日光東街道歩き旅 3
        
(工業団地から境車庫まで)
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 工業団地入口-関宿橋-東高野-関宿台町-境大橋-仲町-松岡町-境車庫       10.9km
 

 2013年11月30日 ※ 写真をクリックすると拡大します
■工業団地入口~関宿江戸町
 本日はバスの関係で境車庫まで。距離は短いが関宿の城下町を通って、境大橋を渡り、茨城県に入ります。東武線「川間駅」から朝日バスに乗り、工業団地前で降りた。このバスは日曜日午前中は特に便数が少ないので注意が必要。
 バス停から少し戻って、●「見晴屋」という商店の脇から旧道へ入って行く。前回もここを通ったのだが、すぐ止めてしまったので、やり直しである。東高野あたりから関宿城下へは二通りの道筋があった。このルートは関宿城大手門に通じる道で、いわゆる本道である。もう一本は県道をそのまま通過し、工業団地入口信号を右折して東高野、西町、関口台町を抜けて行くルート。 ではこの本道を歩いて見る。このルートは工業団地を抜けて、関宿橋のさきで江戸川にぶつかって消滅しているので、途中までである。
 見晴屋の先を左へ入る。農家の庭先をかすめて行くが、直ぐに舗装路となって●工業団地を抜けていく。江戸川に近づきつつ関宿元町に入ると右手に●吉祥寺がある。珍しい時宗の寺院で永仁3年(1295)の創建。長禄年間(1457~59)頃、簗田氏が関宿城を築城した際に、水海(茨城県総和町)から移された。関宿藩の時代には関宿城の正午の鐘を鳴らす任を負っていたという。その鐘は仏像などと共に国に供出させられている。    11:48

 ■関宿江戸町~関宿橋
 吉祥寺を過ぎると左手に「香取神社」がある。またその先で道は鋭角に●クランク型に曲り、正面の商店は「釜半」という屋号で由緒がありそうな感じ。
 釜半商店を過ぎるとまもなく堤防に突き当るが、右手に●雲国寺がある。浄土真宗の寺で、山門が堤防の縁にぶつかり、100m近くもあったという長大門は江戸川の河川改修で削られてしまっている。
 ●江戸川の堤防に上がった。前方の橋は関宿橋。街道は江戸川の中に消えてしまっている。この先円弧を描いて、県道26号の江戸町へ続いていた。  12:00

 
 ■工業団地入口~東高野
 いわゆる本道はここまで終り。土手を通って、江戸町へ出ても良いが、もう一本のルートを通るため、工業団地入口へ戻った。この間の距離2.3km程。
 ●工業団地入口信号で右折して旧道に入る。交差点脇に幕府の公式名称である「旧日光街道東往還関宿多功道」の説明板が立っている。こりらのルートの方が本道であるかのような説明がしてある。
 旧道に入ってすぐ右手の小林家前に●関宿城埋門(うずめもん)が移築されている。説明板によると・・・この門は城内にあった大きな門(佐竹門・辰の門)の間にあった埋門といわれる形式の門である。長屋門の様に兵士が常駐する門ではなく、城に籠城しなければならない状態になった時には、戸や塀の内側を約3分の2程土で埋めてしまい、一時的に攻撃を防ぐもの。といううことから埋門という名がついたという。
 旧道はすぐ県道に合流するが、手前に●路分け地蔵と呼ばれる六地蔵がある。説明によると・・・享保2年(1717)につくられた後背型丸彫り六地蔵というもの。高さ50㎝ほどでかわいらしい形をしている。脇には天保8年(1837)銘の二十三夜塔に「左・木間ヶ瀬・右・江戸道、ほうしばな」と刻まれているらしいが、摩滅して読めなかった。  12:30

 
■東高野~西町 
 県道に合流して先に進む。「東都製缶」の工場の先の二股を右に進み、羽山橋を渡る。右手に●金龍院がある。天正11年(1583)創建の禅宗の寺である。山門入口脇に「観音堂」があり、33体の観音像が祀られて、板東33観音巡りが一度でできるようになっている。 いちょうの古木の右下に文化3年建立の「二十三夜塔」
 金龍院の斜め向側には●富士浅間神社。祭神は富士本宮と同じに木花開耶姫命。社殿は富士塚の上に乗っている。
 さらに10分も歩くと、左手に猿島板東第一番札所の福寿院がある。またこの先の右手に●古木の大いちょうの木が立っている。昔はもっと大きかったようだが。電線の邪魔になったり、台風の被害で幹をだいぶ切り落されているようだ。木の下には文化3年に建立された「二十三夜塔」が立っていた。   13:10

