3 氏家宿から喜連川宿へ      歩行地図
 氏家-上町-桜野-松山-弥五郎坂-旧道-荒町-連城橋      7.5㎞
3 氏家宿
 鎌倉時代、宇都宮公頼は勝山に築城しこの地を支配していたが、宇都宮氏没落により家臣の平石氏、桶川氏などが氏家に住みつき後に宿を形成した。寛永4年に奥州街道が開通し、その後元禄8年(1695)に会津中街道が開かれるなどして物資の集散地となり、また阿久津河岸ができて、鬼怒川舟運の起点ともなったりして非常に繁栄した。
本陣1 脇本陣1 旅籠35 

2010年5月4日5連休の4日目。8時40分JR氏家駅に到着。氏家交差点から街道歩き再開する。5月としては相当に暑い
■氏家交差点~西導寺
 ●氏家交差点を越えるとその先の●左手の歯科医院跡が本陣跡といわれるが、特に案内板などは立っていない。
 氏家宿内には右手に脇本陣だった伝馬屋、旅籠屋だったほてい屋、休み所だったうすいや、旅籠屋だった石井家などがあったが、今は全く面影は残っておらず、ひっそりとした静かな町並みだった。

 右手に●寛方・タゴール平和公園があった。 日本画で有名な荒井寛方とアジアで初のノーベル文学賞を受賞したインドの詩聖タゴールと親交を記念して造られた公園で、タゴールの言葉を刻んだ碑がある。
 左手に●西導寺がある。氏家家の始祖である五郎兵衛公頼が建立したもので、氏家家の菩提寺であった。開放的な寺の本堂は天明6年(1786年)に完成し、弥勒堂は延宝元年の建立になる。外観よりは内部が派手だそうだが見ることはできない。  8:55

■西導寺~上町
 寺から外に出て、氏家駅へ向ってから、左折した寺の裏に回ると●「つた地蔵」が見られる。 尊体と台座を一体に彫った鎌倉期の作で、昔は蔦がからみついていたのでこう呼ぶようになった。
 街道右側に●「光明寺」という寺院がある。山門を入ると正面に巨大な「不動明王」が鎮座していてびっくりしてしまう。こんな像は初めて見る。宝暦9年(1759)に鋳造された像であるが高さ3mにも達する 部分に分けて鋳造され、その分鋳の技術は、この像の存在により江戸時代中期までさかのぼることが証明され、鋳造の歴史を塗り替える資料となったという。

■上町~松山
 「上町交差点」が「奥州街道と会津街道の分岐点で、奥州街道はここを右折して行く。
 桜野の左手には庄屋を務めた●村上家がある。仙台藩主お手植えの曲り松があるとか。
 その隣の堂々とした長屋門の家が●瀧澤家。瀧澤家は明治時代紡績業を営み豪商となった家柄で、第四十一銀行の設立や那須野が原の開拓などにも尽力したという家柄。現在の建物は明治25年の建築。鐵竹堂、蔵座敷、長屋門が栃木県指定重要文化財に指定されている。土蔵の屋根上の洋風の望楼が珍しい。広すぎて一度に撮れないので少しパノラマにした。 9:30

■松山~弥五郎坂
 この先は、特に何もない直線の●国道293号をもくもくと歩く。季節柄あちこちで田植が始っていた。この付近は大きな門を備えた家が目に付く。
 松山地区に入って右手の民家の入口に「一里塚」の案内板が立っていて、入口左側の塀の脇に●一里塚がこんもり残っていた。ただ木もなく祠が上に乗っかっているだけ。日本橋から32里目を示す現存する一里塚であるとのことだ。  10:02

 松山の先は旧道との●分岐点で国道は右手にカーブして行っていますが、明治に開かれた新道で明治33年から大正5年まで人馬鉄道が走っていたとか。
 左の道が旧道で左を行くが、分岐点の手前に●新旧2体の大黒天の石像があり、案内板がある。読んでみたら左の像に水準点が刻んであるという。明治時代の測量の際に適当な場所がないのでこの像を使ったのだそうだ。左側を進むと、上り坂になっていて「弥五郎坂」と呼ぶ。  10:15

■弥五郎坂~旧道入口
 ●弥五郎殿
 弥五郎坂という坂を上がって行く。すぐ右手に石段があり、「古戦場」と書いた案内板が立っている。登ると弥五郎殿と呼ばれている祠がぽつんと立って、祠には古い五輪塔が安置されている。
 この坂は元は早乙女坂と呼ばれ、天文18年(1549)宇都宮尚綱が喜連川方の助っ人鮎瀬弥五郎に射殺され、喜連川方のピンチが救われたため弥五郎坂と呼ばれるようになった。弥五郎はここに敵将の供養のための大五輪塔を建立した。また一説では、弥五郎は尚綱の家臣で、主の討たれたのを見て敵陣に斬り込み討死、尚綱の子孫がこれを哀れんで建てた墓ともいう。

■旧道入口~旧道出口
 緩い上り坂の街道はやがて下り坂となり、左手に右を指した奥州街道の標識が現れ、右側に●細い山道が続いていた。ここが旧道らしく、入ってみた。いつもの通り人気がなく、少々不気味ではあったけど、道は舗装されていて山道というわけではなさそうで、枯草や土が重なりふわふわした感じの道だった。「さくら市」が平成17年に整備した道ということだった。「無名社版 奥州街道」にはこの旧道の坂を「弥五郎坂」として載せているのではないかと思う。  10:30

■旧道出口~連城橋
 やがて●さくら並木という案内のある集落へ出て、細いまっすぐな道を進んで行く
 左手に●勝善神の石碑が立っている。勝善神とは、仏教系の馬頭観音と同じで、神道系の呼び方で、奥州街道や会津西街道に多く見らるということで、白沢宿の手前にもあった。 
 道は荒町で荒川の土手に突き当たり、ここを右折する。  10:45

 荒川に沿って行くと、連城橋の南詰東側に●道標があって、案内板も立っている。寛延元年(1748)建立の道標で、「右江戸道 左下妻道」とあり、荒川沿いに行くのが下妻道である。また道標の向うから来ている道が、先ほどの分岐から分れて行った、人馬鉄道が走っていたという「新道」で両側は桜並木になっている。
 ●連城橋を渡るといよいよ喜連川宿に入る。
 10:55

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