下妻街道を歩く 3
  (小山の渡し~北水海道)
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 芽吹橋北詰-小山集落-小山上-長谷-仲町十字路-辺田-猫実-大口-馬頭-豊水橋-水海道-諏訪町-森下町17.8km

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2016年1月17日 ※ 写真をクリックすると拡大します
■芽吹橋北詰~小山下
 東武アーバンライン愛宕駅から1時間に1本の岩井駅行きバスに乗り、芽吹大橋を渡り土手上にある●芽吹橋北詰バス停で下車。本日の歩きはここから始まる。土手を2.5kmほど小山集落まで行く。愛宕駅からタクシー使用でもいいのだが、歩きがモットーなので歩く。・・・・  9:15
 土手を30分も歩くと、●何かの観測塔がある所まで来た。この先に見える集落が小山の集落で、「小山の渡し」で●利根川を渡っていた。 土手をこのあたりから下って、土手沿いに小山集落の間を通り、セブンイレブンから●県道142号へ出た。ここが今日の実質的な出発点になる。10:00

■小山下~小山上
 県道を少し行くと右手に●小山庚申塚板碑がというのがある。案内板も無く、坂東市のHPにも指定文化財と掲載されているだけで、詳しい事はわからなかった。建立は天保6年らしい
 その先に●小山香取神社。ごく普通の神社だが、●本殿が朱に塗られ新しくきれいであった。富士塚らしき塚もあった。 その北隣が●地蔵院である。猿島板東第32番札所とある。  この先空き地に中川村道路元標があるらしいが、気をつけて歩いていたけど見つからず。  10:17

■小山上~長谷寺
 県道を北上して行く。このあたり特に史跡らしきものは何もないので、淡々と進む。左右には●ネギ畑のビニールハウスが一面に続く。ネギが板東の特産らしいが?
 前原バス停の所で左折して少々の寄り道をする。右手に来迎寺があるが、法事の最中で立ち寄りは遠慮した。 その先右折した左手に●長谷香取神社がある。こちらは立派な由来碑が設置してある。旧長谷村の村社で本殿は平成5年に全焼してしまい、再建されたのだそうだ。 北側に●長谷観音堂がある。 猿島板東第33番札所であり、本尊は奈良の長谷寺の本尊の末木をもって刻まれたと伝える十一面観世音菩薩。延暦19年(800)、坂上田村麻呂が奥州蝦夷遠征に赴く際安置、祈願したとされている。境内に根元まで葉がびっしりとついている●大イチョウがあった。樹齢1100年というプレートが掛けてある。本当かいな?という感じ。  10:55

■長谷寺~仲町十字路
 県道に戻って先に進む。「ベルフォーレ入口」バス停の所で斜め左に入る。左手に総合文化ホールがあるが、なにやら馬上の武士の銅像が建っており。これは将門の銅像に違いないと見に行ったら、やっぱり●平将門の銅像だった。坂東市は将門ゆかりの地であるので、これから先も将門の史跡に出会うのだろうと思う。ホールの中の市立図書館で下妻街道の情報を探してみたが特に収穫はなし。 ●ベルフォーレ前交差点を直進して行く。その先に小さな●普門品供養塔がある。普門品(ふもんぼん)とは、法華経の中の観音経のことで、これを何万回か唱えた記念に建てたのだろう。 篠山十字路を進み、●仲町十字路を右折し国道354号へ入る。十字路の北方2km弱の所に「国王神社」という将門終焉の地とされる神社がある。以前車で行ったことがある。寄るには遠いのでパスしたのが残念。   11:50  

 ■仲町十字路~岩井消防署
 仲町十字路から大きく右折して行くことになるのだが、なぜこんなに大きく曲がるのかという疑問が湧いてくる。将門の時代は「香取内海」という、鬼怒川などの氾濫地が複雑に入り組んでいる地域であったので、そんなことが関係しているのだと思う。
 左手に●「将門煎餅本舗」という店があった。 ●県道354を南東方向へ進む。「ヨークタウン板東」の先に●僅かながら街道の松並木が残っていた。下妻街道にわずかばかりに残る旧道の面影。
 「岩井消防署前」交差点を左に入って行くと●香取神社がある。由来などわからない普通の神社だが、東京市の時代に金1万円を寄付した吉田基金という石碑があって、神社維持基金としたらしい。 あの時代の1万円とは今の時代のいくらだかわからないが相当の金額には違いない。そんな額の寄付をされる神社とは思えないが信仰心がすごい。 12:20

