■愛宕山公園~浦賀奉行所跡
●旧道に戻り、少し先、右手に見えるのが●為朝神社。ごく普通の神社だけど、寛政12年(1800)、海に漂流していた木像を引き上げたところ、鎮西八郎為朝の像であったといいます。 神社の前を通過していくと●浦賀奉行所跡にぶつかりました。現在は空地になっていまが、住友重工業の敷地で、社宅が建っていました。グーグルマップで平成17年の写真を見てみると、良くわかります。"説明板" "浦賀奉行所全景" 浦賀奉行所は享保5年(1720)、伊豆下田から移転し、船改め等の業務に従事していた。嘉永6年(1853)6月、ペリー艦隊が浦賀に来航した際には、中島三郎助など、浦賀奉行所の役人たちが活躍し、その後の日米外交に大きく貢献しました。 12:25 |
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■浦賀奉行所跡~
一応戸塚から浦賀奉行所跡までの西浦賀街道はゴールしました。時間があるので、東浦賀へ回ってみようと、海岸通りを戻ると、●船番所跡の看板が立っています。奉行所の出先機関で明治5年まで船改めの業務をしていました。 少し戻ると浦賀の渡し場があって、東西浦賀を●渡船が通っているので、乗ってみました。渡船賃400円。市民は200でした。東浦賀に渡った先、●東叶神社が高台に鎮座しています。西の方が本宮で、こちらは分霊したもので、「若宮」とも呼ぶらしい。 |
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