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中原街道歩き旅 2 |
2五反田駅から仲町台駅まで 歩行地図 |
五反田駅-平塚橋-洗足池-桜坂-丸子橋-小杉御殿-武蔵中原駅-千年-久末-勝田橋-港北ニュータウン 18.1 km |
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2008年10月 5日、晴れ 9時過ぎ
地下鉄半蔵門線五反田駅到着
■五反田駅~中原口
JR五反田駅の写真は前回のものだけど、ガードを潜って、左折して商店街の方へ行く。●大崎橋で目黒川を越えて行く。途中右手にある大きなビルは「TOC東京卸売りセンター」。時々バーゲンセールをやっていて来たことがある。9:10 |
TOC前の●「中原口信号」で国道1号と交差するが、 歩道橋を渡って右手の中原街道側に移っておく。中原口信号の歩道橋には右折、左折側どちらも「中原口」と案内され、どちらへ行くべきが迷うところだけど、右折側に「中原街道」の案内標識が立っている。 旧道は、高速道路下にあるホテル「ルートイン五反田」の右側の細い道から●「旧中原街道」が続いている。入り口に「旧中原街道」の案内板も立つ。旧道は上り坂が続いている。9:30 |
■中原口~ 平塚橋
上がった先右手角に、●「子別れ地蔵」と呼ばれる地蔵がひっそりと立つ。案内によると、享保12年(1727)に建てられたもので、かつての桐ヶ谷火葬場に続く道筋で子に先立たれた親がその亡骸を見送った場所であったといわれております・・・と。そのすぐ先左手の祠に●「旧中原街道供養塔群」(一)がある。北方10mの所から区画整理で移転して来た。地蔵菩薩立像2基と馬頭観世音、聖観音立像が安置されている。江戸中期から後期にかけての庶民の信仰状況を示すものとして貴重なものだそうだ。
9:35 |
旧道をしばらく行くと右手に荏原一中。その先右手、奥に「星薬科大学」がある。その先左手に●「旧中原街道供養塔群」(二)がある。庚申塔、子育て地蔵、風化でよくわからない供養塔、髭題目碑など6基が建物の中に安置されている。寛文2年(1662)から宝暦4年(1754)のかけてのもの。戸越村などの民間信仰を伝えるものとして貴重。道はやがて「平塚橋交差点」で中原街道と合流する。旧道角に今時珍しい座敷箒やスダレの店があった。●中原街道に合流して先に進みます。
9:50 |
■平塚橋~旗の台
●「平塚の碑」
[平塚橋交差点」の少し先、右側にある「バーミアン」の階段に案内板が貼ってある。後三年の役(永保3年・1083~)の際、源義家を助けた新羅三郎源義光が奥州からの帰途、この地において、夜盗の為に多くの部下を失った。その霊を弔うために塚を築いたという。その先昭和医大手前の右手に●石造庚申供養塔がある。寛文5年(1665)に造立されたもので、中央にひげ題目を刻んでいる。日蓮宗の影響で、青面金剛、三猿、日月が彫られておらず珍しいものとされる。 |
昭和大病院前交差点からは●旧道は左へカーブして入って行く。旧道の面影はなく、普通の細い道だが、「立会道路」という道が、昭和医大前から続いており、この旧道部分から南北に「立会川緑地」として連続して続いている。明らかに「立会川」が暗渠化されて流れているはずで、もしかしたらこの左に入る道も川と関係があるのかもしれない。右にカーブして再び中原街道に合流する。
左折して●「さいかち坂」を上って行く。10:30 |
■旗の台~洗足池
●環状七号線、陸橋をくぐってしばらくく行くと、右手に「洗足池」が広がる。手前の洗足池図書館の道を入って行くと、右手の「大森六中」のフェンスの一角に●勝海舟別邸(洗足軒)跡を示す看板が立つ。勝海舟は西郷隆盛と江戸城明け渡しの会見を、本門寺で行っている。その縁で別邸がこの地に造られた。 左側は「妙福寺」で 「日蓮上人 袈裟掛けの松」がある。 (日蓮が本門寺訪問の前に、この松に袈裟を掛け、池の水で足を洗った事から松を袈裟掛けの松、千束池を洗足池と称されるようになった)。但し何故か袈裟掛けの松の碑が二つある。寺には「馬頭観音」もある。 |
寺の前を通り、奥へ行くと●勝海舟夫妻の墓所がある。勝海舟は、洗足池のほとりに別邸を構えていた。その近くに西郷隆盛の死を悼んだ隆盛の漢詩を●建碑し、さらに明治16年その魂魄を招祠して●留魂祠という魂を祀る「祠」を建立している。11:05 |
■洗足池~環状8号線
街道に戻り、少し先右手に立つ●「庚申供養塔」は、文化11年(1814)に品川の御忌講(御忌とは法然上人忌日のこと)という浄土宗を信仰する人々が建立したもの。また右側に「九品寺」(世田谷区奥沢)へを示す銘文も彫られて、道標を兼ねている。
その先の呑川の手前に●石橋供養塔が建っている。安永3年(1774)に雪ヶ谷村の浄心ら6名が本願主となって、石橋の安泰を祈って建てた供養塔。 11:25 |
■環状8号線~丸子橋
その先、●環状8号の陸橋をくぐり、田園調布警察前から横断して道は、左斜め前に入って旧道は急坂を下って行く。しばらく行くと、切り通しのような所に特徴的な赤い歩道橋が見えてくる。ここが「福山雅治」の曲にうたわれて有名になった。●「桜坂というスポット。両側に桜が植わり、春には美しいさくらのトンネルになることでしょう。今はもちろん桜の季節ではない。上に歩道もあるけれど、旧街道歩きにこだわると下の車道を行くしかない。昔は荷車が上がらないほどの急坂だったが、大正時代に切り通しができ、桜が植えられたそうです。 11:50 |
東急線「沼部駅」手前の東光院の角に●六郷用水跡がある。六郷用水は小泉次太夫により開削された農業用水で、多摩川の水を狛江市で取水し、世田谷、大田一帯を灌漑した。女性も交えて工事を行なった事から女堀とも呼ばれている所もある。現在は遊歩道として整備され、小さな復元模型の●水車が回っている。案内図が立っていたが、交通安全運動のテントが張ってあり、よけたので全部は撮れなかった。 11:55 |
■丸子橋~小杉陣屋町
●丸子橋
「沼部駅」を左に見て多摩川土手沿いの道に出る。二つのアーチを持つ丸子橋に向かって歩き、竣工したばかりのような丸子橋の広い歩道を渡る。川崎側に渡り、橋の下に小さい公園があり、そこに●初代丸子橋親柱が保存されている。初代の橋は昭和10年に開通していて、現在の橋は当時のデザインを踏襲して架けられた。丸子橋が出来るまでは渡船によっていたそうです。 12:30 中原街道2-2へ続く |
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