東浦賀街道
幕末、外国船がしばしば来航するようになり、享保5年、江戸湾防備のために伊豆下田から浦賀へ奉行所が移されると、江戸と浦賀間の連絡の重要性が高まり、保土ヶ谷宿と戸塚宿の両方から東西2本の道が作られた。保土ケ谷宿からを東浦賀街道、戸塚からを西浦賀街道という。
東浦賀街道は保土ケ谷から六浦、浦郷、十三峠、逸見、汐入、大津等を通って、浦賀へ至る32km程の行程である。しかし海岸線が複雑で、通行困難な為、十三峠など険しい難所を通行せざるを得ず、西浦賀街道の方が多く使われた。
保土ケ谷から金沢まで鎌倉街道道上道とほぼ一致しており、金沢道とも呼ばれている。
ここを西浦賀道と併せて歩きます。途中、消滅してしまった部分も多い。 |
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