京街道歩き旅   2 伏見宿から淀宿まで   歩行地図
 伏見撞木町-両替町-油掛町-中書島-淀川堤防-京都競馬場-淀駅   7.7km                      
 

 54 伏見宿(東海道57次)
 山科追分から分れて、大坂へ向う東海道としての54番目の宿場町であると同時に伏見城の城下町でもあり、さらに淀川の水運の中継地(伏見港)でもあった。江戸時代は幕府の直轄地で伏見奉行が支配する大きな町であり、他の宿場町に比して大変大きく、宿場は東は京町通りから、西は高瀬川、北は墨染、南は宇治川に接し、東西1km、南北4.6kmという大きな広さで、人口2万4千人程の大都市であったという。本陣4、脇本陣2軒、旅籠39    

1 追分~伏見宿  3 淀宿~枚方宿  4 枚方宿~守口宿  5 守山宿~高麗橋

2010年1月30日 山科追分からの続き 11:08
伏見撞木町~両替町
  伏見宿の始めがわからないので、一応「墨染駅」先を左折した、「鑓屋町」あたりから始めたい。
 左手の伏見税務署の先の交差点の右手に「撞木町廓入口」の石柱2本が立っている。大石内蔵助が吉良方の目をあざむくために遊興したことで有名な遊廓である。もちろん当時の雰囲気は全く残っていない。
 その先で、国道24号線を横断して、最初の交差点を右折し、突き当たりを左折して両替町通を進みます。両替町通の由来は、徳川家康が銀座を置き銀貨をつくらせた所ということで、東京の銀座より伏見の方が古く、日本で最初の銀座が置かれたといわれている。

両替町~御駕籠町
 洋菓子店の所を右折し丹波橋通りを進む。左側には勝念寺がある。山門左側に、「天明義民柴屋伊兵衛墓所」碑が立っている。伊兵衛は伏見奉行小堀正人の悪政を他の義民と共に江戸幕府に直訴し、後に京都奉行に投獄され獄死したという人物。
 右手に本成寺。小野野篁作と伝えられる木造地蔵菩薩像一体が安置されている。また「妙榮水」という名水が湧出ていて、伏見の名水で有名なところを象徴している。勝念寺の先の信号のある交差点を左折する。  11:24

 左折する手前の左手には白壁、面格子を備えた風情のある三軒の建物が並んでいる。伏見板橋小学校の前を過ぎるた先の左側に玄忠寺がある。山門の左脇には「伏見義民小林勘次之碑」の石柱が立っている。「淀川奉行により淀川船の通行料が値上げされたため、伏見町民が困っていることを知った薪炭商小林勘次は、江戸に出て幕府に直訴し、値下げの淀川奉行の横暴に対し江戸へ直訴した・・・」ということだが、石碑自体は境内の中にあるようで、見たいと思ったが、門が閉じられて入れてくれない。先の勝念寺も同様で、どうも伏見の寺は部外者を入れたくないような感じがする。
 玄忠寺の角を右折して、下板橋通りを進む。伏見宿は城下町のせいか、めまぐるしく右折、左折を繰返している。 11:35

 御駕籠町~油掛町
 右手に大黒寺がある。この寺は、薩摩藩主島津義弘が薩摩藩の祈祷所としたもので、薩摩藩に縁があり、多大の犠牲者を出した、木曽川の治水工事の奉行で完成後、責任を取り腹したという、薩摩藩家老平田靭負(ゆきえ)の墓や、「寺田屋殉難九烈士之墓」もある。
 寺の先左手には金札宮(きんさつぐう)。天平勝宝2年(750)創建と伝えられる伏見区で最も古い神社である。・・・桓武天皇が、伏見の里に神社を建立の為の勅使を使わされた時、天から金札が降り下がり・・・とかの伝説が伝わる。

