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西近江路を歩く 1 (大津市~海津町) |
歩行地図はこちら 地図 |
1 札の辻-北国橋-唐﨑-下阪本-比叡辻-苗鹿-雄琴温泉-衣川-堅田まで 21.3km |
西近江路 西近江路(にしおうみじ)は、近江国(滋賀県)から越前国(福井県)へ通じる北陸道を指し、交易上重要な街道であった。人々の往来が多いだけでなく、壬申の乱、藤原仲麻呂の乱、源平合戦、織田信長の朝倉攻めなどでは大軍がこの道を移動している。また、平安時代の遣渤海使もこの道を通 って都へ向っていた。 近世の北陸道は西近江路、北国海道、北国道 などとも呼ばれた。 起点は大津の札の辻であり、琵琶湖岸を北上し 海津町へ向い、海津から七里半越えを経て敦賀へと通じていた。 宿場は衣川(堅田)、今宿(志賀)、木戸、北小松、河原市(新旭)、今津、海津の7宿。距離は海津町まで68km程度である。 参考資料 歴史の道調査報告書 西近江路 (滋賀県教育委員会) |
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■小関越え~北国橋 旧道に戻って、次の路地を左にいくと左手に「大津絵」の店がある。大津絵は大津宿の名物であり、最初は仏画として描かれ、次第に風俗的、風刺的な絵になっていった。 突き当りは朱色の楼門が鮮やかな●長等神杜。長等神杜は三井寺の鎮守社である。創建は天智天皇の時代、須佐之御男大神を祀る。 街道にもどり、北へ向う。このあたり旧町名は北国町で北国海道の趣を感じる町名であったが、今は「長等1~3丁目」で味気ない。 北国橋が見える手前で、左折して行くと「長等小」前に●三尾神社がある。三尾神社は長等山の地主神で、祭神は伊弉諾尊。尊は常に三つの腰帯をつけており、その色は赤・白・黒その形は三つの尾をひくのに似ていたので三尾明神と名づけられたという。 道は「北国橋」で琵琶湖疎水をわたる。疎水は琵琶湖の水を京都へ送る為に明治18年より工事が開始された。北国橋よりすぐ東側、三保ヶ崎の取水点から取水し、北国橋の西側●大津関門を経て、京都へ向っている。 |
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■観音寺町~唐﨑神社 やがて●国道161号線に合流する。ここからしばらく国道を歩くが、旧道の旧蹟を伝えるものは何もない。 国道は●陸上自衛隊大津駐屯地の所で左へ曲っていき、旧道はグラウンド内に消えてしまっている。 自衛隊を右に見ながら進むと●「唐崎1丁目」交差点にやって来る。旧道は右に入って行き、少し先の電柱の脇に●天保7年の白鬚神社の上部が欠けた道標がある。 |
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■浮御堂~堅田駅 国道の「仰木口」交差点までゆるゆると戻って来て、交差点を左に折れる。仰木道信号の先に●榎木の高木と白髪大明神道標があって、旧道は手前の細い道を奥に入っていく。榎木は一里塚の役割を果していたともいう。道標は天保9年のもの。 ●堅田駅前の道をまっすぐ過ぎて行くと●堅田駅に到着した。西近江路の旅の1回目はここで終りとしたい。 |