深大寺街道を歩く2 
           (布田~滝の城址
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 布田駅-野川-深大寺城跡-野崎-武蔵境-柳沢-榎木通り-ひばりヶ丘-西堀-桜株通-下宿-滝の城跡-東所沢駅 19.12km       
1布田-武蔵境   2 武蔵境-滝の城址

2013年6月25日 ※ 写真をクリックすると拡大します
■武蔵境駅~境浄水場
 深大寺街道2回目は●武蔵境駅から。「都道12号、新武蔵境通り」へ出て、北上。JR中央線ガードをくぐって少し行くと、●分岐があり、旧道は左の細い道の方になります。住宅の中を抜けると、玉川上水に架かる●大橋に出ました。"「説明板」"  9:58

■境浄水場~柳沢4
 道は「境浄水場」により分断されているので、ここは大きく迂回することになります。「井の頭通り」を左に曲がり、「五中前バス停」の所を右折して、「大師通り」を進んで行く。大師通りは深大 寺を中興したのが元山大師のことで、深大寺への参詣道なのでしょう。深大寺街道の名残かもしれない。●「武蔵野大前」交差点に来ました。ここまで旧道は消滅しています。ここは「五日市街道」が東西に通過し、●「千川用水」が流れています。深大寺街道は●武蔵野大学と「健保組合武蔵野運動場」の間を真っ直ぐ通っています。 10:20

■柳沢4~青梅街道
  左に「武蔵野大学キャンパス」、その先「都立田無工業高校」の間の角に、"馬頭観音道標"  が立っていて、摩滅して読めないが、深大寺道の道標と思われます。その先左手に●ほうろく地蔵があります。 光背が焙烙の形に似ていることからその名が付くが、詳しい事は不明。"地蔵像" 。 石神井 川を渡ると●青梅街道に出る。深大寺道は左斜めに分かれ、●「金剛寺」の右脇を入る小道に続いている。この道は西武新宿線のガードをくぐ った、「都道8号」で住宅街に消えて、旧保谷市と旧田無市の境を通っているようです。
 10:40

■青梅街道~榎の木通り
 そこで、この先は青梅街道右斜めに入る「榎ノ木 通り」を進むことにします。榎ノ木通りと「都道8号(富士街道)」が交差する角に●六角地蔵石幢が建っている。"説明板"  富士街道と深大寺道が交差するところに立ち、道標を兼 ねている。
 ●「榎ノ木 通り」を進みます。榎ノ木 通りも古道らしく、旧蹟やお寺が点在しています。 新青梅街道を渡り、更に進むと「保谷新道」に出る。その先泉 町に入る角に、●庚申堂が建っていて、中に忿怒の形相をした "青面金剛 像" が立っていた。"説明板"
 榎の木と呼ばれたこのあたりは、江戸時代、上保谷村の中心であり、榎の木の庚申様と呼ばれたという。 10:57 

 ■榎の木通り界隈~
 榎ノ木 通りあたりは寺社が多いので、一回りします。 庚申塔の右を北上して行った左手に●宝樹院がある。真言密教の寺で、文化財として「一文銭向い目絵馬」を保存為ている。宝樹院の薬師信仰を伝える資料という。「横山道」へ入って、左手に●宝晃院。この先の「尉殿神社」、武蔵境にあった「杵築大社」の別当寺を勤めていたという。境内に●明和8年(1771)の水子地蔵堂がある。

  ~旧道合流地点
  その先、左手奥にあるのが●東禅寺。曹洞宗のお寺。山門脇に「佛舎利泰安霊場」と石柱が立っていて、本当の仏舎利かなっと思って、ありえないかな、と思います。 「福祉会館入口」交差点を左へ曲がって行くと●尉殿神社」がある。社伝では永正2年(1505)の創建だが、元和8年(1622)創建ともいわる。江戸時代終りまで本地垂迹思想に基づき尉殿権現と称され、水の神ジョードノを祭っ たことに始まる。本地の神体は仏教の水の守護神倶利伽羅不動明王であり、垂迹の神は龍田風神(奈良県龍田神社)の祭神級長津彦命と級長戸辺命の男女二座という。長い参道を持った風格ある神社でした。行かなかったが、如意輪寺と宝晃院、東禅寺、宝樹院を加えた四ヶ寺を保谷四軒寺と呼ぶようです。解体工事の終わった「ひばりヶ丘中学校跡地」を左に見て、●谷戸住吉通りをを進みます。 旧道は宝晃院の少し西方で合流してきていて、深大寺道に戻ったのではないかと思います。11:4