 伏見区役所を左に見ながら直進すると、前方に円盤のようなものが出現した。SOLOR MOONと書いてあり、ソーラーパネルであろうか。「大手筋」とあり、左右に行くとアーケード付商店街であった。
 さらに進み、先の交差点で右折して「油掛通」という通を進みます。油掛という地名は珍しいが、江戸時代から京・大阪へ行き交う旅人や物資の集散地として賑わったという。左手を見ると黄桜の「カッパカントリー」というテーマ館がある。カッパは黄桜酒造のメインテーマで、コマーシャルでおなじみ。世界の河童に関する資料を展示している。    12:00

油掛町~中書島
 左手に入る細い路地は「竜馬通り」という。両側に色んな店が立ち並び、人通りが多く、賑わっている。NHKの大河ドラマが「坂本龍馬」なので、その影響もあると思う。通りの右手に西岸寺という寺があり、油掛という地名の由来になった油掛地蔵尊が安置されている。 
 油掛通は日本最初の電気鉄道(チンチン電車)が、1895年(明治28)に博覧会への客輸送用として運転された通りでもある。交差点右角にある駿河屋本店の左隅には電気鉄道事業発祥の地の記念碑が立っていた。  

 油掛通を出て、左折すると京橋へ行くが、その手前を左に入った所に寺田屋事件で有名な寺田屋がある。当時のまま(と言いたいが、再建されている)現在も営業をしている宿屋である。事件のことは詳しく書く余地ないので記さないが、坂本龍馬の定宿で、おりょうさんとの恋の宿としても知られている。寺田屋の前が豪川で、水辺が散歩道になっているので、そのまま京橋へ歩いていった。伏見宿の中心は、現在の京橋付近だったようで、本陣があったという。橋の下の川は「豪川」というが、宇治川に注ぎ淀川に通じている。淀川の水運は、ら京都、大阪を結び、琵琶湖経由で遠く東海道・北陸ともつながる交通の大動脈であった。   

中書島~淀川堤防
 京橋を渡り、直進すると三叉路になり、左は京阪本線中書島駅、直進は伏見港公園で、京街道は右手へ進みます。右折して「肥後橋」を渡り、その先京阪電車の踏切を越える。
 左側に「伏見港公園」が見えてくる。ここは江戸時代の港ではなく。、戦時中の河川輸送の為に造られたものだそうだ。「三十石船」をイメージしたベンチがあり、常夜燈も立ち、橋も架かっている。
 公園を見ながら、高架橋をくぐり、その先は、宇治川土手の上を歩く。川向こうは、巨椋池(おぐらいけ)を干拓した場所と思うけど見えない。   12:45

 淀川堤防~淀駅
 土手の宇治川大橋交差点に来たら、近くに信号がないし、車がビュンビュン飛ばしている。橋の下をくぐろうかと思ったが、左側は工事中で囲いがしてある。右側はくぐれず、しょうがなく、車の隙を狙って走って横断した。とても危険であった。
 土手上を進み、やがて土手を下り、京阪本線の踏切を横断して、線路沿いに進む。「京都競馬場」が見えてくる。右手に「史跡 戊辰役東軍西軍激戦之址」と書かれた木標と「戊辰役東軍戦死者慰霊」の石碑があった。   13:20

 ここらあたりはすでに「淀宿」らしいけど、中途半端なので、この先の「淀駅」から「淀宿編」を始めようと思うので、もうすこし続ける。
 少し行った右手に淀小橋旧址碑が立つ。淀城内と城外をつなぐ橋であったというが、川は流れていないので、このあたり往時と地形が全く違うようである。
 この地点で、「京街道の本」とマップと図が食違っており、本ではここで左折している。マップではもう少し進んで、「唐人雁木旧址」が立っていると書いてある。どっちが正しいのかわからず、両方行って見ればいいのだろうけど、ここは本の通り歩いてみた。どうせ昔とは地形が違うし、どっちでもいいかと思った。
 左折して進んで行くと「京阪淀駅」へ来た。競馬場の開催日で警備員が沢山出ていた。    13:39

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