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56 枚方宿(東海道57次) 枚方宿は京都と大阪の中間にあり、 淀川の京都伏見と大阪八軒屋浜とを結ぶ三十石船の寄港地として、また陸上の交通の要衝として重要な位置を占めて繁栄した。宿は岡新町村、・岡村、・三矢村、・泥町村の4ヵ村で構成され、東見付から泥町の西見付まで13町17間(1477m)あった。現在の枚方市は当時の建物や景観の保存に熱心で昔の宿場の面影が残されている。 本陣1 脇本陣2 旅籠67 |
1 追分~伏見宿 | 2 伏見宿~淀宿 | 3 淀宿~枚方宿 | 5 守山宿~高麗橋 |
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![]() ![]() ![]() 右側にも ![]() |
![]() ![]() ![]() さて、交差点を左折すると ![]() 2010年1月31日 8:15。 前日の交差点を直進して京街道再開。 右手に ![]() |
![]() ![]() ![]() 左手の岡本町公園前、ビオルネ側に「枚方宿の案内地図」が造られていて、東見附から西見附までの地図や主な史跡の案内が載っていた。 その先から細い道が続き、両側には歴史的な古い建物が沢山残っている。特に右手に漆喰の壁に袖卯建のある建物は、享保年間から続いている塩熊商店の、旧小野邸宅を ![]() 8:27 |
![]() ![]() ![]() その先の交差点の先にある「淀川資料館」の案内板に従って、右折していくと、淀川の土手にぶつかり、上がって行くと、 ![]() 旧道に戻って、右手角の工事フェンスに囲まれた所が ![]() |
![]() ![]() ![]() 浄念寺の先は大きく右へ曲って、すぐ左折する枡形となっている。最初に右折する辺りの、右手に ![]() 旧枚方宿問屋役人 木南喜右衛門 屋号は田葉粉屋。案内板には「木南家は江戸時代初期から庄屋と問屋役人を兼ね、くらわんか船の茶船鑑札を所持し、宿と村の運営に大きな影響を行使した。現在の建物は明治期の建築で、長い間口に出格子と虫籠窓が連なる伝統的な表屋造りで、広い敷地内に四棟の土蔵を配した大規模な町屋である」とあった。 |
![]() ![]() ![]() 道を直進すると右側に ![]() ![]() 8:46 |
![]() ![]() ![]() 交差点を過ぎて「桜町」に入る。● ![]() 「枚方大橋南詰交差点」へ出て、横断して真っ直ぐ進む。「西伊加賀町」となり、左へと曲って行くと ![]() |
![]() ![]() ![]() 「伊加賀小学校」の脇をダラダラと行くと、「出口」集落の細い道に入り、 ![]() 蓮如は越前、吉崎から京都へ戻る途中、ここ出口村でしばらく滞留した折り、村人から寄進された寺が光善寺の前身といわれる。ここを拠点として近畿一円に教化活動を展開したが、山科本願寺再建のため、2年半で山科へ移動している。 |
![]() ![]() ![]() 光善寺の前南下する道は昔ながらの狭い道で、両脇にいかにも旧道にふさわしい古い建物の並ぶ。しばらく進むと左手に ![]() そのまま進むとやがて ![]() |
![]() ![]() ![]() 土手の上をしばらく歩いて行くと、左側に ![]() |
![]() ![]() ![]() ![]() 石碑の先に石段があるので下りていくと、西正寺があり、その先に ![]() 淀川新橋は橋の下をくぐって進み、土手の石段を降りていくと ![]() |
![]() ![]() ![]() 土手に戻った後は土手をひたすら歩く。先には ![]() 鳥飼大橋の所には「大阪モノレール」が走っている。ここは左下にある道を通り、土手を進み、左手に下りて行くのだが、堤防工事中で、本来下りる道がわからなかったか、間違えたかで、その先から下りてしまった。その為道左下にあるのはずの八坂瓊神社を見ずに通過した。「八雲北公園」を通り、府道守口線の高架下をくぐり、 ![]() |
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