例幣使道歩き旅 4
        (佐野~栃木まで)
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 佐野駅-相生町-犬伏-町谷町-下津原-和泉-富田-永久橋-川連-境町-栃木駅   19.37km
 

 1 倉賀野~境町  2 境町~太田  3 太田~佐野  4 佐野~栃木   栃木~楡木

 2014年6月14日
■佐野駅~相生町
 9時過ぎ佐野駅到着。まず北側にある佐野城跡である城山公園に立ち寄るべきかどうか思案したところ、特に何も無いということなのでパスするかなといった感じ。
 南口を出ると正面の駅前広場の中央に円形の池があり、●オシドリの像が造られてあった。聞くところによると平成元年の「ふるさと創生」事業による1億円で製作したという。さすが鋳物の町佐野の面目躍如というところか。
 真っ直ぐ南下して県道67号、すなわち例幣使道に出るが、角の植え込みの中に佐野町道路原標の小さな石標がある。案内では佐野市内で現存するのはこの道路元標だけであり歴史的に 貴重な資料であるという。
 ●旧例幣使道を東に進む。駅前を過ぎると旧商屋などが無くなり、普通の道路になってくる。●相生町の交差点で左折する。  9:37

 
 ■相生町~内堀米
 2分先左手に●西宮神社がある。兵庫の西宮神社から大永3年(1523)勧請したもの。端正な感じである。
 右手ちょっと先民家の先を入って行き、石段を上がるとと●佐野坂東第1番の引地山観音がある。由緒ある感じで大きな本堂が建つが、無住のようで人の気配がない。本堂の海老紅梁が極端な湾曲を見せて見事である。建武の新政の時代、鎌倉で殺された護良親王のご落胤をこっそり産んだ寺という伝説ものこっているそうだ。
 道はその先、真っ直ぐ北へ向かい、JR両毛線の踏切を渡り、東武佐野線の高架下を通る。 佐野線の200m程先の久保町のはずれで天明宿は終わる。その先進んで突き当たりの●妙願寺は屋根が驚くほど高く、大きくて立派な造りで印象的。室町将軍足利義教より寺領三百石を寄進されたり、佐野家の祈願所となるなど、由緒あるお寺のようだ。道は寺の前を右に曲がる。   10:05

 
 ■内堀米~犬伏中町
 曲がってすぐ左に●常夜燈と鳥居があるが、ずーっと北の先にある八幡宮の鳥居なのだろうか。その先堀込町交差点を渡った先右手に●佐野百観音台元寺がある。本堂に百体の観音像が祀られて、扉が開いて見られるようになっているはずが、誰もいなく、扉もぴったり閉められて拝観できないので、案内板の●写真を撮っておいた。百体の観音像の様子はこんな感じで江戸時代に天明鋳物師により作られたそうだ。
 ほどなく犬伏宿に入るのだが左手に●例幣使道犬伏宿(中町)の看板が立っている。犬伏町の信号を過ぎると●犬伏宿に入る。 10:28  

 
 ■犬伏中町~犬伏新町
 犬伏宿に入るのだが、宿場を彷彿とさせるものは何も見られない。右手の●犬伏小学校が本陣跡だという。むしろ対面にある●大きな旧家の方が門構えも蔵も備えて本陣にふさわしい。
 左手奥に入ると●大庵寺がある。永禄11年(1568)唐沢山城主佐野昌綱が忠臣津布久昌茂の菩提を弔うために開基した。慶長5年(1600)上杉征伐に向った二代将軍秀忠が石田三成挙兵の報を聞き引き返す際、当寺に一泊したという。ちょうど法事中で近寄るのは遠慮した。本堂下左側の●石仏群はかなり有名だそうだが詳しい事はわからない。    10:40
犬伏宿
 天明宿からわずか27町(約3km)と近く、天明から人家が続き、「犬伏は佐野の内なり (木曾路)」といわれた。地名の由来は、昔豊作を願い娘を人身御供に出していたが、山伏が犬を神社に供えたことにより、人身御供がなくなりこの地を犬伏と称するようになったといわれている。大和の時代から存在していたというほど歴史のある犬伏宿は旅籠の数は40軒を越えるという 賑わった宿場であった。旅籠には遊女を置いていた。現在では特別には特徴が感じられない町となっている。
 本陣2 旅籠44