 
 ■西町~実相寺
 すぐ先の左手に大龍寺があり、猿島坂東の第2番。本堂は普通のコンクリート造。入口に●文化13年の十九夜塔がある。
 続いて県道の向い側には実相寺。創建は神亀元年(724)行基によるとされている。法相宗から真言宗へ改宗され、現在は日蓮宗になっている。●山門は中雀門と呼ばれる唐破風造りで建てられ、本堂右手の●客殿は関宿城の本丸の一部を移築したものという。寺は関宿城主久世家の菩提寺となっていて、久世家歴代の城主と奥方の位牌が安置され、また家老の富田家などの墓がある。 
 13:15

 ■実相寺~昌福寺
 どんどん県道を北上して行くが、右に左に古い寺が並んでいるのでまことに忙しい。左手奥まった所に●宗英寺がある。慶長元年に松平康元によって創建された。山門をくぐると左手に高さ2m程の●足利晴氏の五輪の塔がある。右隣には船橋随庵の墓がある。
 更に進み関口台町の手前左手に昌福寺がある。境内の右手に●不動堂があって、久世藩主の祈祷所として使用されていたという。お堂の●周りの壁面の彫刻は精緻ですばらしいものである。    13:40

 ■昌福寺~鈴木貫太郎記念館
 ●関口台町交差点に到着した。左手から先に歩いたいわゆる「本道」が合流してきている。
 そこで、左折して本道を土手の方へ向ってみた。すると土手の下に●関宿関所跡の碑が立っている。江戸川に合流する重要な地点に関所を設け通行人や船荷改めを行った。関宿藩士が在番し、江戸の治安を担うと共に、川関所として重要な機能を果たされたという。
 この辺りは江戸町と行って関宿城下の商人町であった所。河川改修の為家並が半分以下になってしまったといわれる。
 関口台町の交差点へ戻っていく。交差点左側に●鈴木貫太郎記念館がある。終戦時の内閣総理大臣鈴木貫太郎の軍服などの遺品や肖像、御前会議の図などが展示されている記念館だが特に興味がないので通過して行く。   14:05

 ■鈴木貫太郎記念館~博物館入口
 県道26号を境大橋の方へ進んで行く。左手に右手に光岳寺参道が続き、突き当りに大きな地蔵の座像が鎮座している。光岳寺は慶長7年(1602)関宿城主松平康元が母お大の方の菩提を弔うために建立したお寺である。参道入口には●十三夜塔、十九夜塔、庚申塔などがまとめて置いてあった。 すぐ右手に●香取神社がある。関宿町の鎮守で、代々の藩主の敬神崇祖の念が篤かった。
 寺を過ぎて●博物館入口信号のの手前から左斜めに進むのが旧道で真っ直ぐ土手に向うと昔の境渡船場に行着く。  14:15

■博物館入口~境大橋
 左手おくの方に見える城の形をしている建物が●関宿城博物館である。信号脇に「日光東往還と利根川の渡し」という説明板が立っている。関宿城博物館は平成7年に開館、建物のうち天守閣部分はかつての関宿城を復元したもの。ここは前に一度来たことがあるので通過する。 境渡船場あたりの土手に上がって見たが、碑らしきものは何にもない。ここは●境大橋を渡り境町に入るしかない。昭和39年になって架けられた大橋だが、上流に観光船としての渡船があるらしい。右側に歩行用の橋が架かり歩きやすい。
 橋の途中前方に見える大きな山は●筑波山であろう。この先しばらく右手に見えていた。    14:25

 ■境大橋~中央名店街
 橋を渡り土手を左折して、境側の渡船場跡に行きたいと思ったが、歩道橋から下りて行くと「道の駅さかい」に出ることになって、護岸が絡み合って面倒くさいので、道の駅を通過して、「役場入口」交差点を左折して、「境町バス停」の方へ向った。
 途中右手に●吉祥院があるので寄ってみた。現本船町から旧道が復活している。建物は古くないが船町食堂はその名に河岸の名残をとどめている。交差点角に筆屋を営んでいた●高木書店が今も重厚な白壁の店蔵を残している。日曜で休業中なのか、廃業した感じだかよくわからなかったが、営業していない感じがする。
 仲町から●中央商店街に続くのが旧境宿であろうが、なんか閑散とした風景で活気が見当たらない。鉄道が通っていないのでこんなもんかと思う。ただあちこち古い建物も見受けられたり、●街路灯に帆掛船が描かれて、かっての舟運で栄えた境の町を彷彿させるのであった。15:00

■中央名店街~境車庫バス停
 宿場らしく古い商家風造りの家も見受けられる右手に●薬局も雰囲気が良い感じ。左手には●不動堂。 案内がなにもなかった。この先工事中で一般車両進入禁止の所、右手に堺車庫がある関係でバスだけ進入できるようになっていて、●境車庫バス停で下車。この先しばらくバス便がないのでここで本日はおしまいになった。  15時55分発のバスで東武動物公園駅まで行き帰宅した  
  15:40

      2 野田市駅~工業団地   4 境車庫~結城駅