 ■岩井消防署~西念寺
 さらに進むと左手「岩井辺田郵便局」手前に●中山元成翁製茶紀功碑というのがある。 中山元成は辺田村の生まれでお茶の産業化に努め、安政6年に日本ではじめて茶を輸出したという人物。
 その先県道20号線が分岐している辺田交差点に来た。街道は左折するのだが真っ直ぐ20号の方へ少し入ると●西念寺がある。浄土真宗の寺で、ここも親鸞聖人二四輩の寺で、その第七番目の寺にあたる。その昔は天台宗で聖徳寺と呼ばれたという。その為か境内に「太子堂」があり、●聖徳太子像●親鸞聖人の手植えの松があったりする。ただこの松は代が変わっているようだ。  12:55

 ■西念寺~神田山
 元の県道354に戻って先に進む。江川橋と馬洗橋の右には●菅生沼が広がっている。菅生沼は南北約5km、東西の幅は約400mに及ぶ。昔の「香取内海」の痕跡を残すものだと思われる。南の方にある「あすなろの里」にはよく子供達とキャンプに来た所で思い出がある。 馬洗橋を渡ると右手の方にいかにも●旧道らしい道が延びているのでそちらの方へ入って行く。 しばらく行くと●神田山八坂神社がある。 13:16

■神田山~馬頭
 元の県道に戻り先に進む。県道135号が左手からぶつかってくる「東山入口」バス停の所に●二一番大師堂というのがあって、境内のような広場にずらっと●石仏が安置されている。本堂はないようなので廃寺になってしまったか?。二一番と云うからには21番目の札所ということだろうけど、札所巡りの名前がわからず、地元だけに通用するような札所なのだろう。 案内がないのでよくわからなかった。 ●小矢バス停で左に入る旧道がある。豊神橋で●常総市に入った。馬頭バス停の所にその名前の通り●馬頭観音が彫られている石碑がある。道標になっているようだが、摩滅していて全く読めず。  14:30

■馬頭~豊水橋東
 更に20分程進み、鬼怒川に架かる●豊水橋を渡る。歩道が大変に狭いのが難点。●鬼怒川は全長176.7kmもある利根川の支流であるが、その昔香取内海へ注ぐ鬼怒川水系の本流であったが、東遷事業により利根川が太平洋へ流れることになったことにより、利根川に注ぐ支流となった。
 豊水橋を渡ると水海道に入る。水海道は鬼怒川の河川水運により発展してきた町であった。豊水橋周辺には水海道の繁栄を支えた水海道河岸の跡がある。 豊水橋東交差点の左手には小さな水神社がある。 そして右手をふと見るとなにやら珍しいレンガ造りの塔のようなものが見えるので寄ってみた。道ばたの観光案内によると●五木田邸のレンガ蔵というのであった。明治期創建の3階建のレンガ蔵で、鬼怒川左岸に発展した河岸問屋のひとつである五木田宗右衛門家の蔵として建てられたという。国登録有形文化財。   15:02

 ■豊水橋東~諏訪町交差点
 水海道市内に入って行く。 左手にあるのが●大楽寺。平安時代末期に創建されたという歴史を持つ、京都嵯峨化野念仏寺別院だそうだ。平成2年にスリランカ国より仏舎利を奉戴したという案内があった。
 その隣が●水海道八幡神社。戦国時代に,水海道城主の田村弾正が守護神としてお祀りしたのが始まりという水海道の鎮守。本殿は拝殿から正面を覘くだけだが、よく保存されている。次の●諏訪町交差点で左折し北上する。  15:20

 ■諏訪町交差点~御城公園
 新八間堀川の手前で左折して、川に沿って進むときれいな朱色の橋が架かっている。●御城橋(みじょうばし)という。下を流れるのは●新八間堀川。寛永年間に新田開発に伴い開削された水路といわれるが、両側にゴミが集まりあまりきれいではない。
 橋を渡ると右手に●御城公園がある。 水海道城の城址といわれる所。 水海道城主は田村氏であったが、戦国時代の16世紀に豊田氏を滅ぼした多賀谷氏が進出してくると、当主田村弾正は多賀谷氏に屈服。以降多賀谷軍として北条氏と戦い戦死した。 公園内には城址らしい痕跡は見当たらず、案内などもなかった。ただ●茨城百景「水海道近郊名所巡り」という石碑と大洪水位記念碑がある。  15:30

 ■御城公園~北水海道駅
 ●旧道を進む。特になにもない。 淡々と進むだけ。左手に県立水海道第二高校がある。旧家らしい家もチラチラ見られた。右手の●青柳製麺は古そうな感じ。旧道は●森下町信号で県道357号線に合流する。 ・・・・ということで今日の歩きはここまでとしてすぐ東側にある●北水海道駅から帰宅した。 関東鉄道は1両だけのかわいらしい電車が走っている。  15:45

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