 
 ■犬伏新町~東北自動車道
 街道に戻って東に進むと前方に小高い丘が見えるが、これは北関東最大の●米山古墳。自然の丘陵を利用して造られたので、採土の必要がなかったので周囲に壕がない。前方後円墳で全長336mもある。
 その麓に建つ赤い建物は●薬師堂案内板があって、ここは「真田父子犬伏の分かれの地」という。慶長5年(1600)、家康に従って上杉征伐に向っていた真田父子の元に石田三成から豊臣方に味方するようにとの密書が届き、父子はこの薬師堂で話し合いを行った。結果長男、信幸が徳川方に、父昌幸と次男信繁が豊臣方にと、分かれることを決断したのである。
 その先しばらく歩くと高速道路手前の塀の中に●庚申塔が2基ある。●東北自動車道の高架下を通ったら、すぐ左に曲がってから、道なりに右に円弧状に進むのが旧道となる。    11:10

 
 ■東北自動車道~町谷町
 円弧状の旧道に入ると、集落の途中の左手に●常夜灯や●馬頭観音と地蔵などが見られる。旧道から新道に合流して、関川橋を渡り、正面に見える端整な山は万葉集にも詠われた●三毳(みかも)山。山麓にはみかも山公園が広がり、万葉庭園などもある。またここには東北自動車道、佐野SAがあり、工業立地に便利なせいか、産業団地が広がっている。   11:18

 
 ■町谷町~下津原
 県道に合流してから12~13分、三叉路の左手に●地蔵堂がある。左隣に●道標があるが、文字は読みにくくはっきりとはわからない。●堂内の地蔵の台座も道標となっており、こちらは「右日光道 左いわ舟道 日光似ぬける道」と読めた。
 その先 岩舟町に入ってすぐ右手に●「慈覚大師誕生霊蹟地道」という古い石標が立っているので、ここを右に入っていくと●慈覚大師誕生の地という場所がある。慈覚大師円仁が延暦13年(794)の秋に誕生した地といわれる。境内には大師が産湯を使ったという●産湯の井というものもある。
 しかし以前壬生街道を歩いたとき見たのだが、壬生町の壬生寺も慈覚大師誕生地といわれ、産湯井もあった。どっちが本当かな?ということは置いておこうか・・・・     11:48

 ■下津原~和泉
 すでに関川橋辺りから左手に見えていたのだが、左手に削り取られたような奇怪な山肌を持つこの山は●岩船山。地名は岩舟だが、山名は岩船である。江戸時代から昭和初期まで採石場だった山である。山頂に高勝寺があって、仁王門、本堂、三重塔などがあり、眺めが良いというが、なんせ600段の石段を上がるというので、とても行くことはできない。
 その先左手に●頭部が無くなった観音立像がある。なにか由緒ある石像ななおだろうか。その先はしばらく、3箇所左へ脇道を行くことになる。まず最初は●「ヤオハン」の先を左へ入る。左手に星宮神社があるが、参道が長そうなのでパス。岩舟町役場前で再び67号線と合流する。
 県道左手には「電話二番」と書かれた門を備える旧家がある。右手●寺内商店は奥行きが深く、家の真ん中が蔵になっている。岩舟駅へ向う丁字路角に●小さな道標。「岩舟停車場 鷲巣」「犬伏佐野方面 栃木小山方面」と彫られている。次に2番目は●岩舟中学校方面、3番目はコインランドリーの所を左斜めに入って行く。いずれも少しばかりの脇道で、県道へ合流して東へ向かう。    12:52

 ■和泉~古橋
 和泉の交差点手前右手に●赤いお堂がある。名前はわからないが、境内に公民館が建っている。ここでのすごいことはお堂の横の地蔵と思うが、顔や身体が侵食されて幽霊のようになったなんとも奇怪な姿になっている。歴史があるのかも知れないが、案内板も無くなんともすごい姿のまま残してあるものだと思う。
 和泉に入って行く。昔は茂呂といい、立場でも宿でもないが、「細見」では「御本陣・問屋、河田内近之助」と書いてあり、今井氏は不思議だと云っている。和泉の交差点はそのまま過ぎて、少し先の●ふじやの所を左に入っる。ふじやも蔵を備えて旧家のようだ。
 左へ入って5分、左手に●和泉天満宮がある。由緒などは分からない。  神社の前通って進み、●県道11号線を横切って左斜めに進む。13:35

 ■古橋~富田宿入口
 この道は県道に沿った弓状の脇道で、900m位の距離がある。やがて●また県道と合流し、ローソンの脇を通過する。その後左へ曲がる道が2本あるが、奥の2本目の●公園の所を左折するのが旧道である。左へ入ると先ほどの1本目の道と合流する。その合流地点右手に●薬師堂がある。ここが富田宿の入口で昔の木戸が設けられていた所という。   13:55

