伊勢本街道を歩く 1 
      (榛原~ 山粕東口)
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 榛原-自明-髙井-赤埴-諸木野-石割峠-上田口-黒岩-山粕峠-山粕-山粕東口         17.9km

伊勢本街道
 伊勢本街道は、榛原で初瀬(青越え)街道と分岐し、高井、山粕、興津、多気、田丸を通って伊勢市の筋向橋で伊勢参宮街道と合流し,内宮へ向う街道です。  関西方面から伊勢への最短距離なので、厳しい峠越えがあるものの、大いに利用されたが、峠越えの少ない初瀬街道を利用する参拝者が増加し、この本街道は次第に廃れていくようになっていった。距離は榛原から筋向橋まで84km程度、内宮までは90km程度。筋向橋から内宮までは歩き終っているので、ここでは榛原から筋向橋までを扱います。
   歩くには宿泊施設が少なく、バスなどの便も悪いので、プランづくりが難しいが
 1 榛原~山粕東口まで・・・・・・・・・・  山粕東口まで歩き、帰りは奈良交通で榛原へ戻る。
 2 山粕東口~伊勢奥津駅まで・・・・  榛原よりバスで山粕東口へ、伊勢興津駅まで歩き、JR名松線経由で帰る。
 3 奥津駅~柿野まで・・・・・・・・・・・・  名松線で興津へ、柿野バス停まで歩き、三重交通のバスで松坂へ。松坂市内泊。
 4 柿野~田丸駅まで・・・・・・・・・・・・  松坂からバスで柿野へ、田丸駅まで歩く。
 5 田丸~筋向橋。内宮・・・・・・・・・・  田丸駅から内宮へ
                           という、5回分で計画しました。
参考資料
  「伊勢街道を歩く 小林義典」 (やまびこ編集部)
  「伊勢本街道 1日散策コースマップ」(奈良県 宇陀土木事務所)
  「歴史の道調査報告書 伊勢本街道」(三重県)
  「みえの歴史街道ウオーキングマップ 伊勢本街道」(三重県) 外HP 


■榛原駅~墨坂神社 ※ 写真をクリックすると拡大します
2012年10月8日 近鉄榛原駅9時6分着。本日は山粕東口バス停まで。3時15分までに着かないと戻って来れない。6時間で18km程。峠もあるので急がないといけません。
 コンビニで食料など仕入れ、早速初瀬街道との分岐点、●札の辻へ向った。角に大きな道標がたっており、「右 いせ本かい道 左 あをこ江みち」と彫られている。伊勢本街道は真っ直ぐ進み、あお越え初瀬街道は左へ曲って行く訳である。真っ直ぐ進むと、左手に常夜燈が立っている。●近鉄のガードをくぐるが、高架の壁に点々穴が開いている。先の大戦の戦闘機の機銃の穴だという。こんな所にも歴史の爪痕が残っていた。真っ直ぐ進むと本街道の萩原宿。宇陀川にぶつかり左折するところ、右折して宇陀川に架かる朱色の橋を渡って、●墨坂(すみさか)神社を訪れた。崇神天皇の時代に創建されたという古い神社である。    9:28

 ■墨坂神社~御井神社
 神社から国道369号へ出て、●宇陀川沿いの道を進む。天気も良く気持が良い。少し行くと右側に●弘法大師の岩清水というのがある。弘法大師はあちこちで井戸を掘って水を出したという場所があるけど、ここもその一つ。変っているのは自動販売機が設置してあり、100円で5分間水が出るというもの。まあせちがらいというか、無料にすると混雑するとか理由があるのだろう。
 また少し行くと、右手に地蔵堂があり●旧道との分岐点が現れた。右折して坂を上がって行く。この旧道はほんの少しで国道に出てくる。出てきた国道の左手に●船尾垣内の道標がある。現存が確認できる奈良県内最古の道標で、刻文は全く読めないが、「寛文四年」(1664年)との刻銘があるという。   9:52

 ■御井神社~ 自明
 右手に●御井神社がある。本殿が神明造で品がある。祭神は木俣神といって、大国主命が八上比売命との間にもうけた子のこと。
 その先右手に入る道は●「はしゃうじ道(初生寺)」で、初生寺へ至る道。初生寺は真言宗御室派仁和寺の末寺。江戸時代は観音巡礼が行われ、角に立つ●道標は文政六年(1823)初生寺への「みちしるべ」として建立された。
 また先の右手に●古い家が建ち、家の前に●大きな石碑が立つ。石碑には地点の座標や細かい字で当地の開発の歴史などが彫込まれているが、下部半分が摩滅して良く読めなかった。   10:11

