日光東街道
日光と名が付く街道はいくつかある。日本橋から幸手を経由し、宇都宮で奥州街道を分岐する本街道に対し、将軍の社参に使われた御成街道、勅使が使用した例幣使街道、本街道の小山から近回りする壬生街道など。
日光東街道は日光街道の脇街道の一つで、水戸街道の柏から分岐し、かっての小金牧内を通り、山崎宿、中里宿、関宿、境宿、谷貝宿、仁連宿、諸川宿、武井宿、結城宿、多功宿を通り雀宮宿で日光街道に合流する。 別名を関宿道、久世街道、結城街道とも呼ばれていたが、幕府の正式名は関宿通多功道であった。参詣目的のほかに周辺大名の参勤交代や物資の輸送、庶民にも利用された。その距離は約82kmに及ぶ
交通の便が十分ではなく、バスを乗継いで、5回の歩きになりました。
参考資料
「歴史の道調査報告書 日光東街道」
千葉県教育委員会外 |
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