五日市街道歩き旅   3 福生駅から武蔵五日市駅まで  歩行地図
 拝島駅-第5ゲート前-多摩橋-二宮-秋川駅-引田-山田-舘谷-大悲願寺-五日市駅   13.2km  全線43.6km         
 

 1 梅里から西武多摩湖線踏切まで   2 西武多摩湖線踏切まで拝島駅まで  3 福生駅から武蔵五日市駅まで

 五日市街道
 徳川家康の江戸入府後、五日市(現・あきる野市)や檜原から木材、炭などを運ぶために整備された街道。初期には伊奈道とも呼ばれた。1956年、横田基地拡張に伴い、立川市西砂町〜福生市第五ゲート前交差点の区間が米軍に接収され分断された。そのため現在の五日市街道は、西砂町宮沢付近から横田基地の南側を迂回し、拝島駅付近の武蔵野橋北交差点で国道16号に合流している東京都杉並区梅里で青梅街道から分かれ、吉祥寺、砂川、牛浜の渡し、伊奈宿を経て五日市宿に達する全長約42kmの道です
        参考書・・・・・・五日市街道1に記載

2010年1月3日 五日市街道2からの続き
拝島駅~水喰土公園
 新しい年の2010年1月3日。五日市街道を終えようと、前回の終了地点、拝島駅へやって来た。 
 本当は駅北口から国道16号へ出て、基地の第5ゲートへ行くべきであるが、旧道はなく迂回路であるし、「玉川上水」に沿って行って見ようと思った。駅の北側日光橋からしばらく上水に沿って進む。一帯は「玉川上水緑地」という。枯葉が程よく積り、カサカサと足音がなり気持が良い。   10:25

水喰土公園~第5ゲート前
 やがて緑地の先端「水喰土」公園」へ到着した。玉川上水工事の際、厚い砂利層が水を吸い込んで水路を確保できず工事としては失敗だったという所である。結局新しい北側に掘り直しを余儀なくされている。
 公園を出て、「五丁橋」を渡り、国道16号へ出て、左折をして横田基地第5ゲートへ来た。ここから旧五日市街道が再開するわけで、約1.6km程迂回をさせられる。 10:45  

第5ゲート前~牛浜橋
 JR八高線の踏切を越えて行くと右手に市民会館があり、前庭の中に道しるべがある。字は薄くて読めないが、右の標柱に「右江戸 左きよと」と書いてある。きよとは、清瀬市清戸をさす。
 その先JR五日市線の踏切を越え新奥多摩街道を横切った先に玉川上水に架かる牛浜橋は熊本より石工を招き明治10年に「めがね橋」と称された形で作られた。現在の橋は昭和52年に架け替えられ、親柱などに歴史的背景が取入れられている。歴史調査報告書に「めがね橋」の写真が載っているが、現在とはだいぶ趣が違っている。  11:03

牛浜橋~多摩橋
 牛浜橋を渡ると、その先は急坂になり、「大坂」という坂で、坂を下ると多摩川に突き当る。土手の向うは「多摩中央公園」で対岸は「あきるの市」が一望できる。
 昔は多摩川を渡しで(牛浜の渡しとか森山の渡しという)渡っていた。五日市街道でもここの多摩川の渡しが最大の難所であった。河川敷に史蹟石濱渡津跡と「うしはまの渡し」碑が立っている。石濱渡津跡とは正平7年(1352)、足利尊氏と新田義興・義宗の激戦があ𢦏ったということ、うしはまの渡しは大正14年に多摩橋ができたことにより廃しされたことの記念碑である。   11:15

多摩橋~二宮神社
 現在の五日市街道は、上流の多摩橋で多摩川を渡る。多摩川と平井川を渡り、「平沢」交差点で左にカーブして行く。
 その前に交差点を右折して「広済寺」へ寄ってみた。ここには「田中丘隅回向墓」がある。田中丘隅は江戸時代を代表する第一級の民政家といわれ、将軍吉宗の「民間省要」を献上し、治水や用水の普請に活躍し、武蔵国3万石の代官を務めた。   11:40

 交差点に戻って本来の旧道を行く。街道は左にカーブしながら「突抜坂」と呼ばれた、急坂を登って行くと二宮本宿の交差点に出る。二宮宿は五日市街道の宿場で、本宿と北側に平行してあった北宿に分れていた。現在では宿場を偲ばせるような風情は全く残っていない。
 交差点の先で細い道を右折して、北側の「北宿」の方に回ってみた。北宿を少し歩いた先に針金で補強された庚申塔が残っている。正月のせいか人通りがなく、静かなものだった。

 本宿へ戻る際に、右手にある玉泉寺に立ち寄った。天台宗のお寺で、現本堂・山門・鐘楼は元禄4(1691)年の落成。明治6)年から明治24年まで、東秋留小学校の前身二宮小学校として使われていたという。
 ここで変っているのは境内の仏像がみんな大樽に中に収っていることで、「大樽恵比寿」とか「大樽平和観音」とかいっている。大樽は地元の醤油店寄贈の醸造用の大樽だそうでが、こんなの初めて見た。  12:10

