塩の道・秋葉街道を歩く
  2-2 森町~一の瀬
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 仁藤町交差点-掛川城-大池橋-小津根-本郷-幡鎌-戸綿-森町-仲町-城下-元開橋-黒石-黒田-三倉-一の瀬 26.12km


 2023年10月16日  ※ 写真をクリックすると拡大します
大田川渡船場跡~森町本町
 (秋葉街道2 掛川-森町)からの続き
 森川橋を渡った、右手に"「正一位秋葉神社道」、道標、志賀重昴の「森町之賦」歌碑、" が建っていて、そこを左折、●渡船場跡付近から森町中心部へ向かいます。 左手に●次郎柿の原木という木があります。横に"道標" があって「左掛川道 秋葉山道 右 袋井道」と刻まれている。「歴史の道調査報告書』によると、森町立民俗資料館にあったものが、ここに移されたということらしい。
 "原木の由緒" 。 さらに奥に●一木系早生次郎柿原木という木もあった。 "案内板"  13:04

 ■森町本町~仲町
 ●森町本町交差点に来た。森町の中心部という所。森町は秋葉山へ通ずる秋葉街道の宿場町として賑わい、昔は「旅籠町」と称した、森宿の入口で本町、仲町、横町と続いていた。  大正12年、森町を訪れた地理学者「志賀重昂は、この町を「小京都」と称賛し、以来遠州の小京都と呼ばれるようになりましたという。 少し先の●三叉路を右に入り、本町通へ入ります。●本町の町並。宿場とお茶、古着の商いなどで賑わったという風情を感じます。 13:15

 ■仲町~天宮神社
 シルバー人材センタ-の所を左折すると、仲町。 中程を右折して行くと、突き当たりの石垣の上に鎮座するのが●三嶋神社
祭神は大山祇命。千年以上の歴史を持ち、三島山の宮森の下から森の街々が発展し、この宮森が森町の地名となったといわれておりますという。 本殿は焼失、再建を繰り返し、現在の建物は寛文12年(1671)造営になる。 仲町通りに戻って、突き当たりを右折、次を左折して行くと●新町に入ります。「上新町と報徳運動 新町」という"案内板" がある。二宮尊徳の仕法を実践した人物がここにもいたという。「瀬入川」に架かる、「慶長橋」を渡った先、左手高台にあるのが●天宮神社。石段上がって行くのがおっくうで、行かなかった。"案内板"。 橋を渡る、手前にあった、「天宮神社と天宮郷」という案内板によれば、・・神主の中村家の祖先は菅原道真に仕えた家来で、道真が太宰府に下る時、遠江へ落ち延びてきて、現在まで70代余を数える・・のだそうだ。13:35

 ■天宮神社~元開橋
 神社の先は「城下」という所になります。城下の地名は、南方に太田川をはさんで天方城址を望むことから名付けられたと云われる。街道に沿って、いわゆる●ノコギリ型の配置が現在でも行われている。 この配置は中山道の「坂本」、甲州街道「韮崎」、姫路な
ど各地で見られ、参勤交代との関連を云われている。ここでは天方城との関連を重視して、軍事的役割を指摘する見解があるそうだ。
 ●城下の町並。「さづかや」ストアの隣に "常夜燈" があります。(撮り忘れたのでグ-グルアースより)。鞘堂、燭台とも立派なもので、森町文化財。 町中を進み、県道に合流して、●元開橋を渡ります。14:00

 ■元開橋~黒石上
 元開橋を渡ると、すぐ左手に"大正時代の道標" があり、「右 吉川 左 秋葉山」と刻まれている。元開橋を左折すると。基本的に県道58号を「三倉川」に沿ったり、渡ったりしながら秋葉山へ向かうことになります。 常盤橋を渡り、「葛布入口バス停」付近に道標があるらしいが、見落としてしまったみたい。 その先、大きい●「お茶工場」の看板が立つ分岐は右へ行き、黒石の旧道へ入ります。この区間はほんの少しで、すぐ県道へ合流します。出たすぐ左手に●秋葉山常夜燈がある。学校建設や道路工事で、500m移動している。天保年間のもの。脇に幕末の頃の道標もありました。 その先10分ほど歩き、●バス通りの直進道路が旧道らしく、ここを直進します。 14:30

