五日市街道歩き旅2   2 西武多摩湖線踏切から拝島駅まで 歩行地図
 西武多摩湖線踏切-上水本町-並木町-古民家園-阿豆佐味神社-宮沢新田-西砂川-横田基地-拝島駅   13.6km  全線43.6km  
 

 1 梅里から西武多摩湖線踏切まで   2 西武多摩湖線踏切まで拝島駅まで  3 福生駅から武蔵五日市駅まで

 五日市街道
 徳川家康の江戸入府後、五日市(現・あきる野市)や檜原から木材、炭などを運ぶために整備された街道。初期には伊奈道とも呼ばれた。1956年、横田基地拡張に伴い、立川市西砂町〜福生市第五ゲート前交差点の区間が米軍に接収され分断された。そのため現在の五日市街道は、西砂町宮沢付近から横田基地の南側を迂回し、拝島駅付近の武蔵野橋北交差点で国道16号に合流している東京都杉並区梅里で青梅街道から分かれ、吉祥寺、砂川、牛浜の渡し、伊奈宿を経て五日市宿に達する全長約42kmの道です
        参考書・・・・・・五日市街道1に記載

2009年11月23日 五日市街道1からの続き
西武多摩湖線踏切~上水本町

 「新小平駅」から前回の「桜橋」の「西武多摩湖線」踏切まで線路に沿って歩いて来た。
 玉川上水の左側を歩くが、季節柄、落葉が積っていてサクサク鳴り、気持が良い。
 道は、この先の「上水本町」でになって、現五日市街道は左手、旧五日市街道は右手の狭い方の道に分かれる。玉川上水とここでお別れとなった。  10:30

上水本町~並木町
 右手に入った所に上鈴木不動尊がある。このあたりの鈴木新田の鎮守である。
 右手には長い塀をめぐらせた屋敷が続き、何かと思い、ずーとたどっていくと、塀の中は「いろりの里四季亭」という料亭だった。家でホームページを見ると・・・・3000坪の敷地の中に、錦鯉の群れ泳ぐ日本庭園に面して茶室や音楽堂などが点在し、いにしえの日本情緒たっぷりの庭園レストランです・・・・ということで、そんなに高級そうではない感じ。  10:36

並木町~妙法寺
 旧道は突き当たりを左折して行くと、右手には低い生垣と奥に竹林が続いている。新道に出る手前の生垣の中の、かがまないと見られないような所に三体の石仏がある。右から石橋供養塔、真ん中は庚申塔、左は馬頭観音で小さくかわいらしい大きさのもの。 
 現五日市街道を右折して、真っ直ぐ進む。上水本町交差点で府中街道を横切り、「西武国分寺線」の踏切を越える。次の信号の角に面白いものがあった。工務店のような家の庭に七重の塔の大きな模型が立っている。三階建の建物くらいの高さがあって結構立派。 11:02

妙法寺~古民家園
 右手に神明宮があり、さらに300m程進むと、右手に愛宕神社がある。改築されたばかりの、端正な形のきれいな神社である。境内に珍しく白馬の神馬が奉納されていた。
 その先左手に鳳林院があるが、入口道標を兼ねた馬頭観音像があると聞いていたが、よくわからなかった。
 鳳林院の斜め向かいに「妙法寺」がある。ここには、「川崎・伊奈両代官謝恩塔」がある。寛政11年(1799)に建てられたもので、関東大震災で倒壊し、昭和25年復元された。
 武蔵の新田開発に貢献した川崎平右衛門、伊奈半左衛門の両代官に対する武蔵野新田82ヶ村の感謝の結晶として建立された。  11:25

古民家園~砂川十番
 妙法寺から400m程で立川市に入る。江戸時代は砂川村であって、砂川十番というバス停がある。西の一番から東へ開発が進んで来たので番号が付けられたと思われる。このあたりは大きな屋敷林を持つ農家が散見される。砂川九番の先「古民家園入口」という所から右折して、「古民家園」に行ってみた。
 嘉永5年(1852)に建てられた「小林家住宅」が移築されている。大きな茅葺の上層農家であり、多摩地区有数の建物といえる。  民家園を出て、南西に行った所に巨大な「砂川八番組馬頭観音」碑が立っている。嘉永年代のもの。 12:35