■ 富田宿入口~大平西小
  富田宿も例幣使道特有の長い直線道路で、宿の長さは12町12間あった。往時の面影が少ない富田宿だが、●富田交差点を左に曲がったすぐのところに●富田宿本陣跡碑が建てられている。本陣を務めていたのは和久井家であったが、建物は新しく、面影を残すのは蔵くらいか。
 八坂神社の先を左に曲がって、県道を渡った大平西小学校一帯が富田城跡で、校門前に●富田城跡碑と説明板が建てられている。 富田城は嘉吉元年(1441)に富田氏の居城として築かれたが、弘治3年(1557年)富田信吉の時、皆川俊宗に攻められ落城。以後皆川氏の隠居城として使われたという。土塁などが残っているということだったがよくわからなかった。     14:15
 富田宿
 幕府から正式に 伝馬宿として指定されたのは正保3年(1646)。飯盛り女がおかれ、富田女郎衆で有名であった。現在は所々に残る古い家が往時の面影を僅かに残す 静かな町並みとなってしまった。
 本陣1 旅籠28

 
 ■大平西小~ぶどう団地入口
 街道に戻り先に進む。左手に●旧大平下病院の木造洋館が目に入ってくる。いつ頃の建築かわからないが、なんとも趣きがある。  その先右手にある古民家は●旅籠島田屋安兵衛跡。1、2階とも連子格子が残り、往時の旅籠の雰囲気を伝えている。左手に前に見たのと同じような●頭部の欠けた観音像があった。その先交差点の手前右手に宗光寺という赤いお堂だけの小さなお寺があるが、このあたりで富田宿が終わる。
 その先左手の稲荷大明神の前を通って進み、県道11号バイパスには合流せず、その手前の●細道が旧道でそこに入っていく。    14:40

 
 ■ぶどう団地入口~永久橋
 旧道に入ってすぐの左手に●大平山」と刻まれた「常夜灯がある。 と云っても上部が落ちてしまっている。東日本大震災で倒壊したということだが本当だろうか。。街道はこの先は今井本では田となっていて通れないとあるが、現在では住宅街となっており、通行はできる。が、旧道は消滅しているようで、旧道を歩いているつもりで進むことにする、駐車場脇を通り、●住宅街を抜け、昔の砦のような石垣のある「児童公園」の前を通り、永野川の手前で県道に出た。車が来ない間を狙って県道を横断し、永野川に架かる左側の●古い方の永久橋を渡って、その先は永野川に沿ってグニャグニャと進まないといけない所、よくわからないので堤防上の道を真っ直ぐ進んで行った。   14:55

 久橋~翔南高入口
 永久橋を渡って15分ほど歩くと●川連天満宮がある。天正年間(1573~92)の創立という。天満宮の一帯はかつて川連城があった場所で、天満宮も当時の城の一角に建てられたものとのこと。左側に●川連城の説明板が立つ。城跡はバイパス工事で大半が消滅している。
  天満宮前の県道を横断して、真っ直ぐの道を500mほど歩き東武日光線手前、●「栃木翔南高校入口」信号を左に曲がって行く。もうすぐ栃木宿である。    15:20

■翔南高入口~境町
 東武線と上毛線の高架をくぐってから、突き当たりを左に曲がって●県道31号を横断して右へ曲がる。すぐに●大谷石造りの美容室のある所を左へ入ると、●例幣使街道と書かれた木製の案内柱が現れた。案内柱の所を右に折れて行く。   16:01

■境町~栃木駅
 右に曲って進むと、又●黒地の案内標柱があって、左に曲がるのが「佐野街道」、直進するのが「例幣使道」となっている。今井氏の本ではどうもここを左へ曲がって、佐野街道を進んでいるように書いてある。予習の段階で、今井氏本では開明橋の場所が明らかに記入間違いで、例幣使道の経路とは違っていることに気がついていた。歴 史 的 農 業 環 境 閲 覧 シ ス テ ムというサイトで明治時代の迅速測図」を見ることができ、それによると今井氏の経路は書かれていない。よってこの先は標柱どおり直進するのが正しいようである。
 次は●みつわ横丁への標柱。その次は左右が●大通りへの標柱であり、旧道は●大通りを真っ直ぐ進む。右へ曲がると栃木駅がある。ここで本日の歩きは止めにして●栃木駅から東武線で帰宅することにした。  16:10

      3 太田~佐野       栃木~楡木