 ■黒石上~黒田
 「西俣」地区に入り、「西俣バス停」先に●秋葉山常夜燈がある。幕末の頃、西俣村の人々によって造られた。 要橋を渡り、橋から●三倉川を見てみた。三倉川は昨年の台風15号や今年の台風2号の増水により、路肩がくずれ、あちこちで復旧工事が行われていたし、秋葉バスも気多~乙丸間休止中でした。 ●巌橋手前で右へ曲がり、黒田の集落を通るのが旧道です。 15:00

 ■黒田~三倉
 ●「長久橋」で三倉川を渡り、又県道58号に合流します。上島橋で三倉川を渡り、 その先●「SUZUKI」の工場の右脇を入って行きます。 ●三倉宿に入って来ました。三倉宿は、古くから北遠と森地方を結ぶ交通の要衝で、秋葉道を挟んで問屋場・旅籠・茶屋などが営まれ、秋葉山参拝者などで繁盛した。茶屋の名物「鶯餅」は有名だったそうだ。明治17年(又は19年)の火災で町並みの大半が焼失、資料が残されていないという。 15:20 

 ■三倉~
 右手に●許禰神社(きねじんじゃ)がある。祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命など。創建の年代は明らかでないが、式内社に記載のある古社。 時間がないので確認だけで失礼しました。稲荷の右横に、秋葉山常夜燈もありました。 ●「三要橋」で三倉川を渡ります。 渡った右正面に●大日山道標があり、幕末の頃、遠州豊田郡の人々が建てたもの。 右の方は、「従是大日山」「為威験増進」と刻まれ、左の自然石の方は、「右 春埜山道 」と刻まれている。 15:26

   ~一の瀬
 橋を渡って左折すると、分岐があり、正面に「栄泉寺」の標石がある。左手の道は「塩の道 半明コース」で栄泉寺から先は林道になって、山道に入ってしまう。 「塩の道ウーク」の人達はこちらを通っています。 明日は一の瀬から「戦国夢街道」コースを取って、秋葉山まで登るので、このまま県道を行くことにします。半明コースは「戦国夢街道」コースと途中で合流します。 
 このあたり三倉川は蛇行を繰り返しているので、いくつも渡ります。 県道58号に合流して右折した先に●常夜燈がありました。大正天皇即位記念の献燈です。しばらく進むと●正面に「よってけや」という店がある分岐があるので、そこを左へ行きます。
 途中、"戦国夢街道" の幟旗が立っていて、これはこれから先、何本も見ることになります。突き当たると●一の瀬。 "案内板" 古来、海・山の交易路として、また秋葉山参道として賑わった所です。道と川が交差している所が「瀬」といい、「一の瀬」とは最も上流にある「瀬」という意味であるといいます。 ここはまた家康と武田方が戦った、古戦場でもあった。 "案内板" 。15:55

 ★一の瀬
 突き当たり左手に「長月寺一ノ瀬墓苑」があり、「七人塚」という案内板がある。"案内板"。「一の瀬の戦いは」家康方の敗戦であり、討ち死にした●7人の塚が、後方高台にあった。 突き当たりに戻り、右の道を行くと、左手に●馬のモニュメントと階段がある所があって、「春野町←塩の道 →森市街」の路標もある。ここは「戦国夢街道ハイキングコース入口」になっていて、塩の道でもあるのでしょう。 明日はここから始めることになります。 帰りは秋葉バス「一の瀬」16時29発、袋田駅着にゆっくり間に合いました。 16:05