砂川七番~阿豆佐味神社
 砂川七番で芋窪街道の上を多摩モノレールが走っている。先には長屋門があり、結構昔の名残を見ることができる。
 砂川五番から四番にかけて空地のある区間がある。立川基地拡張反対闘争の名残といわれる。
 砂川四番にはいり、右手に阿豆佐味(あずさみ)天神社がある。寛文6年(1629)、砂川新田開発に伴って創建された。18世紀中頃に建てられたという本殿は「一間社流造正面軒破風付こけら葺」という立川市で最古のものというが、後ろの白い覆殿に納められている。神社は本殿が重要で、いつも本殿を見るようにしているが、由緒ある神社ほど、覆いがかぶせられて見ることができないことが多い。ここの覆殿は拝殿に比べ落差がありすぎてみすぼらしい。  13:20

阿豆佐味神社~上水橋
  砂川三番の先、左に入る道は相模の大山に通じる大山道、案内板が出ている。入った右手に古い道標がある。正面に「大山道」と刻まれている
 その先左手に流泉寺がある。江戸時代初期新田 開発に来た人たちの菩提寺として造られた。ここの石仏群は、子どもを抱いたのや襟巻を巻いたようなのやら、一つ一つの姿勢や表情がどれもユニークで面白い。また明治時代、教育の中心で学校が設けられていた。

 流泉寺の斜め前に砂川村名主の「砂川家」の屋敷がある。屋敷にはケヤキが聳え、玉石垣を巡らし、大変な名家と知れる。
 砂川家の先の信号で街道から少し離れ、右へ入り、見影橋へ向った。見影橋は、玉川上水の上流から4番目の橋で、江戸時代は「四ノ橋」と呼ばれた。また、名主の家に近いことから「旦那橋」とも呼ばれた。明治の初め、橋のたもとに名主にちなんだ「源五右衛門分水」の取水口があった。14:15

上水橋~宮沢新田
 街道に戻って西に歩くと、砂川一番のバス停の先で残堀橋で残堀川を渡る。残堀川は箱根ヶ崎の狭山池を水源として、江戸時代は玉川上水の助水としてここから少し上流で流入していた。明治になって汚水が激しくなったため、玉川上水と切離され、その後多摩川へ合流することのなった。
 ここで珍しいのは切離す際、玉川上水は残堀川の下を、サイフォンの原理でくぐっていることで、「上水橋」の両側を見てみると、上水がゴミよけの鉄格子の所から、下へ流れ込み橋の向う側から湧出ているのが見られる。

 残堀川から約300mで天王橋に達する。今は六差路になっており車の通行が複雑だが、街道は直進して突き当たってから右折して天王橋を渡る。
 その突き当たりに小さな天王様(八雲神社)がある。牛頭天王を祀っているので、「天王橋」の名の由来になっている。
 天王橋を渡って、街道は斜め左へ曲って行く。しばらく行くと西武拝島線のガードをくぐる。松中通りとの交差点で旧砂川村は終わり、その先は西砂川新田になり、両側は典型的な新田開発地域で、細長い地域割りになっている。 15:05

宮沢新田~西砂川
 その先で街道はY字型に二股に分かれ、左が現在の五日市街道、右が旧道になる。以前の旧道は「砂川のもぐら街道」といわれて、ケヤキの並木がよく残り、道路も葉の茂っている頃はトンネルのようだといわれたらしいが、現在ではそんな感じではない。ただ新道からはずれたので車の通行量は少なかった。
 右手に阿豆佐味天神社がある。殿ヶ谷新田の鎮守として創建された。こちらは砂川四番の阿豆佐味天神社と比べるとはるかに小さい。境内には明和元年(1764)の庚申塔や馬頭観音が建つ。  15:15

西砂川~横田基地
 この付近から西の方は「中里新田」といい、西の端の方は、戦時中、陸軍用地として買収され、戦後は横田基地として接収された。昭和25年朝鮮戦争が起こると横田基地も拡張されることになり、五日市街道も基地の中に取り込まれて遮断された。旧道はやがて基地の金網へぶつかり、左折を余儀なくされる。前方は横田基地である。青梅街道を歩いたときは3km程北方で遮断された。左折して左回りに基地の最南端を「拝島駅」方面へ迂回して行く。  

横田基地~福生駅
 迂回がが始まって、左手の「神明社」を目指したが、わからなくなってしまって、通り過ぎた。「熊川武蔵野」交差点を右折して、真っ直ぐ進み、途中基地への引込線の踏切などがある。本日はここまでとして、そのままJR「拝島駅」へ出て帰宅した。

15:50

 五日市街道3へ続く。

 1 梅里から西武多摩湖線踏切まで  2 西武多摩湖線踏切まで拝島駅まで    3 福生駅から武蔵五日市駅まで