大宮街道を歩く 
         (府中~氷川神社)
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 府中大國魂神社-府中の森-野川-牟礼2丁目-三鷹台-清水1丁目-高野台-光が丘-下赤塚  23.7km     

  武蔵国は、知々夫国造、无邪志国造、胸刺国造という3つの国造を合せ6世紀に成立したとされる。現在の埼玉県、東京都、神奈川県の一部が相当する。当初東山道に属し、上野国から連絡道を南下し、また下野国へ北上していたが、宝亀2年(771)に東海道に属することになった。 郡の数は秩父郡外21郡を数える。武蔵国府からそれぞれの郡への連絡道があったと考えられ、ここでは足立郡衙が付近にあったと考えられる、大宮市氷川神社まで歩いて見た。途中乗瀦駅(あまぬま)(杉並区清水3丁目付近)を通過し、前半は人見街道、浦和から近世の中山道に合流します。

 参考資料
   「武蔵古道・ロマンの旅」 (芳賀善次郎)
  「府中市史 杉並区史、」外
1大国魂神社~下赤塚駅  2下赤塚駅~大宮氷川神社 

2023年2月19日  ※ 写真をクリックすると拡大します
■大國魂神社~宮町1丁目
 昨年10月で本州縦断、横断が完成したので、今後どこを歩こうかと思案していたら、「蔵古道・ロマンの旅」という本を入手できました。武蔵野古道が色々記載されており、その中の1本、府中国府と足立郡衙の連絡道である大宮道というのを歩いてみることにしました。武蔵国府は現在の府中市大国魂神社付近、足立郡衙は大宮市氷川神社付近ということで、大国魂神社から氷川神社まで歩きます。まずはお馴染み●大国魂神社。その東隣にあるのが●武蔵国府跡。発掘調査により、南北300メートル東西200メートルの範囲が「国府」であると判明し、「ふるさと府中歴史館」という施設が建っている。 神社から出発し北へ真っ直ぐ●けやき並木の参道を進みます。 9:58

■宮町1丁目~府中の森公園
 京王線「府中駅」の●宮町1丁目交差点。古道はここから斜め東北へ向かっており、いきなり「府中の森公園」東側の「人見街道入口」交差点まで消滅しています。しょうがないので付かず離れずという感じで迂回路を選んで進みます。●小金井街道入口交差点を右に曲がり、「緑町2」交差点を左に曲がってその先を右に曲がると、左手に「府中の森公園」が広がっています。その東側が「航空自衛隊府中基地」で、滑走路はなく気象など後方支援を担当する部隊です。航空自衛隊らしいのは外から●金網越しにF-1戦闘機などが撮影できたこと。 10:32

■武蔵野の森~浅間山公園
 自衛隊の東側の●人見街道入口へ入って行きます。 "案内板" 人見街道は府中市浅間町から杉並区高井戸まで続く街道で、大宮街道、下総街道などとも呼ばれる。名前は浅間町が江戸時代「人見村」といわれていて、そこに通じていることから名付けられた。甲州街道と平行していて、かつては大宮の氷川神社の神輿が、この人見街道を通り人見村御仮屋まで来て、くらやみ祭りに参加していた。本来は府中八幡で甲州街道に合流するが、自衛隊基地で消滅している。●人見街道を通ります。原野に造られたか、結構真っ直ぐ通じている。左奥の「浅間山」に上って見ました。一帯都立浅間山公園で、雑木林におおわれ、バードウオッチングの人が何人もいます。標高80m程の浅間山山頂に●浅間神社が建っています。 10:52

■浅間山公園~多磨駅
 ●山頂からの眺め。右手は「多磨霊園」が広がっています。北原白秋、高橋是清とか有名人の墓が多い。山から下りてきて、「若松4丁目」交差点から人見街道に復帰し、東行すると●西武線「多磨駅」を通過します。東京外語大学の最寄り駅でもあります。11:24

 ■多磨駅~野川公園入口
 ●三鷹市に入りました。右手は「武蔵野の森公園」。少し先左手は●近藤勇生家跡。宮川家としてこの地に生まれたが、後近藤家に養子に入る。生家は昭和18年、調布飛行場が首都防衛に使われることから取り壊され、井戸のみが現存しています。"案内板 "  またその向い側は●天然理心流道場「撥雲館」という建物。近藤勇の養子近藤勇五郎が近藤勇の生家の向かいに開いた道場。撥雲とは暗雲を取り除くという意味で、昭和50年代まで稽古が続けられたという。"案内板 "  11:40

 ■野川公園入口~龍源寺
   左手一帯は「都立野川公園」が広がり、右手一帯は●調布飛行場が広がります。北側の公園から滑走路が眺められ、跳んでくる飛行機を楽しみ待っていたら、動き出す気配が無く、運行状況確認したら、伊豆諸島、強風で軒並み、欠航、天候調査で飛んできませんでした。 左手の●龍源寺は近藤勇の墓があって、門前には近藤勇の胸像、六地蔵・庚申塔などが並んでいます。 12:00

 ★野川付近
 龍源寺前の信号を右斜めに曲がって脇道に入ると、●野川が流れています。川沿いに緑道が整備され、散歩に最適になっている。右岸を少し行くと、「大沢の里水車経営農家」という施設があって、興味が湧いたのだけど、令和5年2月21日まで耐震工事のため、臨時休館ですと。今日は19日で2日先に来ていたら開いていた!。残念でした。その代わり川脇に●水車小屋があって水車が回っていました。 「飛橋」を渡って、対岸は段丘の崖が続き、「出山横穴墓群」という史跡が見られます。中でも"第8号墓の玄室"がガラス張りの史跡として公開されていました。 "案内板 "
 街道に戻るすぐ手前、右側に"三鷹市崖に眠る軍用防空壕横穴墓" という案内板が立っていて、見にくいけれども、崖の中に彫られた●防空壕の入口が見られました。  12:35