 ■自明~髙井入口
 右手に●不動磨崖仏と不動堂がある。「弘法大師爪書き不動尊」で磨崖仏が描かれているとの事だが、風化が激しいが、目をこらすと岩に小さい不動像がうっすらと見えた。不動堂はお茶接待所を建て替えたもので、地元では今も「茶所」と呼んでいる。地蔵堂を過ぎると、道標「右 いせ道」があって、●旧道との分岐点になる。右手の細い坂道を行くと、民家の庭先に出てしまい、ちょっとびっくりするが、旧道には間違いなく、更に進むと●山道に入っていく。国道の真横上を通ったりして、やがて下りとなり国道と合流する。   10:22

 ■髙井入口~津越辻
 旧道から下りてくると、まもなく●髙井へ行く旧道との分岐点になる。髙井には中世、高井関の関所がおかれた。仏隆寺や室生寺への分岐点でもある。宿場町としても旅籠が軒を連ね繁盛していた。現在はひっそりとしているが、往時の風情を残している。
 旧道を入って真っ直ぐ行くと●3基の道標が並んでいる。一番右の道標が仏隆寺への道標で、「大和茶発祥伝承地」との刻があり、中央の道標には「左 室生山道」、一番左の道標には「右いせみち」とある。移設されているので本街道は左へ行く。
 右折すると●仏隆寺への分岐点になって、手前の道標には「右 いせ本街道」とあるので、右の坂道を上がって行くことになる。分岐点の右手高台にあるのは●宮田家。旧旅籠だった家である。   10:36

  ■津越辻~赤埴
 右手の旧道を上がって行く。山道ながら●舗装された道を歩いて行くと、左手に●旧旅籠の松本家が見える。明治初期まで営業を続けたという。 更に山道を上がって行く。道は舗装されているが、剪定の落枝で足元は柔らかい。右手に大きな杉の塊が見えてきた。●千本杉という。井戸の回りに植えた何本もの杉が根元で癒着した連理杉という。根回りが30mもある。
  千本杉を少し行くと、左手に旧旅籠の●津越家がある。茅葺屋根がくずれてしまったのは惜しい。  10:50

 ■赤埴~諸木野
 千本杉からはすぐに林を抜け、広い道に入り公民館を抜けた。再び林の中に入り●諸木野関所跡の分岐点へ到着。案内に従って、右の坂道を行くと、左手に●諸木野関所跡がある。中世、本街道に設けられた多くの関所の一つで、旅人は多くの関所で関銭を払わされ、泣かされたといわれる。 ●諸木野の里にやって来た。諸木野は中世に赤埴庄で開発され、諸木野弥三郎一族が城塁を築いたところです。諸木野関がおかれ、近世には9軒の旅籠があったという。その●諸木野弥三郎の墓というのが、左手に入った所にある。弥三郎は伊勢の国司、北畠具教の家臣で弓の名手らしく、それにまつわる話が縷々案内板に書いてあった。  11:26

 ■諸木野~石割峠入口
 ●諸木野の集落を過ぎると、下り坂になり左手に●道標「右 いせ本街道 左仏隆寺」があったりする。右手に●愛宕神社への石段が続いていたが、ここはパスして進んだ。 やがて道は轍のある砂利道へ変り、●石割峠の入口へやって来た。    11:50

 ■石割峠~上田口
 ●峠への山道に入って道幅も狭くなり、峠を登っている気分にもなってくるが、広い平地にも出会って、そう大変な峠ということもなく、●石割峠頂上に達した。頂上は突然にやってきて、せまい山道のまんま。標高695m。小さい表示板が立っているだけで、休憩するスペースなどは全く無い。 この先は当然に下り道になった。 すいすいと下って行くと、●原山への案内標が立っている地点に来た。手前に●苔むした道標があり、「右 いせ 左 原山」とある。  道標に従い右へ下りて行く。   12:21

