東浦賀街道を歩く1
     (保土ケ谷~金沢八景)
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 保土ケ谷-いわな坂-蒔田橋-弘明寺-笹下釜利谷-栗木-能見台-金沢文庫-州崎神社-金澤八景  16.23km
 

  東浦賀街道
 幕末、外国船がしばしば来航するようになり、享保5年、江戸湾防備のために伊豆下田から浦賀へ奉行所が移されると、江戸と浦賀間の連絡の重要性が高まり、保土ヶ谷宿と戸塚宿の両方から東西2本の道が作られた。保土ケ谷宿からを東浦賀街道、戸塚からを西浦賀街道という。
 東浦賀街道は保土ケ谷から六浦、浦郷、十三峠、逸見、汐入、大津等を通って、浦賀へ至る32km程の行程である。しかし海岸線が複雑で、通行困難な為、十三峠など険しい難所を通行せざるを得ず、西浦賀街道の方が多く使われた。
 保土ケ谷から金沢まで鎌倉街道道上道とほぼ一致しており、金沢道とも呼ばれている。
 ここを西浦賀道と併せて歩きます。途中、消滅してしまった部分も多い。


  2024年10月20日  画面をクリックすると拡大します
■保土ヶ谷駅~保土ケ谷税務署
 JR保土ヶ谷駅到着。早速帷子町の●旧東海道保土ケ谷宿へ来ました。前回は2006年6月なので、18年ぶりです。街道歩き始めたばかりで、勝手がわからず、サッと通過した様な気がします。右手のビルは●保土ケ谷宿問屋場跡。 ●保土ケ谷税務署脇の十字路を左に曲がるのが東浦賀街道の始まりです。  9:38

 ■保土ケ谷税務署~いわな坂
 十字路の左角に●金沢横町の道標が4基並んでいます。これらは、保土ケ谷宿から金沢道(東浦賀道)へ向かう旅人の為のもので、右から「円海山之道 (峯の灸)で知られる護念寺がある場所です」。「かなざわ・かまくら道」、「杉田道(梅の名所)」、「富岡芋大明神(疱瘡の守神の長昌寺)」 への道標です。"説明板"。 左へ曲がった先、JR東海道線の踏切を渡り、国道1号へ出ます。  国道の向こう側は●「いわな」の上り坂が見えます。 途中の右手に●御所台の井戸 と称する古井戸の跡があります。北条政子がここを通りかかった時に水を汲んで化粧に使用したと伝わる。 脇の金属板に彫り込んである説明板は摩滅してほとんど読めません。この坂は鎌倉街道下道を歩いてきた際、下って来た訳でした。  9:48

 ■いわな坂~大原隧道
 坂を上り切ると、十字路の右角に●北向き地蔵が鎮座してます。享保2年(1717)、僧三誉伝入(さんよでんにゅう)が建立したもので台座部分が道標になっている。 この先道は真っ直ぐだが、旧道は蛇行しており、消滅状態です。 首都高狩場線を越え、「清水ヶ丘公園」の脇を通って●坂道を下り、京浜急行のガード前でちょっと寄り道。 左へ曲がって行き、首都高ガード下に "レトロな水道給水栓"があります。 「獅子頭共用栓」と呼ぶもので、イギリス製。明治時代に使用された、近代水道の貴重な歴史遺産という。 その先に●大原隧道が口を開けている。清水ケ丘公園の下を通り、関東大震災復興事業として横浜市水道局により1928年に完成した。横浜市認定歴史的建造物で、土木学会選奨土木遺産に選定されている。 映画やテレビドラマのロケ地としても使われているとか。 10:15

 ■大原隧道~蒔田橋
 元の位置に戻らず、隧道から真っ直ぐ進んで、京急のガードを越えると、●杉山神社があります。神奈川県ではよく見かける神社で、安産祈願の神様として広く知られてるそうです。 県道を少し進み、「南センター入口」交差点の旧道を左折。次の交差点右角に●●井土ヶ谷事件の跡と説明板がある。"説明板" 。生麦事件の同様の外国人殺傷事件で、現場の地名を取って、仮称したもの。
 その先の大岡川に架かるのは●蒔田橋。 周辺は桜の名所として、知られているとか。 この先浦賀道は大岡川をさけて、うまく通過するようになっているようです。 10:37

