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東高野街道を歩く (岩清水八幡宮~河内長野) |
歩行地図はこちら 地図 |
東高野街道 3 (安堂~河内長野まで) | ||
安堂駅-国府-道明寺-誉田-古市-東阪田-中野町-富田林-甲田-錦織-河内長野 17.2km(55.4km) |
1 清水市駅~四条畷 | 2 四条畷~安堂駅 | 3 安堂駅~河内長野 |
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途中右手にある●お堂の中に石が安置されている。弘法大師腰掛け石と呼ばれる。ここは高野街道なので、弘法大師も京都への往復の際腰掛に使ったのだろうと思われる。 ●西名阪高速をくぐると「羽曳野市」へ入る。高速をくぐってから、国道170号を横断して、目の前の細い道へ入っていくと、眼前に応神天皇陵の森が見えてきた。誉田中学の北西の角に来ると、●高野街道碑と天保9年の道標が建っている。「右 道明寺 玉手 左 八尾 久宝じ 」とかすかに読める。 10:45 |
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■古市1丁目~古市7丁目 街道に戻って少し行くと●竹内街道との交差点になる。竹内街道は2006年の12月に歩いた。写真の右側から左側に抜けたわけである。当時の記憶があまりないが、左手角に大きな道標が立っている。 交差点から南50mの右手に●伊勢燈籠がある。祠に収められているのでそのようには見えないが、常夜燈が祀られているのは珍しい。 大乗川を「髙屋橋」で渡る。「安閑天皇陵」の東縁をかすめて進む。このあたり畠山氏の本拠地である「髙屋城」があった所であった。国道170号へ出てから、すぐ●「城山」信号の所の細道を左手に取って行く。 11:40 |
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■中野町~富田林寺内町 中野、若松町と過ぎて、いよいよ富田林寺内町に入って来た。 富田林寺内町は、永禄元年(1558)、興正寺門跡証秀上人が富田の芝荒地を銭100貫文により購入し、近くの4ケ村の庄屋株各2人計8人に、興正寺別院の建設と町割りなどを要請したのが始りとされる。現在も創建当時の六筋七町の町割りや、重要文化財旧「杉山家住宅」などの、往時の繁栄を偲ぶ重厚な町家が数多く残されている。 町内へは東北の●一里山口から入ると、「寺内町遊園」があり、寺内町の案内図がある。街道は亀ケ坂筋から堺町筋へ入り、興正寺別院の北側を抜けて、富筋を南下し道標の所を右折し、向田方面へ出る。途中いくつかの旧家がある。 街道を歩いていて、最初に出会うのが●佐藤家・・・当家は仲村家(佐渡屋)より出て初代・藤兵衛(とうべい)が文政3年(1820年)にこの家を興した。従って,屋号を「佐渡藤」と号し、2代目より佐藤姓を名乗った。紅梅酒味醂の醸造を営み、現在も敷地内に多くの土蔵を残す。 ●杉山家・・・当家は代々「樽屋善兵衛」と称し、もとは油屋を営んでいた。善兵衛の名は天保14年(1843年)の村方様子明細帳に百姓代として載っている。重要文化財の「杉山家住宅」があるが、経路からちょっとはずれて寄るのを忘れたのが残念だった。 13:32 |
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