二宮神社~秋川駅
 本宿の通りへ戻り、「二宮神社前」の先に二宮神社がある。武蔵総社六所宮(現大国魂神社)の第二の神座にあるため二宮と呼ばれた。社伝に寄れば「平将門の乱」に際し、藤原秀郷が戦勝を祈願したという。室町時代、一帯は「大石氏」が支配し、「大石氏の居館跡」に推定されている。
 旧道に戻り、西へ進む、秋留台地が開けている。道の左右は畑が広がっている。右手の「秋留台公園」、「あきる野市役所」を通過して行く。    12:30

秋川駅~引田
 「市役所前」交差点の先左手に大塚古墳がある。円墳の様であるが、一辺33m、高さ8mの方墳であると判明した。
 古墳一帯は「小川牧」と呼ばれた朝廷の牧場が広がっていた場所であったそうだ。
 少し行くと左手に秋川駅があり、立派な駅前大通りが北に続き、スーパーや商店が並んでいるが、背景に丘陵が広がり雰囲気のある風景であった。   12:57

引田~山田
 駅の先で、左に曲がり五日市線の踏切を越え、すぐ圏央道の下をくぐる。道は下り道になり、前方に山がよく見えた。奥多摩の山々であろうか。
 「淵上バス停」から旧道は少し右手に入っている。新道に合流してから、「原店」の交差点から「一の谷通」を通り、秋川方面に寄り道して「真照寺」に向かうことにした。川の段丘を下りて行く途中、川向うは、サマーランドの観覧車がよく見える。右の方に都の天延記念物「六枚屏風岩」が見えた。浸食された崖の様子が屏風を折ったように見えることからこういう名前が付いている。  13:35

 真照寺
 真言宗の寺院で、本尊に不動明王。創建は平安時代の寛平3年(891)ということになっている。
 入口にある朱塗りの山門は、元禄元年(1688)に建立されたもので、4脚門で部材の保存状態も良く、江戸時代中期の特徴をよく残している。。
 境内奥の一段高い所にある、木造カヤ葺き形式の銅板葺の薬師堂は宝形造という技法で作られていて、延文元年(1356)に関東管領・足利基氏が創建当時の木材を用いて再建したものとされ、その謂れを記した棟札の写しも現存しているとか。  13:40

山田~伊奈
  新道とは「原店」の交差点で合流する。引田を過ぎ、山田に入る。ここから旧の五日市市になる。右手「岸タイヤ商会」の看板のところを斜めに入っていくのが旧道である。
 まもなく山田の交差点で大きな道と交差する。この南北の道は、鎌倉街道と呼ばれている。北は上州へと続く古道であったという。
 旧道は「増戸小・中学校」の裏手を通り、直角に近く曲って現在の新道に合流する。あたりは伊奈宿の入口であった。

伊奈~大悲願寺
 伊奈宿は、西の上宿と東の新宿からなる。中世末より市が開かれ。次第に江戸に炭や「伊奈石」を送る産地として栄えた。しかし次第に木炭の産地に近い、地の利を生かした「五日市」に取って代られるようになっていった。
 「伊奈坂上」のバス停の手前に市神様というのがある。伊奈村の市の守神であり、地元の伊奈市で造られ、寛文2年(1662)の銘が刻まれている。
 旧道は、「新秋川橋東」の信号の所を右に下りていく。右手に正一位岩走神社がある。伊奈村の鎮守で仁平2年(1152)信州伊奈村から移り住んだ人々が本国の戸隠大明神を勧請したと伝えている。  14:25

大悲願寺~舘谷
 神社の手前から、川に沿った道が旧道で、昔は今よりずっと下の方を通っていたので、難所の一つであったという。
 途中で右折して大悲願寺へ向う。五日市線の踏切を越えると大悲願寺がある。
 多摩地方きっての古刹であって、創建は建久2年(1191)頼朝の命により、平山季重が醍醐寺三宝院の僧を招いて開山としたとされる。仁王門は安政6年の再建。観音堂には地獄と極楽の見事な彫刻が施され、内部の本尊伝阿弥陀如来三尊像は国の重要文化財に指定されている。   14:40

 寺からまた、階段を下りて秋川沿いの旧道へ戻る。「秋川渓谷瀬音みち」という看板が立っている。
 左側は秋川渓谷で、渓谷美と旧道の静かな雰囲気を味わうことができる。現在のバス道と合流するあたりには。庚申塔と数体の石仏が佇んでいた。
 新道手前で「三内橋」を渡り、五日市橋信号で新道をを横切って行く。

舘谷~五日市駅
 、横断して舘谷に入るが、「正光寺」の前を右折したら、道がわからなくなり、少し右往左往してしまった。結局わからなく大回りしたら、八幡神社に出た。ここの前の道は間違いかも知れない。
 道なりに進んで「舘谷」信号で新道に合流した。左折すると目の前が武蔵五日市駅である。一応の目的は果した思う。この先「五日市宿」は東町から栄町あたりまでをいうらしいが、駅前を左折して五日市宿内を通る道は檜原街道と呼ばれているので、駅前で「五日市街道」のゴールとしたい。                  15:20分終了

 1 梅里から西武多摩湖線踏切まで  2 西武多摩湖線踏切まで拝島駅まで    3 福生駅から武蔵五日市駅まで