下仁田街道を歩く 4 
     (初鳥谷~借宿)
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 初鳥谷-和見峠-馬越-馬取-上発地-下発地-発地-釜ヶ淵橋-油井-借宿      17.21km
 


 2024年5月19日 画面をクリックすると拡大します
■初鳥谷宿
 先週に続き、下仁田街道4回目。今日で借宿へ行き、下仁田街道歩き終了します。8時41分下仁田駅着。47分初鳥谷行きの町営バスに乗車、●初鳥谷集落に着きました。乗客は二人。もう一人は途中の集落で下りて行きました。
 初鳥谷宿は和美峠下の集落として、早くから開け、信州から1日、100頭分の米が運ばれ、ここで荷造りをして、江戸へ運ばれたそうです。大きな家が何軒かあり、旅籠の風情を醸し出しています。●堀沿いの道が旧道らしく、堀向こうに●文政期の常夜燈2基、双代道祖神などがあります。9:25

 ■初鳥谷~
 その先、左手に小山があり、庚申塔やら三尸塔などが沢山置いてあり、更にその奥に●●初鳥谷の八十八箇所霊場という「下仁田町指定史跡)のがあります。"説明板 この付近は弘法様の峰と呼ばれ、弘法大師にちなんだ四国の八十八箇所霊場を模し、巡礼代参所として八十八箇所の石仏群が設置されている。お寺の境内を巡る同じような代参霊場はあちこちに見られるけど、このような石仏が一箇所に集まっているのは珍しいと思います。 この先で県道に出て、一路和美峠に向かいます。旧道はほぼ今の県道を踏襲して峠まで向かっていたといいます。 原則上りの林道であるが、●一部平坦な所も通ります。峠まで史跡などは特にありません。 9:35

   ~上信越自動車道高架下
 ●林道はクネクネと上がるが、そんなに急坂ではなく、車も普通に上がって来ます。30分位で●上信越自動車道の高架下に来ました。 しばらく上がると●自動車道と同じ位の高度に達し、自動車道の側壁が低くて、トラックの車体が丸見えで、なんか恐ろしい感じがします。 10:15

 ■高架下~和見峠
 ●和美リゾート入口に来ました。リゾート内を通ると峠への近道なのだけど、一般者通行禁止ということなので、そのまま通過します。 道の上から下を覗くと●グランクラッセというドーム状のテントで、何とも珍し施設が見えた。さすがに軽井沢っぽくなってきます。 まもなく●和見峠頂上に達します。別に変わったところはなく、軽井沢町の境界案内板が立っているだけ。初鳥谷から1時間20分くらいでした。 10:45
 
これから「歴史の道調査報告書 女街道」(長野県教育委員会)を参考書にします。 信州からは「借宿」を入り口とし、和見峠越えを「女街道」と称しています。 コース は 1 馬越-地蔵ケ原-釜ヶ淵-借宿
                      2 馬越-発地-釜ヶ淵-借宿 の2コースがあり、今回は発地コースを歩きます。

 ■和見峠~馬越
 和見峠を越していくと、「県道92」にぶつかります。その先はゴルフ場に寸断されていると思われるので、左折して●「県道43号」を「押立山」に沿って下って行きます。右手一帯はゴルフ場。●発地の空き地がある所を直角に左へ曲がります。このあたりも左手のゴルフ場に寸断され、本来は斜めに進んできていると思います。●馬越の交差点に来ました。 ここで右へ行くのが「1の地蔵ケ原コース」、左へ行くのが「2の発地コース」へ分かれます。 現在の「軽井沢ゴルフコース」になっている一帯が「地蔵ケ原」といい、女街道が通っていて、多くの石仏、石碑が並んでいたが、いまは開発で道も推定するのみという。 そこで「2の発地コース」を取ることにしました。こちらのほうがいくらか旧跡がのこっています。"地図" 11:18 

 ■馬越~
 交差点、角に●「治安の礎」という、「浅間山荘事件顕彰碑」があります。昭和47年2月に発生した連合赤軍による「あさま山荘事件」における人質救出の際、2名の警察官の殉職者と多数の負傷者を出し、その顕彰をする記念碑です。 左に曲がり●発地コースへ入ります。 林の中の道でホテル、カフェなどが点在し、軽井沢らしい風情を感じる所。まもなく二股になり、右へ進みます。 左手に大きなログハウスがあったり、右手には●軽井沢南教会が建っています。 11:36

   ~馬取
 前方●畑地が広がり、自動車の交通量がめっきり減ってきました。 右手奥に●駒形神社。 鳥居は立派だが、社殿は極小さいものでした。 その先右手に●石段があり、「馬取の石仏群」の案内柱が立っています。 上がって行くと、薬師堂が建っていて、その奥に"石仏"が沢山並べてあります。"説明板" 。石仏は江戸後期のもので大部風化が進んでいる。 11:50