 ■上田口~黒岩
 下って行くと●上田口の集落。上田口は神武東征伝説の地といわれ、奈良から馬を利用すると1日の旅程であり、田口閏がおかれ、旅籠が多<立ち並んでいたという。現在では茅葺だった家もほとんど、トタン葺きに変っているし、その面影は感じられることができない。 途中左手に●「廻国供養碑」が立っていた。・・・・享保年間、菅野村(現御杖村)出身の行脚僧行悦が残した廻国供養碑の一つ。「長谷寺と伊勢宮川への距離が示され旅人にとって便利だったと思われる。・・・とある。
 ・・・・・ここで大きな間違いをしてしまった。専明寺の境内を街道が通っているというのに、その専明寺に出会わず、おかしいと思いながらバス道に来てしまい、これは間違えたと思った。途中で標識を見逃したらしい。戻って歩き直すとすると、山粕のバスの時間が心配で、やむをえずここは通過した。 この先で●山粕峠との分岐点に出会い、左の坂道を上がって行く。   13:04

 ■黒岩~山粕峠入口
 分岐点所から上がって行くと、胎の川沿いの道になり、水の落ちる音が聞える。先の方に不動滝という滝があるらしい。クネクネと進んで●黒岩の集落へ出た。左手に●道標があり、「右 いせ道」とあった。右へ曲って行き、しばらくすると●高原というような感じの場所を通った。先ほどの山粕峠への分岐点の案内板には「黒岩高原」とあったのを思い出した。
 またしばらく歩き、●山粕峠への分岐点にやって来た。山粕峠へは右を行く。分岐点の真ん中に古びた道標がある。13:43

 ■山粕峠
 ●山粕峠の山道に入った。傾斜はたいしたことなく、ただ通る人が一人もおらず、見通しもきかないので少々不安を感じる。
途中、どういうわけか、山道が消えてしまった所に出てしまい、方角がわからなくなった。進むには道の無い所を、木の間をぬって行かないといけない。戻るべきなのだろうが、GPSを取出し、入力して置いた方角の方へ、枝をかき分け、強引に進むと、●水路に沿った山道へ出てきた。 ホッとして山道を進むと、●山粕峠頂上へ着いた。ここは少し広めの空間がある。●山粕峠の標識の横にガールスカウト奈良4団の100kmウォークの標識が立っている。ガールスカウトもたいしたもんだと思った。  14:07

 ■山粕峠~高石
 山粕峠は下りのほうが厄介で、真ん中が水路になっている所や、がれきだらけの道や倒木があって、上りよりよっぽど疲れる。しばらく、エッチラオッチラと下って行くと、●舗装された林道へ出た。この先国道に出るまでが大変で、背の高い灌木で道が消失し、一部で崩落しているということである。 これでは通れそうにないので、やむをえずこの林道を右手に下って、国道へ出た。国道へ出てから●消滅した道を少し上がってみた。国道に下りてくる崖道で、なるほど草が高く茂り、前が見えない。へたをすると足を踏外してしまう恐れがあるくらいであった。通ることはあまりお薦めしない。 国道の●山粕集落への分岐点を左に入っていく。
   14:29

 ■高石~山粕バス停
 バス通りになっている旧道は、すぐに国道に合流する。国道には榛原以来の商店が一軒ある。●国道との分岐点を左に行くが、分岐の正面に大きな●石碑が立っていて、「伊勢街道旧宿 問屋屋敷之跡」と彫られている。かって山粕で問屋を務めた家の末裔が建てた記念碑で、榊莫山氏の筆跡によるもの。 その問屋屋敷は●振向いた右手にあったらしい。   14:37

  ■山粕バス停~山粕東口バス停
 ●山粕の集落に入る。山粕は山粕峠と鞍取峠に挟まれ、かっては交通の要衝であり、旅龍があった。明冶初期までは、役所の出張所が多数置かれ、奥宇陀の中心的機能を持つ集落だったという。
 左手に●登録古民家「西田家」がある。ここも茅葺ではなくなっている。少し行って●山粕東口バス停に到着した。
 本日はバスの時間の関係でここまでで終らないといけない。休日は3時15分の榛原行が最終で、これに遅れるとアウト。もっともここは三重交通のバス停でもあり、これだと4時の名張行がある。これも利用可能。
 到着が2時53分で、まあまあ間に合った。次回はここから再開することになる。    14:53

     2 山粕東口~伊勢奥津駅