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伊勢参宮街道 3 櫛田駅~伊勢外宮・内宮 |
歩行地図はこちら 地図 |
櫛田駅-櫛田川-斎宮-明星-新茶屋-小俣町-宮川橋-八日市場-外宮-古市-おはらい町-内宮 19.85km |
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■斎宮~竹神社 道標を過ぎると●斎宮。地名は古代斎王宮の御所が存在していたことに由来する。その御所の跡は近鉄の線路を越した500m程の所にあり、「斎宮歴史博物館」が建っている。行って見ようという気持はあったけど、時間が惜しいのと、建物が大きく見るのに時間がかかると思われやめにした。 近鉄「斎宮駅」の北側に●「いつきのみや歴史体験館」という資料館がある。ここでも斎宮関係の展示が行われているというので、こちらに入って見た。斎王の乗った葱華輦(そうかれん)が実物大で展示されていた。歴史関係の展示は大体わかりやすいもので、手頃。 街道に戻り先に進むと左手に●斎宮城跡というのがある。竹神社の境内のようであるが、室町時代住民、野呂三郎が城砦を築き、勝手に徳政を敷き、狼藉を働いたので、国司北畠材親はこれを討伐したと簡単に説明されているだけで、詳しいことはwからない。 10:15 |
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その隣に●竹神社がある。野々宮跡であり、竹の名については、親王を竹の宮と呼び、また多気郡の名前もここから起ったのだと云われる。境内には●嘉永7年(1854)の自然石灯籠が立っている。これは池村氏神の饗庭の森八王子の常夜燈として建立されたものをここに移転したもので、自然石の造としてはかなりの規模を持つ。 左手に●「天満宮の道 四丁」という道標が立っている。北野天満宮への道しるべ 10:25 |
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■小俣町~宮川橋 この先突き当たりを右折するところ、何を間違えたか、左折してしまい、浄土寺の脇を通って、道なりに行き、汁谷川に架かる●宮古橋に出た。 たもとの左側に●「参宮人見附」の石柱がある。宮古橋を渡ると●宮川へ突き当る。宮川の「桜の渡し」があり、宮川は必ず渡し舟で渡らなければならなかった。渡船は昼夜を分けず、満水の時も人を出し、必ず渡した。 現在の宮川橋を渡ると、土手が切れており、●渡った所に、桜の渡しの解説と広重の浮世絵が描かれている。 13:01 |
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■宮川橋~八日市場町 橋を渡ると●宮川町に入り、狭い道をくねくねと曲って進んで行くと左手に●茶屋町の道標がある。文政5年(1822)の建立で、「左 二見浦 二里十五丁」、「右宮川渉場 六丁三十九間」などと刻まれている。道標を左に見て、真っ直ぐ進む。 その先左斜めに入ると旧道は真っ直ぐ続いているが、消えてしまっているので、ここはジグザグに進んで行く必要がある。 県道37号に出てから、「浦口交差点」を右折して途中でと左に入って行く道がある。その先で旧道が復活している。県道22号に出ると●筋向橋があった。現在は暗渠になっているが、嘉永2年(1849)の欄干のみが残る。伊勢本街道と伊勢参宮街道が合流する所にあたる。近いうちに本街道も歩く予定なので、ここへやって来る訳である。 筋向橋からは県道をずっと歩き、八日市場町へ来た。左手にむくり屋根の堂々とした、古めかしい家がある。漢方薬を売る●「小西万金丹薬舗」。延宝4年(1676)創業という。伊勢独得の切妻造りの建築様式江戸時代のままの姿を今に伝える。13:35 |
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1日永~津 | 2 津~櫛田駅 |