![]() |
伊勢本街道を歩く 4 (柿野バス停~筋向橋・外宮) |
歩行地図はこちら 地図 |
柿野神社-不動前-小片野-芽原野-津留-相可-池上-伏拝坂-田丸-外城田-度会橋-筋向橋-外宮 32.3km(筋向橋まで) |
伊勢本街道 伊勢本街道は、榛原で初瀬(青越え)街道と分岐し、高井、山粕、興津、多気、田丸を通って伊勢市の筋向橋で伊勢参宮街道と合流し,内宮へ向う街道です。 関西方面から伊勢への最短距離なので、厳しい峠越えがあるものの、大いに利用されたが、峠小江の少ない初瀬街道を利用する参拝者が増加し、この本街道は次第に廃れていくようになっていった。距離は榛原から筋向橋まで84km程度、内宮までは90km程度。筋向橋から内宮までは歩き終っているので、ここでは榛原から筋向橋まで歩きます。 今回は柿野から筋向橋、そして外宮までを追加して扱います。 |
![]() ![]() ![]() ![]() |
■津留~上牧 ●津留橋を渡り多気町に進む。少し行った先に●左に入る小道(後ろ向)があり、ここが渡しへ向う旧道だった。その向いに●道標があって、津留の渡しから来た旅人が見るもので、昔は、反対の東角に立っていた。「左いせ道」と刻まれている。 しばらく●直線道路を進む。歴史の道調査報告書によると、旧道はうねって進んでいたようであるが、民家の中に入ってしまうのでたどることは困難。 11:20 |
![]() ![]() ![]() |
■上牧~中牧 上牧バス停の先で、右手に●石垣で囲まれた「用水池」があり、ここを右手に下りて行って用水池の脇を通る。池は自然湧水を利用し、昔の旅人の喉を潤し、土地の人は今でも野菜などを洗うのに使っていたというが、濁ってそのようには見えなかった。 池の脇の石段を上がり、その先は畑であり、旧道がわからないので、あぜ道を適当に回り込んで行くと、左手に●「道別れ地蔵」、「行き倒れ地蔵」、「廻国供養碑」が並んで立っている。 県道を横切って●畑が広がる野道を進む。途中の四辻に「道別れ地蔵」が立ち、「右いせみち、左まさかみち」と刻まれている。 11:32 |
![]() ![]() ![]() |
■中島~筋向橋・宮町 左折し●県道を進む。日曜なので店はほとんど閉っている。このあたりはあんまり人通りがないようだ。そのうち道路の両側に欄干だけが出ている所に来た。●「筋向橋」という。江戸からの参宮街道と合流地点となる所である。左手の横丁から参宮街道が合流してきている。下を流れる清川が暗渠になっているため、昔を偲んで、形だけの欄干がコンクリートで作られている。説明板 さて 本来ならば伊勢本街道はここがゴールで、ここで終る訳で、距離の計算もここまで。この先は参宮街道編を参照してほしいのですが、せっかくなので外宮まで歩いてしまおうと思います。 筋向橋の先を進んで行くと、●御師「福島みさき太夫邸跡」というのがある。御師は現在で言う神宮へのツアーコンダクターのような存在で、全国の檀家を廻ってお札や伊勢暦などを配って参宮の勧誘をしたり、神宮を訪れる伊勢講の人々の宿泊や案内の世話をした。関東の大山など各地に御師が存在し、外を「オシ」と呼び、神宮だけ「オンシ」と呼ばれる。 13:40 |
![]() ![]() ![]() |
■筋向橋・宮町~外宮 太夫邸の向いが●「小西萬金丹本舗」。ご存じ伊勢参りのナンバーワンのお土産の「万金丹」のお店。建物は江戸前期の伊勢を代表する妻入の建築である。玄関が開放されており、●屏風が何枚も立てられている。 さてNTTの裏側が旧道らしいが、通れないのでそのまま通過して、北御門口から入り、●北三門鳥居から本殿へ向った。 この先古市を通って内宮へ向うわけだが、3回目でもあるしここで取りやめて、赤福の喫茶店で赤福餅など味わい伊勢市駅から帰宅した。 14:30 古市・内宮へ続く 伊勢本街道終了 |
![]() |
![]() |
3 伊勢奥津駅~柿野バス停 |