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伊勢参宮街道 2 津・塔世橋~櫛田駅(伊勢神宮) |
歩行地図はこちら 地図 |
塔世橋-観音寺-岩田橋-閻魔堂-垂水-髙茶屋-雲出-三度川-市場庄-松坂-垣鼻町-上川-櫛田駅 25.2km |
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■岩田橋~南中央 岩田橋を渡って、国道23号の●左側の歩道が伊勢街道といわれる。右手にある●浄安寺は浄土宗の寺で、山門に梵鐘が架かっている。 岩田町交差点の角で、左斜めに入る。●「旧町名 立合町」を通って行く。立会町の由来は米相場の立会所があったからという説があるが、地名の説明標柱では否定されている。 9:11 |
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■髙茶屋2丁目~髙茶屋1丁目 ●天神橋を渡るとすぐ右手に●称念寺があり、石段前に●常夜燈と●薬師堂がある。薬師堂の所に円光大師 津 二十五霊場の石柱が立っているが、円光大師とは浄土宗開祖の法然のこと。 10:43 |
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■髙茶屋1丁目~島貫町 右手に●高茶屋神社がある。高茶屋神社は十社の森と称され、街道の勅使休憩所として使われた。鳥居前にも文久3年(1863)の常夜燈がある。 街道は高茶屋駅の南で紀勢本線の線路を越える。水田の中を進んで行くと、右手に●山の神が4基建っている。 やがて街道は●島貫町へ入った。昔の雲出の宿があった所。今も古い家並を残している。 11:22 |
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■肥留町~中林 その後小川を一つ越え、水路沿いの道になった。香良洲道の合流点の所に道標があるはずのところ、よくわからず通り過ぎてしまった。 やがて右手に大きな道標がある地点へ来た。●月本追分という所。奈良街道と伊勢街道の追分にあたる。右から来ているのが奈良街道。右角に●伊勢街道最大の道標が立つ。高さ310㎝もあり、天保13年(1842)の建立。「月本おひわけ」、「右いがご江なら道」、「右さんぐうみち」、「左やまと七在所順道」と刻まれている。●奈良街道側から見ると、左手に常夜燈が見えている。 追分の先左手に「右からす道」と刻まれた道標がある。からす道をちょっと入った所に●勅使塚という石碑が立っている。大正8年建立のもので新しいが、吾妻鏡の中に、源氏追討の祈願のために伊勢神宮に向かった勅使大中臣定隆が「一志駅」で急に亡くなったことが記されており、それを基に碑が造られたという。 12:57 |
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■三度川~初瀬街道追分・六軒町 しばらしして●三渡(みわたり)川を渡る。中世に渡し口が3ヶ所あったため三渡の名が付いたという。別名涙川ともいう。 橋を渡ると、●青越初瀬街道との追分になる(写真は渡ってから後向)。右手に●大きな道標が立ち、「いがごへ追分 六けん茶や」、「右いせみち 六軒茶屋」と彫ってある。左手には●文政元年(1818)の常夜燈がある。ちなみに、青越初瀬街道は大坂の玉造神社を発し、奈良、長谷寺を経由して来る道で、7月30日に到着して、現在HP作成中であります。 13:34 |
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■久米~松坂大橋 左手に「松ヶ崎駅」がある辺りでは、慶応3年頃に建てられたという民家の軒先にはのぼりを立てるための石柱があちこちにたっている。明治維新と何か関係あるのだろうか。県道手前、左手に古川水神がある。常夜燈や道標が沢山立っており、いちいち記録していくことが難しくなってきた。 JR名松線の踏切を渡った右手に●薬師寺がある、山門が立派だが、かなり痛みが来ている感じだ。寺の先、船江町にかけて道が鍵型に何回か曲っている。曲り終えた所は●川井町で、黒門があり、宿としての松坂の入口にあたる。昔は「・・・酒楼妓院軒を並べて絃歌湧くが如く・・・・」といわれたように賑やかな町並であったという。 ちょうど松坂神社の祭礼で、御輿の先導車が通過していった。 真っ直ぐ900m程行くと、松坂大橋にぶつかり、橋を渡る手前左手に昔の面影を残す●須川屋金物店がある。 15:00 |
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1 日永~津 | 3 櫛田~外宮・内宮 |