本坂通り(姫街道)を歩く2-1
         (西気賀~本坂宿)
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 西気賀-姫岩-黒坂の森-大里峠-三ヶ日-日比沢-本坂宿-本坂峠-嵩山-小倉橋-豊川        24.41km           
 

1 浜松~西気賀   2-1 西気賀~本坂  2-2 本坂~豊川   3 豊川~御油追分  4 見附~三方原追分

■西気賀~薬師堂  ※ 写真をクリックすると拡大します
  ホテルから浜名湖鉄道で2駅。●西気賀駅に降りた。駅は風格ある姿で、登録有形文化財。駅舎の中がフランス料理店として使われていました。雨の予報だが、今のところなんとか保っている。なんとか引佐峠を雨降りでなく、通過したいのだけど・・ 駅から●昨日の終了点に向かい、再開します。
 直ぐ先右手に●薬師堂があります。天保6年(1805)の再建で、引佐峠のふもとにあり休憩所としても使われた。その横に文化2年(1805)に建立された秋葉山常夜燈があります。      8:20

■薬師堂~姫岩
 街道は案内板に従って左に曲がり、民家の間を行き、右に曲がると左手に●石畳が見え、引佐峠の入口になります。
 いよいよ峠道だが雨が少し落ちてきた。石畳に雨は相性が悪い。滑りやすい。まずいな・・・という感じ。●石畳道を上がって行きます。
 ザザ-と上がって行くと、右手に屋根のある休憩所があって、手前に大きな平石がある。●姫岩という所。ここは眼下に浜名湖を望み、街道随一の眺めの良い所だそうだが、雨で視界が悪く、良くわからない。又このあたりの50m程の石畳は昔のままだという。  8:30

■姫岩~石投げ岩
 姫岩の先で一度舗装された農道に出ます。その先分岐点があったが案内板がしっかりしているの雨の中でも安心。その後石畳の道が延々と続き、滑らないように気を使うし、片手に傘をa持ち。・・という具合で汗をかき始め、どんどん進むと、階段になっている所に出た。そこを上がると車道になりトイレと休憩所がある。しばし休止。・・・写真を撮るの忘れた。・・再び峠を上り、ややあって●引佐峠頂上に着いた。旧細江町と旧三ヶ日町の境となっていて、標高200m・・とはいえ、雨で石畳は疲れる。・・当然ながら峠から先は下り坂になる。滑りやすいので下りの方が数倍困る。石畳は除けて脇の草を踏んで行くようにした。
 ●象鳴き坂に来ました。かなりの急坂だが草道なのですべりにくくて良かった。・・享保14年(1729)広南国(ベトナム)より献上の象が将軍お目見えのため、京都から江戸へ下る途中、船で渡る今切を避けて、姫街道を通った。 象は引佐峠の急坂で悲鳴をあげたので、村人はここを象鳴き坂と名付けたという。 その先左手に大きな岩がある。●石投げ岩という。投げるというので、もっと遠くかな思っていたが、道のすぐ脇にあり、置くという感じ。旅人がこの岩に石を投げて無事を祈ったという。 傘を差しながら片手で撮ったのでかなりぶれてしまった。  9:06

■石投げ岩~黒坂の森
 その先、●舗装路に出て明るくなった。引佐峠を抜けたようだ。峠入口からここまでで約50分程。左手に●視界が開け、眺めが良い。ほとんどがみかん畑で、畑の間を抜けて行く。
 大谷一里塚跡があるはずのところ、何故か見逃した。道なりに下って行くと左手にこんもりした黒坂の森というのがあり、入って行くと、●六部様というのがある。明和4年(1767)、行き倒れとなって死んだ修行僧 円心を祀った所という。  9:30

■黒坂の森~大里峠
 県道に出て左に折れると姫街道の案内地図があった。大谷代官屋敷跡を探したのだが、よくわからなかった。後で調べると地図のちょうど裏手にあったようで残念。・・次に、旗本近藤家陣屋跡はみかん畑になり看板だけというのでスルーしといた。 看板の先、右手に少し高くなったみかん畑の所に安形伊賀守屋敷跡の看板が立っているのだけど、a雨でぐちゃぐちゃで畑に上れず読めなかった。 県道から右手に入ると●慈眼寺がある。無住寺らしく地区で管理しているようだ。庚申堂の格天井には石川晶斎、福田半香、林棕林、伊東盧水ら4人の描いた60枚の花鳥画があるという。
 その先、姫街道は東名高速道路で一部寸断され案内板のように迂回して行く。2度目の●高速のガードをくぐると「大里峠」という所で、坂を上がって行く。ここも高速の為寸断されていて●高速に沿う道は迂回路です。途中に一部●旧道が保存されているが雨で入ることはできなかった。寸断された様子は案内板でよくわかりました。(案内板は一部自分で改変してある)   10:15

