日光東街道歩き旅 1
        
(南柏~中根交差点まで)

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 南柏駅-国道6号-稲荷神社-おおたかの森駅-常磐高速道-利根運河-梅里-花井-中根交差点  14.9km
 

 1南柏~野田市駅  2 野田市駅~工業団地  3 工業団地~境車庫  4 境車庫~結城駅  5 結城駅~石橋駅
  日光東街道

 日光と名が付く街道はいくつかある。日本橋から幸手を経由し、宇都宮で奥州街道を分岐する本街道に対し、将軍の社参に使われた御成街道、勅使が使用した例幣使街道、本街道の小山から近回りする壬生街道など。
 日光東街道は日光街道の脇街道の一つで、水戸街道の柏から分岐し、かっての小金牧内を通り、山崎宿、中里宿、関宿、境宿、谷貝宿、仁連宿、諸川宿、武井宿、結城宿、多功宿を通り雀宮宿で日光街道に合流する。
 別名を関宿道、久世街道、結城街道とも呼ばれていたが、幕府の正式名は関宿通多功道であった。参詣目的のほかに周辺大名の参勤交代や物資の輸送、庶民にも利用された。その距離は約82kmに及ぶ
 交通の便が十分ではなく、バスを乗継いで、5回の歩きになりました。

 参考資料
 「歴史の道調査報告書 日光東街道」
         千葉県教育委員会外

 2013年10月27日
■南柏駅~国道6号
 2年半の京都遊学を終えて10月4日に埼玉の実家に帰りました。しばらくなんだかんだと過し、27日になって関東地方をの歩きを再開することができました。まず最初は日光東街道。南柏から始めて千葉県最北部を通り、古河を抜けてJR東北線雀宮駅付近まで行きます。
 ●JR南柏駅下車。東出口は高架橋の上になってます。県道へ出て左折して行くと●新木戸の交差点。柏から佐倉にかけて小金牧と呼ばれる官営野馬の放牧場であり、放牧場の周囲には野馬が逃出さないように土手が巡らしてあった。旧水戸街道は小金牧を東西に通過しており、街道と土手が交差する場所には木戸が作られた。日光東街道はここを左折して、小金牧の中を通過して行くことになる。
 左折して行くと●国道6号の交差点。ここは●旧日光街道入口という看板が架かっている。        9:45

 
 ■国道6号~稲荷神社
 国道を越えて●旧道を進む。旧小金牧の痕跡を示すような木立が所々残っている。稲荷神社前信号交差点左角に●新富稲荷神社があり、境内に昭和48年建立の大きな●豊四季開拓百年記念碑がある。記念碑には長文の碑文が彫りつけられてあって、当時の開拓の悲惨さが偲ばれる。明治政府は小金牧を廃止し、失業下級武士を開拓民として送込んだ。しかし開拓には素人で、痩せた土地ではうまくいかず、脱農する者数知れずという状況であったという。  10:05

 
 ■稲荷神社~西初石6
 豊四季に入ってきた。豊四季という地名は4番目に開拓民が送込まれた村という意味である。開拓地には入植順に縁起のよい地名がつけられた。1番目が初富。順に二和、三咲、豊四季、五香、六実、七栄、八街、久美上、土倉、十余一、十余二、十余三の順である。
 東武野田線豊四季駅を過ぎ、県道278号と交差する。左折して行くと山崎帝国堂の先の右手、永寿稲荷神社の境内に●木釘記念碑がある。豊四季村開拓農家が副業として作った木釘が特産品になったと云われる。木釘というのは桐タンスなどに使われるという。
 街道に戻って先に進み、●「スリーエフ」角の交差点で右折する。右折すると通称●クランク道と呼ばれる道に出る。      10:55

 
 ■西初石6~西初石5
 右折すると右手に●一里塚の看板が立つ小公園がある。。旧日光東往還の街道図と解説が添えられている。それによるとクランクは拝礼に向う武士達が敵に襲撃されるのを防ぐために設けられたとある。 が クランク道は岡崎などの城下町ではよく見られた訳だが、このような小金牧の原野で必要かどうか疑問が残るところではある。
 クランクはこの先、食料品店で左折しているが、マンション、●おおたかの森駅で遮断されてしまっていた。そこでここは迂回せざるを得ない。駅の中を通って行くと、駅前広場の先で●旧道が復活していた。  11:20