 ■蒔田橋~弘明寺
 ●県道21号を進むが、旧道は県道の南側を蛇行しており、消滅しています。 弘明寺駅から右手に●「弘明寺かんのん通り」のアーケードが続いており、前回、鎌倉から向かってきた時は、通らなかったので、今回は通ってみました。アーケードを抜けた正面に●坂東三十三観音の第十四番札所弘明寺山門があります。 "本堂"は山門をくぐった石段を上った所にある。 弘明寺は、9世紀初頭に空海によって創建されたとされ、1044年には光慧上人によって本堂が建立された。本尊は木造十一面観音像。  11:00

 ■弘明寺~慰霊堂入口
 アーケード入り口の向かい側、「横浜国大付属横浜中学前のベンチ際に●鎌倉街道碑が立っています。このあたりから旧道が復活しており、 その先、●街道入口信号から旧道に入ります。車の通行が少なく、県道とは大違い名静かな街道になっています。ここも一部分蛇行している所があります。 「上大岡駅」手前で、県道に合流し、旧道は●右側の細い道へ入ります。 11:31

 ■慰霊堂入口~笹下釜利谷通り
  上大岡駅は京急の特急が止まる駅で、駅前はかなりの繁華街。デパートやショッピングセンターなどが立ち並んでいる。 旧道は●1本裏通りなので、各ビルの裏手という感じ。 途中、右手の「青木橋」隣に●青木神社がある。 創建年代は不詳であるが、元は多々久之郷六箇村(久保、最戸、別所、中里、弘明寺、井土ヶ谷)の総社であった。 大岡川の洪水で社殿がこの地に流れ着き、「青木町」の地名の起源となったといわれている。 その先、旧道は県道を斜めに渡り、●「笹下釜利谷通り」に入って行きます。
 12:01

 ■笹下釜利谷通り~成就院(笹下城跡)
 右手に●横浜刑務所があります。 しばらく進んだ「環状2号線」手前に●鰻の井戸と案内板が立っていました。北条実時にまつわる伝説があるようだけど、長いので"説明板" 。  環状2号を渡り、「日下小前バス停」付近の細い道を右手に入り、又少々の寄り道をします。坂を上がって行った●成就院付近は「笹下城」跡で、 山門の前に「笹下城の空堀跡」の説明がある。説明板の前の道が空堀跡だそうだ。笹下城は、後北条氏の家臣である間宮信元(子孫に間宮林蔵)によって築かれたいわれ、戦国時代において、特に安房里見氏の侵攻に対抗する役割を果たしたという。 12:32

 ■笹下城跡~栗木町
 街道に戻って、●新川橋信号で左へ入ります。その先は右手が「笹下川」、左手は斜面に沿って建てられた住宅街が続く、細めの路地裏のような道を歩きます。「三井団地信号」に続く道路の角に立つ、「かねさわ道の説明板」は全く摩滅して、読めません。その先左手に"馬頭観音"があり 、その先で「県道22号・笹下釜利谷道路」に合流します。 左手に"「かねさわ道の説明板」"。こちらは薄いながらも読めました。 ●県道22号に合流。  13:00

 ■栗木町~
 県道合流地点から環状3号を渡った先まで旧道は消滅しています。●環状3号「栗木交差点」先で、旧道は左へ復活しているので、左へ曲がります。 入ると、いきなり"山道"に変わるので、びっくりしますが、道は続いている。 上り坂の途中●庚申塔3基と道標が置かれてあり、 道標には「左新まち道」「右杉田道」とあります。この先は、山腹を切り通したような林道で、歴史の道を感じさせるような散策路となっています。 13:20

