て、旧道は右手の古い方へ入って行く。 ●内部川に突き当たった。昔は橋が架かっていたそうだが、今は左手にある河原田橋を渡るしかない。 9:21 |
![]() ![]() ![]() ![]() |
■十宮~神戸 道の両側に石垣の土塁が見えてくる。●神戸見付跡である。「神戸宿」の入口にあたる。駐車中の車がじゃまだけど、石垣の両側に柱が立って、宿の門があった。明治2年の絵図には見附の様子が描かれ、両側の石垣には木戸の柵を支えた溝までくっきりと残っているといわれるが、じっくり見たけど確認できなかった。左手には●「式内阿自賀神社」と書かれた社標がある。 見附の先、すぐ先右手に、●旧旅籠屋の「可美亭」という旅館がある。1階の連子格子、2階の手すりが旅籠らしい。今も営業しているとか。その外、 ●連子格子の家、うだつのある家も多く見られ、宿場らしい雰囲気を残している。 10:27 |
![]() ![]() ![]() |
■北江島町~白子本町 線路を越えた左脇に、●「北の端の地蔵堂」がある。鎌倉時代に作られた。その道路向うに、役行者神変大菩薩堂がある。 道は県道6号を一路南西方向へ向う。もう東方は「伊勢湾」だけど、海は見えていない。江島から白子に入る時、カギ型に左右に曲っている。●白子の町は「繁盛の湊也 江戸船積をする問屋多し。之を白子づみといふ 」といわれ栄えた町であった。この辺りは家の建ち方が直線でなく、ギザギザになっており、「防御を目的とした」とか、「大名行列が通る時に陰に隠れられるので、長く座っていなくてよいから」などといわれている。このような作り方は中山道の「坂本宿」、甲州街道の「韮山宿」などでも見ている。●連子格子にうだつが上がる家があったりで、昔ながらの古い町並が続く。 12:57 |
![]() ![]() ![]() ![]() |
■白子本町~子安観音寺 道は黒壁の家の所で突き当たり、右折してすぐ左折する。その左折する所の右角は高札場があった所。左折したすぐ左手の●東公園前に「旧河藝郡役所跡」の石碑が立つ。明治時代「河芸郡役所」が設置され、大正時代は家事裁判所が置かれた。 和田橋を渡って行くと、右手に久留真神社(くるま)がある。祭神は大国主命で式内社。参宮街道筋の総社にあたるという。唯信寺の角を右折し、すぐ左折する。●その左折する角の黒塀の前に●道標がある。「さんぐう道」、「神戸四日市道」と刻まれ、それぞれの方向を示す指が描かれている。案内板によると、この付近は曲がり角が多いので、ここの和田栄さんの先祖が道標を建てたが、再三再四倒され、昭和30年代にいまのように建て直したので、もと3mあったのが2mになっているとのこと。 釜屋橋を渡ってから、右折して●子安観音寺への道を通るが、わかりにくかったので1本ずつ奥を確認して、突き当りに寺があるのを見てから右折して行った。 13:35 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
■子安観音寺~蓬莱橋 ●子安観音寺は聖武天皇の勅願寺で、天平勝宝年間(749~756)の創建。仁王門が県の文化財、銅燈籠や三重の塔がある。ここの不断桜は有名で、四季を通じて葉が絶えず、花も春秋冬の三季に咲くといわれる。 門前の前を南下し、●突き当りの角、左手に割れて補強してある●道標があり、「左 くわんおん道」、「右さんくう道」と刻まれている。道はここを右斜めに入り、すぐ先の●道標がある所を左折する。高さ62cm程で、「左いせみち」、「右くわんおん道」と刻まれ、また道標の頂上部分と北面のすりへったくぼみは、型彫りに使う砥石をならした跡といわれていて、この付近には伊勢型紙を彫る職人が多く住んでいたあかしであるという。道は大きく弧を描いて、蓬莱橋の手前を右折して行くが、橋手前、左手にも●道標が立ち、「右 いせみち」とある。 13:53 |
![]() ![]() ![]() |
■上野~河芸町・中瀬 旧上野宿をずーっと歩いて行き、●河芸交番前で国道に合流し、国道を渡る。●中瀬の町に入った。ここの町並は切妻の妻の部分が街道に面し、一種独特の雰囲気を醸し出している。右手に高山地蔵尊がある。上野城時代に罪人を処刑する場所であったといわれ、地蔵は処刑された武士の霊を慰め、不慮の災害に遭った人の菩提を弔った。 そのまま真っ直ぐ進み、「中瀬」の交差点で、国道号に合流する。手前で左折して行くと●「ぢ神社」という珍しい神社がある。もとは地の神を祀っていたものと思われるが、今では痔の神となっている。 15:55 |
![]() ![]() ![]() |
■中瀬~栗真小川町 国道に戻って、そのまま進み、●上小川付近で右の旧道へ行き、●栗真小川町へ入った。ここも前と同じように切妻屋根が街道に面し、連子格子の民家が多い。出歩く人も見あたらず、静かなもの。 その先左手に●逆川(さかがわ)神社がある。南側に流れる川が逆の方向に流れているのでこの名があるとか。 16:30 |
![]() ![]() ![]() |
■栗真町屋町~江戸橋 ●三重大学前で国道と合流する。続いて賑やかな国道を進み、国道に架かる「新江戸橋」手前で、右手の旧道へ入ると、赤い欄干が特徴的な●「江戸橋を越える。橋台こそコンクリート製だが、回りは木製で雰囲気が良い。江戸からの入口ということでこの名がついた。渡った所が伊勢別街道の追分で、●常夜燈と道標が立っている。京からの伊勢参りは東海道を使用して、鈴鹿を越え、関の追分から伊勢別街道に入ってここで参宮道と合流している。この常夜灯は安永6年(1777)嶋田氏個人の寄進によるもので、市内最古のもの。道標には「左 高田本山道」とあり、高田本山とは伊勢別街道の、一身田にある、真宗高田派本山専修寺のことをいう。伊勢街道には真宗高田派のお寺が結構目についた。 17:18 |
![]() |
![]() |
2 津~櫛田駅 | 3 櫛田駅~外宮・内宮 |