■野川~牟礼2丁目交差点
 街道に戻って東行。●「野崎」の交差点。戦国時代、関東管領上杉氏が北条氏に対抗して開いたという「深大寺道」が直交しています。 その先三鷹市役所前を通過。●「三鷹一小前」交差点で人見街道が左折するので、同様にこちらも曲がって牟礼に向かいます。
  ●牟礼2丁目交差点。 左へ行くのは「牟礼街道」。小田原北条氏の軍道で上杉氏の深大寺街道に対するもの。 角に "道路供養塔 "が建っています。牟礼街道は次回あたり歩こうかと思います。人見街道は右へ曲がって「大宮八幡」へ向かい、大宮街道は左斜めに向かい、坂を上がります。 14:10

■牟礼2丁目~三鷹台駅
 左手に●牟礼の里公園。牟礼の里とは、三鷹台駅前通りから玉川上水まで広がる農の空間で、「牟礼の里公園」はその核として、昔ながらのふるさとの農風景を保全した公園ですという。 右手の高台には●牟礼神明社。牟礼城跡に建つ。天文6年(1537)北条氏綱の家臣北条綱種(牟礼の髙橋家の先祖)が深大寺城に相対して、当地に陣を設けた際、飯倉神明宮(現在の芝大神宮)の分霊を勧請して創建された。 その先少しで●井の頭線「三鷹台駅」ガードをくぐります。 14:25 

 ■三鷹台駅~善福寺川・宿橋
 ガ-ドをくぐった先 "立教女学院" で道は遮断されてしまうので、右脇を迂回し、武蔵野市の境界である、●立教通りを真っ直ぐ北上して行きます。「松庵小前」交差点の五日市通りにぶつかる所は微妙に食い違がって進むので、何か意味があるのかもしれません。 JR中央線のガードをくぐり、更に真っ直ぐ行くと●西荻北3丁目マンションの所で又道は遮断されます。右に曲がり、左に曲がりして、迂回して行くと、●善福寺川に架かる宿橋の所から旧道は復活しています。 15:10

 ■宿橋~清水1丁目交差点
 ●宿橋の下を流れる善福寺川。善福寺公園内にある善福寺池に源を発し、神田川に合流する。護岸工事でこのあたりでは水路の趣。
道なりに進むと●荻窪八幡に着く。道はその先「環八清水1丁目」まで消えている。 源頼義が奥州東征の途中、ここに宿陣し、戦勝を祈願したという由緒を持つ。 境内に"「道灌槙」"という槇の木があって、太田道灌と豊島氏との「江古田の合戦」にまつわる由来が残る。 八幡社の先、道は消滅しているので、ジグザグに進み、●「環八清水1丁目」交差点に出た。ここは「天沼」と称し、古道が交差する要衝で、乗瀦駅(あまぬまうまや)が置かれたと云われる。 古代武蔵国は東海道に属さず、上野国から連絡道を南下していた。宝亀2年(771)に東海道に属することになったが、相模国と下総国が直接つながってしまい、武蔵国へは連絡道でつながっていたと考えられる。現在の状況を思うとにわかに信じがたいのだが、正面は下総へ行く連絡道。左は大宮街道で、无邪志国造へつながり、右へは胸刺国造への道であり、狛江に向かう。尚乗瀦駅の所在地は港区中延、大田区馬込に置く説もある。(森田悌) 15:40

 ■清水1丁目~環八南田中
 ●環八通りを北上します。今川1丁目信号の先で「井荻トンネル」への口が開いています。このあたりは西武線が平面交差していた為、「開かずの踏切」となり、大変な交通難所だった所。 ●井荻駅では陸橋が交差し、人はトンネルで線路向こうへ出ることになります。 環八が右へ曲がって行く●「環八南田中」信号の先で左へ細く、旧道は迂回しています。  16:16

 ■南田中~高野台1丁目
 旧道に入った先、右手に●豪壮な長屋門を持った「榎本家屋敷」が建っています。江戸時代末期の建築と推定される旧田中村の名主役宅門です。練馬区の登録文化財になっている。 石神井川に架かる●長光寺を渡って、笹目通りへ出ます。右手に●氷川神社。江戸時代初期慶長年間の創建で、祭神は須佐之男命。  16:40

 ■高野台1丁目~光が丘公園
 谷原交差点手前、●高野台1丁目信号で右斜めに入ります。 その先目白通りは歩道のない所を間合いを見て、サッと渡り、旧道は谷原変電所あたりから、光が丘団地を抜け、川越街道までなんと!、2.2km程一直線に進み、というか、わかっていません。旧道は断続的に残っているらしいが、川越街道、下赤塚まで団地の中をジグザグに抜けて行くしかありません。 目白通りの先、谷原、高松地区は●「ふれあいの道 旧赤塚街道」という案内のある道を進み、●都道443 光が丘団地南縁へ来ました。 17:00

 ■光が丘公園~下赤塚駅
 ●光が丘団地(パークタウン)は1度見に来たことがあるのだけど、さすがに大きく、色んな形、高さの団地が建っています。団地の中をななめに近く進んで行くと、光が丘警察署の向かいに●北野八幡神社が建っています。平安時代中期の永承年間、または康平年間の創建とされるというから、敷地が変わらなければ、当時の旧道がこのあたりを通っていたことと思います。あとは「下赤塚駅」まで暗くもあり、写真も撮れず、ひたすら進みました。 今日は案外と距離があって、25kmを越えました。
 17:40終了

       2下赤塚駅~大宮氷川神社