  ~能見台森入口
 一度広い道路を横断し、ゆるい坂を上がって行くと、左側は「富田地区」のびっしりと並んだ住宅街となっています。前方に林が現れ、更に進むと「ひかり丘公園」にぶつかった。公園を左に見ながら、坂を上がって行くと、右手に真っ赤な社が見える。●岩船地蔵といい、本尊は栃木県岩船山高勝寺にある。 この地蔵は、子授けや安産祈願、水子供養の信仰が厚いことで知られ、海に近いことから、航海や漁業の守護神としての役割を果たしていたという。 この先、道はグルっと回って行き、●階段を下る所から先、大規模な宅地開発の為、「能見台森」まで旧道は消滅している。 階段を下り、真っ直ぐ「富岡中」の脇を南下して行くと、「京急ストア」があるので休憩が出来ました。「能見台低区配水槽」という施設脇、●「能見堂緑地」案内柱の立つ所を入って行くと、能見台森の中の旧道に合流します。 13:50

 ■能見台森入口~能見堂跡
 案内柱から入って、道なりに進むと「能見堂へ」という案内板に出会うので、それに向かって進むが、両側が灌木で見えず、都会の中の森とは思えないくらいだけど、●1本道しかないので、迷うことはありません。これが浦賀道だろうとは思います。 時々マンション街が見えてくる時もあります。 ●分岐になる所に、"能見堂緑地ハイキングコース案内」"という看板が立っていて、それによると、「関ケ谷不動尊」への分岐かと思います。また1本道を進んでいくと、●能見堂緑地に着きました。 ここに「能見堂跡」という案内板が立っています。 14:10

 ★能見堂跡 
 左手の高台が●能見堂跡地で、能見堂と呼ばれた「擲筆山地蔵院」の跡になります。 "説明板" ここから眺める風景が絶景で、明の僧、心越禅師が故郷の景色を偲んで、見た金沢八ヶ所の風景を漢詩に詠んだことで、「金沢八景」の場所と名称が決定されたという。  跡地に●武蔵国金澤碑、句碑、金澤八景根元地碑などが残されている。緑地の方に、●明治時代の写真も立っています。
 14:15

 ■能見堂跡~金沢文庫交番
 能見堂跡地を後に、その先の林道を下り、●切通しを出たりすると、住宅地に出ました。 左手に●庚申塔3基あります。 京急の踏切を越え、国道16号を右折、●「金沢文庫交番」の先を左斜めに入ります。ここは弓状にすぐ国道に合流します。 14:35

 ■金沢文庫交番~州崎神社
 国道沿いに●君ケ崎稲荷神社が鎮座し、社殿横には"狐像、不動明王像、その後ろに地蔵、横に無縁仏供養塔" など々、神仏習合も極まるという感じ。すぐ先、歩道橋の脇を左へ曲がり、住宅街へ入ります。ここもちょっと長めに弓状に入って、「土木事務所」の所で市道に出ます。 しばらく市道を進むと、左手に●龍華寺の山門がある。真言宗御室派の準別格本山。くぐった"茅葺屋根の「鐘楼」" が印象的。 龍華寺の隣は●洲崎神社。源頼朝が1191年に安房国の安房神社の分霊を勧請し、幕府直轄の神社として創建されたとされ、元々、長浜の地にあったが、1311年の激浪によって村が流滅し、住民の一部がこの地に移住して建立しました。15:03

 ■州崎神社~瀬戸神社
 洲崎神社を出たら、住宅街を原則真っ直ぐに、ちょこちょこっと曲がりつつ南下。市道に突き当たって、右に曲がると第一生命ビルが見えるが、ここは●料亭東屋があった場所で、「明治憲法起草の地」説明碑が立てられている。 明治20年、 伊藤博文、伊東巳代治、金子堅太郎、井上毅 らが集まって憲法草庵の構想を練ったのがこの地。 少し戻った「州崎町」交差点の角に●憲法草創之處という石碑が建って射ます。元に戻って、「瀬戸橋」を渡る。左手、●琵琶島神社の鳥居が立ち、社殿は海に突き出した先にあります。
15:15

■瀬戸神社~金沢八景駅
 右手道路の向かい側、●瀬戸神社が鎮座。 治承4年(1180)、源頼朝が伊豆三島明神を勧請して創建。北条氏や徳川家の崇拝を受け、家康も社領100石寄進していいます。 ●金沢シーサイドライン「金沢八景駅」、●京急「金沢八景駅」が並んでいる。ここで東浦賀街道の半分が終わるので、今日はここまでとしました。 15:30

     2 金沢八景駅~西浦賀街道合流点