1 宇都宮宿からへ白沢宿へ          歩行地図
 伝馬町-大町通-幸橋-竹林町-前原-白沢宿  約11.1㎞
1 宇都宮宿
 日本橋から日光街道と重なってきた奥州街道は宇都宮市伝馬町で日光街道と分れる。宇都宮宿は日光街道・奥州街道で最大の宿場で、町は二荒山神社を中心に発展してきた。宇都宮の名前の由来は、下野の国の一ノ宮である二荒山神社の、一ノ宮が訛ったという説と、奥州攻めに向う武将達が戦勝祈願した「討つの宮」が語源とか諸説ある。
 江戸幕府は日光東照宮の入口として、また奥州地方の北の守りの拠点として重視した。宿の長さ1里以上の当時としては、非常に大きな町であった。
 宇都宮は戊辰戦争における戦いの結果、城下はほとんど炎上してしまい、またその後栃木県の県庁所在地として発展し、当時の遺構もほとんどなくなってしまっている。
  本陣2 脇本陣1 旅籠42 

2010年4月11日 JR宇都宮駅から伝馬町バス停へ到着   9:45
伝馬町~二荒山神社
 伝馬町交差点で左に曲がるのが日光道中、まっすぐ行くのが奥州道中。その追分の所に本陣跡があったといわれるが、痕跡は見あたらない。
 その先左手に「高札場跡」の案内板がある

 JR宇都宮駅に向かう大通りが奥州街道なのだけど、市内最大の通りといって良いので、昔の面影は全く見られない。本陣の二つめは左手のみずほ銀行付近が石塚本陣跡というが痕跡はなにもなし。
 しばらく進んで右折するのであるが、その前に二荒山神社へ寄っておいた。
 パルコの前の大きな通を左折すると正面に下野国一ノ宮「二荒山神社」の高い石段が見える。左手はあいにく、何かの工事で塀で遮られている。  10:15

二荒山神社~大町通
 宇都宮二荒山神社
 正式名称は二荒山神社であるが、日光の二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)との区別のために鎮座地名を冠して呼ばれる。創建は、社伝では仁徳天皇の代、下毛野国造奈良別王が、祖である豐城入彦命を荒尾崎に祀ったとある。宇都宮市の名前の元となった由緒ある神社であるのに、階段右手ではなにかのお祭で、大音響でジャズのような音楽を鳴らしていたのは、いただけない。

 「県庁前」バス停の所を右折すると、左手の「長崎屋」の裏手に「史蹟行在所向明館」の碑がある。。
 オリオン通りというアーケードがある商店街に入る。アーケードの中が旧道というわけ。そこを抜けて「日野町通」を通り、突き当りを左折して、すぐ右折して大町通りに入る。
 右手の「おしどり塚公園」の中におしどり塚がある。鎌倉時代に無住法師の「沙石集」によって紹介された旧跡地で、次のような話が伝えられている。猟師が雄のおしどりを射止め、首を切り、身体だけ持帰った。翌日雌のおしどりも撃つと、その身体の下に、前日撃った雄の首が抱きかかえられており、鳥の深い愛情に心打たれ、それ以来猟師は殺生を絶ったという。  10:45

大町通~幸橋
 大町通りを突き当り、左折して「幸橋」へ向う。
その前に、珍しい鉄製の塔婆があるという清巌寺に寄ってみた。緑泥片岩を加工した青石塔婆とも呼ばれるものは普通に見かけるが、鋳鉄の塔婆は見たことがない。
 「鉄塔婆」は右手の建物の中に納められており、(扉が閉っているけど、自由に開けられる)、鎌倉時代の正和元年(1312)に宇都宮8代城主が母の十三回忌供養のため建立したものといわれる。我国最古であり、かつ唯一の鋳鉄製の大塔婆であることから、当時の宇都宮氏の、政治的、経済的は力ばかりでなく、文化的水準の高さを示している。 10:57 

幸橋~竹林町
 寺を出て、「幸橋」の手前、左手に三峰山神社というのがあり、樋爪氏の墓という説明板が立っていた。読んでみると、お堂の中の二つの五輪塔は、源頼朝が奥州の藤原氏攻めた時、祈願成就のお礼の生賢として二荒山神社に献納された、樋爪俊衡と弟季衡の墓と伝えられている。生贄とはすごい表現だけど。奴隷とか神官にさせたとかの表現も他のHPにはある。
幸橋は、田川に架かる橋で、宇都宮宿の出口に当たる。  11:07

 幸橋を渡ると正面に土蔵造りの家がある。旧・篠原家住宅という。18世紀末からここで醤油の醸造や肥料商を営んできたという。今の建物は明治28年(1895)に建てられた。黒漆喰や大谷石を用いた外観は風格をがある。国の重文に指定されている。
 ここの角を左折して国道と重なるルートを北東へ向う。新幹線の高架を過ぎて県道に入る。
 竹林町の交差点の手前右斜めに入って行く道は烏山道で、追分といっていた。  11:37

竹林町~前原
 「31アイスクリーム」先の信号を右手に入って白山神社に向かう。着いてみると、町中のどうということのない小さな神社であったけど、・・  宇都宮城主本多正純は、幕府から差向けられた根来組百人衆に城普請を命じたが、一同はこれに従わなかったので、全員を捕えて一日のうちに処刑、首と胴を別々に埋めた。根来塚と呼ばれ、そのうちの胴塚が白山神社の裏側にある・・・という場所であるらしい。しかし裏手を探したが、塚らしいものはなにも見つからず、竹林ばかりで、民家も建っているしで、よくわからなかった。
 街道に戻りと右手に松が一本ぽつんと立っている。松並木の跡と思われる。  12:10

 その先栃木銀行の裏手を探すと、地蔵を祀る祠があり、その隣の建物の中に首切り地蔵がある。さきほどの根来塚の一つ、首塚といわれている。「土堂原地蔵尊」の標柱が立って、はいくつもの石仏が並ぶ。ここは宇都宮藩の刑場でもあったといわれる。
 県道をどんどん北上し、「下川俣町」交差点で国道119号線を横切り、その名も海道町へと入る。日光街道の様に杉並木が続いており、今年は天候が不順なせいか、桜もまだ美しく咲いていた。  13:12

前原~白沢宿
 まもなく左手に製紙工場が見えてきて、稚児坂と呼ばれる坂に到着。桜が満開だ。建久7年(1196)初代奥州総奉行が奥州の任地に向かう折、同行の乳飲み子を亡くし、この地に葬たという。
 旧道が下り坂になるあたりの右手にさきほどの亡くなった稚児を供養する地蔵堂がある。

 街道左手にやげん坂の案内板が立っている。それによると、下り坂の形が漢方薬をくだく薬研に似ているからこう呼ばれるようになったということである。また。ここには慶長14年、白沢宿として町割ができる以前から街道の道しるべとしての夫婦の大きな榎があったという。
 さてその先突き当りの交差点で左折をすると「白沢宿」の入口となっている。  14:00

  2 白沢宿