 ■旧道合流地点~ひばりヶ丘駅
 しばらく進むと●「パークシティマンション街」にぶつかり、街道は又ここで切れてしまいます。西友の脇を進めば、正面は●ひばりヶ丘駅にぶつかります。西友内の「ドトール」でしばし休憩。パルコ前で踏切を渡り、人通りの多い●「ひばり銀座商店街」の路地に入ります。 12:26

■ひばりヶ丘駅~Sヤオコ-前
 道は●東久留米市と新座市の都県境に沿う道 となり、●県道234号手前で又々、マンションやスーパーにより、消滅してしまいました。県道を左へ行った所に●浅間神社があります。 13:05

■Sヤオコ-前~西堀公園
 ヤオコ-の右手、コンビニを左に曲がり、迂回路を通って行くと、前方に、黒目川に架かる「神宝大橋」が見えてくる。橋上 から左手、黒目川の上流を見ると、●支流の落合川が合流しているのがわかる。 神宝大橋を渡ると、右手に庚申塔があって、上部は欠損し、下部の"三猿"がはっきり見えている。このあたり少し上り坂になっていて、●野猿坂と呼ばれるようだ。 その先「神宝町2」交差点を過ぎると、急な上坂を上って行く。このあたりも東久留米市と新座市の都県境に沿っている。 新座市西堀に入ると、"農家の前と" その先「米軍通信基地」で消滅するので、右へ迂回して、●西堀公園交差点まで進んだ。傍らに "「庚申塔と 馬頭観音」"が祀られている。 13:45

 ■西堀公園~桜株通り
 ●富士見新道を北に進む。左には広大な米軍通信隊基地が広がる。ここは前回、志木街道を歩いた際、反対方向からやって来た所だった。程なく志木街道 にぶつかり、左折して、●消滅した旧道が合流してくる交差点を右へ曲がる、その角に●道標を兼ねた庚申塔が立っている。 14:10
 ■桜株通り~下宿十字路
 右へ曲がった深大寺街道は、ここでは●「桜株通り」と名前を変える。●「旭が丘団地」前で新座市から清 瀬市に移ると共に。又もや旧道は団地で消えているので左へ迂回します。「旭が丘通り」に入って、すぐ先●下宿十字路交差点に来ました。ここには江戸時代、日野から清瀬、志木をを通って、岩槻で日光御成街道へ合流するという、「奥州街道脇往還」という道が通過しているという。それで「下宿」というらしい。一度歩いて見たいが、ルートがわかっていません。 14:27

 ■下宿十字路~柳瀬川
 交差点右手角の雑木 林の中に●上宮稲荷神社が建っている。 その先、柳瀬川に架かる●城前橋に来た。 親柱が屋根の乗った城風で面白い。ゴールの滝の城はもう少し。下を流れるのは●柳瀬川。清瀬市と所沢市との境になる。 14:40

 ■柳瀬川~滝山城入口
 ●武蔵野線の ガード下をくぐと、前方は鬱蒼とした「城山の森」が広がる。道なりに坂を上がって行くと左手に●霧吹きの井戸跡という井戸跡がある。滝の城の施設の一つ。上がった先に●「城山神社」と刻んだ石柱があり、石の 鳥居が立っている。 14:47

 ★滝山城址
 鳥居の先は細い急な石段で、一息ついて、一気に上がると、●城山神社の社殿がある。ここが城山の頂上で●滝の城の本丸跡にあたる。左手の鳥居をくぐると二の丸になり、左に社務所、右手に●深く空堀が残されている。結構城址は訪れているが、このようにはっきりと堀跡とわかるのは珍しい。社務所にあった説明書を入手。・・・滝の城は関東管領上杉氏の家臣で、武蔵守護代を歴任した大石氏が築城したとものと伝えらてきたが、最近では太田道灌が江戸城、河越城の中間に築城したと考えらる。その後北条氏照に引き継がれ、整備されたが、天正18年(1590)秀吉による小田原攻めの際、一日で落城した・・・と言われています。

 ■滝の城址~東所沢駅
 本丸の南側は断崖になっていて、眼下を望むと、●清瀬市内を見渡すことが出きます。眼前に武蔵野線が通り、すごいレンズを構えた「撮り鉄」の人が二三人いました。
 さて、深大寺道はここから更に北を目指して川越へ向かう訳なのだが、ルートがわからず、先に進めないので、ここでひとまず終わりとします。帰りはここから西へ2kmばかり離れた「JR武蔵野線東所沢駅」へ向かいますが、これが結構長かった。途中小さな●下組稲荷神社があったりしました。 15:40終了

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