京街道歩き旅   1山科追分から伏見宿まで   歩行地図
 山科追分-山科大塚-大谷甲ノ辻-勧修寺-深草-久宝町-藤森-墨染-伏見   9.7km                      
 

 京街道(東海道57次)
 
   京街道とは、大坂から京都へ向かう街道の総称であるが、今回取上げる街道は大津宿の先、髭茶屋から伏見、枚方などを経て大阪市内、高麗橋までの道をいう。徳川家康は大名が京都で公家と接触するのを禁止したため、大名行列は髭茶屋で京へ向う東海道と分れ、京を通らずに大坂へ向うことになった。
 
この間は東海道の延長として道中奉行の管轄下に置かれ、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の4つの宿場が設けられた。このため4宿を足して東海道57次」と呼ばれることもある。元々文禄3年(1594年)に伏見城築造に着手した豊臣秀吉が淀川左岸に築いた「文禄堤」が起源である。ここを追分から高麗橋へ向って、2010年1月30日、31日と2日かけて歩いた。   全長約56km。 
 
  参考書 

1「京街道 東海道57次~54次を歩く」(向陽書房)
2「街道マップ(京街道)」(大阪府都市整備部交通道路部道路整備課 交通計画グループ)
3「旧街道-京街道」(http://mail2.nara-edu.ac.jp/~asait/map/kyou_kaido/kyou_kaido.html)

 2 伏見宿~淀宿  3 淀宿~枚方宿  4 枚方宿~守口宿 5 守山宿~高麗橋


2010年1月30日 山科追分より伏見宿へ  8:00
 髭茶屋~国道音羽
 前日の1月29日 中山道を草津宿まで終え、今日と明日で京街道を大阪まで行きたいと、京阪電車で追分駅まで来て、東海道との追分がある、髭茶屋までやって来ました。約1年ぶりの再訪でなつかしい。
 髭茶屋の由来はわからないが、ここは大津市と京都市との境でもある。右へ行くと「東海道 三条大橋へ」。左へ行くと「京街道 大阪」まで。追分には道標があり、「みきハ京ミち」「ひだりハふしミみち」と彫られている。横に「蓮如上人」と彫られた碑もある。本日はもちろん左へ向う。坂を下って行き、名神高速の高架をくぐる。

国道音羽~山科大塚
 道なりに右方向へ歩いて音羽病院を背にして進む。
やがて国道1号線の「国道 音羽」交差点に出る。ここは横断歩道ではなく、横断地下道をくぐって対面へ出た。大坂まで55kmの表示板が架かっている。
 国道を渡ると、静かな細い道となって、旧道の雰囲気を感じつつ、音羽橋で山科川を渡る。再び国道1号線の「山科大塚」交差点に出た。  8:25

山科大塚~大宅甲ノ辻町
 「山科大塚」交差点を横断して行くと、新幹線のガードの手前左手の民家の前に「ひだりおヽつみち みぎうじみち」と書かれた道標がある。
 この道は「奈良街道」とも呼ばれているが、狭い道で車が多く渋滞気味。虫籠窓などを備えた大きな家も建っている。
 右手に、皇塚」と彫られた石碑と大木の切り株に注連縄が張ってある。意味が解らなかったので調べたら・・・この地には,直径20mほどの円墳があり,大塚・王塚・皇塚などと呼ばれていたが原型は留めていない。その名称から,桓武天皇の墓所という伝承もあり,大塚という地名の由来となったといわれるそうだ。(http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/ya065.html)

 左側に岩屋神社の鳥居がある。神社自体は奧の方にあり行く時間がない。ここの祭神は天照大神とスサノオとの誓約の際、生れたことで知られる「天忍穂耳命」と栲幡千々姫命、および両神の子の饒速日命を祀る
 大宅甲ノ辻バス停前に、大きな神木と「岩屋神社のお旅所」がある 

 9:05

大宅甲ノ辻町~山科署
 「名神高速」をくぐる手前、右手に山科の大宅(おおやけ)一里塚の西側のみが残っている。エノキが繁茂しており、京都に残る貴重なもので、市の指定遺跡。
 高速をくぐると登り坂となり、右手に「山科警察」の建物が見える差点に来るが、京街道は右手へ進むようである。
 ここを右折せず、真っ直ぐ進み、「醍醐寺」「六地蔵」を通って伏見へ向うコースを「京街道」の本では採用している。今回は「街道マップ」のコースを通ることにした。     9:15

