■中野町~富田林寺内町
中野、若松町と過ぎて、いよいよ富田林寺内町に入って来た。
富田林寺内町は、永禄元年(1558)、興正寺門跡証秀上人が富田の芝荒地を銭100貫文により購入し、近くの4ケ村の庄屋株各2人計8人に、興正寺別院の建設と町割りなどを要請したのが始りとされる。現在も創建当時の六筋七町の町割りや、重要文化財旧「杉山家住宅」などの、往時の繁栄を偲ぶ重厚な町家が数多く残されている。
町内へは東北の●一里山口から入ると、「寺内町遊園」があり、寺内町の案内図がある。街道は亀ケ坂筋から堺町筋へ入り、興正寺別院の北側を抜けて、富筋を南下し道標の所を右折し、向田方面へ出る。途中いくつかの旧家がある。
街道を歩いていて、最初に出会うのが●佐藤家・・・当家は仲村家(佐渡屋)より出て初代・藤兵衛(とうべい)が文政3年(1820年)にこの家を興した。従って,屋号を「佐渡藤」と号し、2代目より佐藤姓を名乗った。紅梅酒味醂の醸造を営み、現在も敷地内に多くの土蔵を残す。
●杉山家・・・当家は代々「樽屋善兵衛」と称し、もとは油屋を営んでいた。善兵衛の名は天保14年(1843年)の村方様子明細帳に百姓代として載っている。重要文化財の「杉山家住宅」があるが、経路からちょっとはずれて寄るのを忘れたのが残念だった。 13:32 |