■大里峠~三ヶ日
 その先の跨線橋(橋が旧道となっている)で東名高速道路を横切ると再び●みかん畑の中の旧道となる。 人っ子一人いない静かな中を過ぎると眼前に●三ケ日の町並みが見えてきました。
 下り坂を下り、宇志川を渡った先の上り坂を上ると、●宇志の茶屋跡があり、その先の右手の案内板の所は高札場跡です。
 そこを抜けると三ケ日の町に入って行く。広い道路へ出て、右斜めに進むと、火の見櫓のふもとに●三ケ日「一里塚址」の碑があった。10:27

★三ヶ日の町並
 ●三ケ日の町に入ってきた。見所は沢山ある。初生衣神社、浜名総社、宇志八幡、浜崎居館、旧浜名郡の郡家等々。
 街道から離れていたり、場所が良くわからなかったりで、雨だしうろうろしたくなかったのですべてパス。 三ヶ日宿は小さい宿場で本陣以外は旅籠らしい家がなかったようだと云われる。 町並を進みながら、昔の旅籠「千鳥屋」を探したのだけど、調査報告書の写真と違っていてよくわからなかった。フードセンターの前あたりが怪しいと思うのだが・・。  この後、回りをすこしぶらついてみました。
 信号の手前右手に●三ヶ日宿問屋場跡の案内板がある。 直ぐ先の「三ヶ日」の信号の先、右手に古い重厚な家があり、これが●石川脇本陣だったらしい。最も正式な脇本陣ではなく、忙しいときの脇本陣的な役割だったという。
 ここの問屋場も決まった場所になく、重要な通行があった場合、脇本陣の石川家が代行したという。 又この向かいに小池本陣があったといわれるが今は何もない。本陣には文化2年(1805)3月伊能忠敬も泊まっている。  11:11

■三ヶ日~日比沢
 三ヶ日のメインストリートはすぐ終わってしまってもう町外れ。●釣橋川橋を越して行く。橋の手前右手一帯は条里制の遺構が残っているといわれるが、住宅が建ちよくわからない。釣橋川橋を渡るとすぐ宇利山川橋も渡ります。
 橋の先左手に●県立三ヶ日高校がある。残念ながら廃校になったようで跡と言うべきか、解体のまっ最中。 高校の角を回り込むように左に進むと上り坂が続く。「釣」というバス停の先、右手に●秋葉常夜燈がaある。石造の燈籠自体は鞘堂に入っていて、祀られているような感じ。燈籠は大正5年の建立になる。
 その先右手に入って行き、高台にある墓地の中に山論犠牲者供養塔がある。案内板などないので事前学習しておかないと全く解らない所だろう。・・寛永19年の山論の為に犠牲になった7人の供養塔です。   その先集落センター脇にも鞘堂に納まる常夜燈がある。こちらは木造だった。    11:40

■日比沢~本坂
 センターの先、右手に●華蔵寺がある。以前は真言宗であったが弘治2年(1556)曹洞宗に改宗している。古来から栄えた寺だという。ここで探すのは道標で、元々寺の西側にあったものが、車にぶつかり上半分になり、上の方に仏像が浮き彫りされている珍しいものだという。 よくわからずうろうろして探したが、入口山門を入った右側にあるものがそうだろうと思う。摩滅して仏像も台座の部分がわずかに確認できるだけで、文字も読めません。
 しばらく進み、森川橋を渡ると、●右上に上がって行く道に「姫街道の」案内板が立っているので、そこを上がると正面に●本坂の一里塚があります。北側だけ残り。南側は新道建設のため削られてしまっているとか。隣に●6体の馬頭観音像がある。真中の大きいのが文久3年(1863)の建立。ここの部分は切通しになっていて、新道の部分が切り下げられ旧道が細く残っている。この旧道は直ぐ先で新道と合流します 12:20       次は本坂宿   姫街道2-2へ続く

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