 ■馬取~上発地
 ●林間道をどんどんと進み、集落が見えてくると●前方に浅間山が姿を見せてきます。大聖寺のある●上発地集落に来ました。発地は「上発地、下発地、杉瓜」の3地区に分かれており、軽井沢町内最大の農業地帯で、以前「発地どじょう」といわれたドジョウが生息していたそうです。大聖寺入り口に "文字馬頭観音"などが立っています。12:12

 ■上発地~下発地
 下発地へ向かう右手は山地で、左手は最大の農業地帯らしく、●きれいに計画された畑地が広がり、浅間山がくっきり見えます。右手、こんもりした小山の上に"「諏訪神社」"があるようだけど、上がるのがおっくうで行かなかった。 下発地へ入り、●左手に仲むつまじい"道祖神" が建っています。 右手の密蔵院の前に●「二十三夜塔」などあります。 12:36

 ■発地
 風越手前、2コースが合流する手前、右手に●発地市庭という施設がある。軽井沢町農産物等直売施設で、新鮮な地元野菜などを取り揃えたというのが売りになっています。そば手打ち体験などもあり、ジャムもおいしそうだったけど、荷物になるので断念。
 その先●風越で「地蔵ケ原コースと発地コース」が合流しています。写真は”振り返り”で正面から来たのが、「発地コース」、左手から●「地蔵ケ原コース」が合流してきます。現在の「軽井沢ゴルフコース」あたりは、昔は「地蔵ケ原」といい、女街道が通り、石仏などが並んでいたが、開発や紛失で見る陰も無いと・・・「調査書」でも嘆いています。 13:00 

 ■発地~釜ヶ淵橋
 合流点の地名が「発地」だか「風越」だかわからないのだが、北側に●発地の石仏群というのがあり、地蔵ケ原コース(女街道)に置かれていた石仏がまとめて置かれています。"説明板"。 西側にも●発地の地蔵尊というのがあって、こちらには大きめの地蔵、馬頭観音などがまとめて置かれています。"説明板"。 合流地点から北上、15分ほど歩くと●釜ヶ淵橋に着きました。 13:19

 ■釜ヶ淵橋~
 このあたりは「油井」という集落です。集落の道沿いには「三十三番観音」の石仏、石碑が点在していると云われ、一部紛失してそろっておらず、順番も不同で安置されているという。橋の手前左手奥に三十三番の"壱番如意輪観音大士"が置かれている。
 また橋の手前右手、山の山腹に全国的にも珍しい"烏明神"が祀られています。 橋の下を見ると、●甌穴(おうけつ)といって、浅間山の噴火によって生じた現象で、河床や海岸の露出している固い岩盤の表面に生ずる円形の穴が、湯川沿いに大小50個の甌穴が見られます。 橋を渡って左へ曲がると、右手、山裾高台に石仏らしきものが見えたので、上がって行くと墓石と一緒に"石仏群が"まとめて置いてあります。●「道六神橋」を渡った先、右手に"地蔵他の石碑"があった。 その先、二股を左に曲がる角に"百番供養塔"があります。 左手、ゴルフコースに沿ってしばらく行くと、●右手に千手観音碑がある所に来て、その先を右に曲がって林の中へ入ります。 13:50

   ~しなの鉄道線路
 ここの●砂利道が旧道で、今までの舗装路より旧道らしい感じがします。 この道はすぐに●しなの鉄道に分断されてしまい、通れません。そこで元に戻り、先に進んで線路をくぐり、鉄道に沿って戻ります。 ●ほどなく分断された向かい側に来ました。旧道は左側(北方)へ続いています。 14:05

 ■しなの鉄道線路~
 ●旧道は林間道で「借宿」集落を北へ通っています。 ●分岐の角に大きな"如意輪観音碑"が立っていて、右に進むと「入山峠」へつながります。その先右手、●民家の脇に"観音碑"があり、他にも小さな祠などが点在して云います。 14:09 

   ~借宿(女街道入口
 中山道と合流する●女街道入り口に着きました。 ●中山道から入り口を見る。下仁田街道の終点であり、女街道の入り口でもあります。入り口に"説明板" が立っています。入り口付近には、道標、供養塔、馬頭観音、石仏など沢山立ち並んでいたが、明治天皇の行幸の際邪魔になるとかで、移転され、現在は左側に"馬頭観音碑"が1基立つのみです。 15:15終了。 借宿は中山道の沓掛宿と追分宿の中間地にあたり「間の宿」として発展してきた。●中山道は2008年7月以来の訪問で、あんまり覚えていませんでした。 14:15

 ■借宿~信濃追分駅
 下仁田街道を歩き終えて、「信濃追分駅」に向かうべく西へ向かうと、右手に●遠近宮があります。"説明板" 。左手の重厚な建物は●「黄壁布屋」といい、江戸寛文年間より米問屋、酒造業、質屋などを商ってきた。"説明板" 。その先の信号を左折して道なりに行くと●信濃追分駅に着いて、軽井沢経由の新幹線で帰りました。

    3 南蛇井-初鳥屋