山科署~勧修寺
 右折して進んで行くと、右手に現代の「愛宕常夜燈」がきれいな石柱に納められて立っている。道は「小野」という所に入る。小野小町のゆかりの地で知られる所である。街道の右折地点にやって来るのだけど、真っ直ぐ行くと「随心院」へ行けるので、見ておきたいと思い、寄道することにした。
随心院
 真言宗善通寺派大本山の寺。弘法大師の8代目の弟子に当る、仁海(にんがい)僧正が正暦2年(991)に開基した。本尊は如意輪観音。当寺の位置する小野地区は、小野氏の根拠地とされ、随心院は小野小町ゆかりの寺としても知られる。

 総門を入った先には小野小町歌碑がある。
 百人一首で有名な「 花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに 」の歌碑
 中に入って見学する時間はないので、付近をぶらぶらとして、出口付近に小町化粧井戸がある。本当かどうかはわからないけれども、竹垣に囲まれたおおきな井戸だった。小町の伝説は各地にあり、生誕地の一つが中山道、鳥居本宿を出た先の「小野」で、昨年の10月に訪れたばかり。墓も各地にあるようだけど。

勧修寺~「深草谷口町
 元の右折地点に戻って、今度は左折して、勧修寺方面へ向います。
 地下鉄小野駅の上をを横切り、勧修寺橋を渡る。突き当りに「愛宕常夜燈」や文化元年の「南 右大津 左京道 北すくふしみ道」などという道標が並んでいる
 勧修寺入口を左折してすぐ先の信号を右折、右手に宮道(みやじ)神社、ここの創建は寛平10年(898)と古く、左手に八幡宮、その先「勧修寺下ノ茶屋町」を過ぎる。

 「茶屋町」を過ぎると、右手は「名神高速道路」で、この先しばらく高速に沿って歩くことになる。ここら辺は旧道が高速に隠れてしまったのではないかと思う。
 やがて道は「深草馬谷町」手前あたりから、高速と離れ始め両側に竹薮などが見え、左手に赤い大岩神社鳥居が立っている所を過ぎ、京都ピアノ技術専門学校の先で、右斜め前に入って行く。
 入って行くと結構古い家が並んでおり、左手に「桓武大王陵」、右手に「仁明天皇御陵」、などと彫られた石標がある。この道は「深草谷口町」で再び元の府道に出る。  10:26

 深草谷口町~藤森神社
 府道を右折してすぐの所を左折して坂道を上がって行く。「西久宝寺町」という所。カギ形のように突き当りを右折、左折して行くと、やがてJR奈良線の跨線橋を渡る。左折して道なりに行くと、十字路があり、左折するとJR藤森駅で、こちらは右折して行く。右手に京都教育大学がある。この大学は職場の女性の出身大学で、なんとなく親近感が湧き、一枚撮らしてもらった。大学の先の右手に連子格子や虫籠窓を備えるも新しそうな大きな家が建っている。  10:45

 その先右手に約1800年前に、神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社である藤森神社がある。
 鳥居には後水尾天皇の宸筆による扁額があり、参勤交代のとき大名も駕籠から降りて拝礼しなければならなかったという格式があったが、幕末の動乱の時代となり、時代にそぐわないと近藤勇がはずしたという逸話で有名で、現在は架かっていない。本殿は正徳2年、中御門天皇より賜ったものといわれ、特に菖蒲の節句発祥の神社としても知られており、節句の行事前で、舞台設置工事の騒音で少々うるさかった。

 藤森神社~伏見
その先を左折してすぐ、右折、京阪電車の墨染駅の踏切を横断する。すぐ先の墨染橋の下に流れる川は琵琶湖疎水だったと帰ってから気がついたので、写真はなし。
  伏見の町に入ってきた訳だけど、伏見宿とはどこから始るのかよくわからないので、大石内蔵助が吉良方の目をあざむくために遊興したことで有名な遊廓、「撞木町廊入口」あたりから伏見宿を始めたいと思います。
 11:08

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