 
 ■西初石5~常磐自動車道
 トミーマートのある交差点を右折し、100mも進んだ左手に●庚申塔が3基立っている。  左手に西初石ふれあいの森がある。ここも小金牧の痕跡を示すと所だろうか。
 ●初石駅そばの旧家はかなりの豪邸。隣のマンションの地主だったかもしれない。やがて常磐高速道の上を通過する、ここの架かる橋の名前は●日光街道大橋という。 12:05

 ■常磐自動車道~慈眼院
 大橋を越えて、その先7号公園の所を左折して真っ直ぐ進むと、●野田線の踏切に接近する。ここで旧道は左斜めに進む訳だが住宅地になって消滅してしまっている。旧道は左手の住宅地の中を進んでいるわけだ。そこで線路沿いに迂回して進んだ。この迂回路は江戸川台駅への散歩道になっていて具合が良かった。
 江戸川台駅を過ぎて「江戸川台西1」交差点で、先ほどの左斜めに進んで来ていた道と合流して、●復活した旧道は真っ直ぐ進んでいる。
 右手に浄信寺がある。本道の屋根を修理中だった。右手の●慈眼院は石田三成の家臣が関ヶ原の敗戦後こちらに移り住んで創建したという由緒を持つ。    12:30

 
■慈眼院~ 東深井中入口 
 慈眼院を過ぎてちょっとの寄道。西方の西深井小学校校門前に●安蒜家板石塔婆があるというので見に行った。板石塔婆は、中世の供養塔である。安蒜家の板碑は武蔵型板碑といって、緑泥片岩で造られている。碑面には阿弥陀三尊を表した梵字が刻まれていて千葉県有形文化財に指定された。
 街道に戻り先に進むと●東深井中学入口交差点。このさきはクランクが二つ続いている。一つ目の正面に●道六神、成田山石塔などが祀られている。 成田山石塔は道標を兼ねている。   13:10

 
■東深井中入口~東新田 
 クランクを抜けてすぐ左手に●駒形神社。応永6年(1399)創建の神社で、祭神は誉田別尊。源義家が奥州征討の際に駒をつないだという伝承がある。
 その先に流れる川は●利根運河。江戸川と利根川を結ぶためにオランダ人技師ムルデルの指導のもとに明治23年完成した。関宿を経由する場合に比べ40kmも短縮されたといわれる。しかし最盛期には年間37000余の船が行交ったという運河も、常磐線の開通により、衰退してしまい水辺公園として整備されているのみ。
 運が橋を渡ってしばらく行った右手、「マルヤ」のそばに●石仏群があった。  13:45

■東新田~山崎交差点
 貝塚町に入って、「ガスト」の先を左に入っていくと●国指定史蹟の山崎貝塚跡が広がっていた。何もない広い広場で案内板だけが立っているだけ。さすがに土中に細かい貝殻が埋っていて、貝塚であることがわかる。
 貝塚から戻って先に進むと●山崎交差点。このあたりが山崎宿の入口で、手前のゆるやかなS字カーブは枡形の名残りといわれているらしい。右手に●門塀をめぐらせた大きな旧家がある。  14:20

 ★旧山崎宿
 東武野田線「梅里駅」の辺りは旧山崎宿の由来の町であるが、その痕跡はほとんで見受けられない。唯一●バス停の「山崎宿」の名前。少し先、左手の●木製の常夜燈くらいがその痕跡を示す。江戸時代の将軍の日光社参の折に随行した大名は10家程度宿泊しており、その時は普段ひっそりとした宿の、ものすごい騒ぎになったと伝えられている。
 ●梅郷駅入口交差点で左へ行く流山街道と分かれて、右側の旧道へ入る。鏡円寺を過ぎて、東武線の線路を枡形の様に曲り、山崎宿はここらで終わる。   14:30

 ■山崎交差点~花井
 ●旧道はこの先3km程真っ直ぐ延びていて、小金牧を直線で貫いているように思われる。両側緑が残っていて、日光東街道の姿が彷彿されるような感じ。
 左手に●花井神明神社がある。鳥居の両側に●青面金剛像が浮彫りされた庚申塔や石仏が沢山並んでいる。 14:55

 ■花井~中根交差点
 右手に●菅原神社があって、参道左手の●庚申塔の青面金剛像は座像で珍しい形である。
 さてこの先の●中根交差点で時間のキリが良いのでここで今日は終りとして、左折して野田線「野田市駅」に向った。野田市駅の周辺はキッコーマンの工場が囲んでおり、野田は醤油の町なのであった。   15:20

        2 中根交差点~工業団地入口