本坂通り(姫街道)を歩く 3
       (豊川~御油追分)
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 三明寺-豊川稲荷-大聖寺-長谷寺-上善寺)-中央通1丁目-筋違橋-国分寺・尼寺-上宿-御油追分 7.25km 
 

1 浜松~西気賀   2-1 西気賀~本坂  2-2 本坂~豊川   3 豊川~御油追分  4 見附~三方原追分

2017年10月15日 豊橋市内 ※ 写真をクリックすると拡大します
 本日も雨やまず。・・・ということで傘を差しての歩き旅。御油追分まで7km位で午前中に終わってしまうので、少し豊川市内の名所を巡っておきます。まずは・・・
★三明寺
  三重の塔が特徴のお寺。寺伝によれば、702年(大宝2年)創建。平安末期、兵火により焼失しまう。南北朝時代、無文元遷(後醍醐天皇の皇子)が復興したと伝えられる。●本堂は正徳2年(1712)の再建。
 ●三重塔は享禄4年(1531)の再建。総高14.5mで案外小さい。1,2層を和様、3層を禅宗様とする点が特に珍しい。  9:10

★豊川稲荷(妙厳寺)
 続いて豊川駅に向かい、西側に広がる豊川稲荷へ。
 稲荷というと稲荷神社というわけになるが、稲荷信仰には神社系と仏教系の2系統があり、明治の神仏分離までは一緒くただったらしいのだが、神仏分離令により、以後2系統に分離された。
   神社系は京都「伏見稲荷」が総本宮で宇迦之御魂神(うかのみたま)を祀る。
   仏教系はここ豊川稲荷が本山で正式の寺号は「妙厳寺」と呼ばれ、本尊は千手観音で、仏教系の(ダキニ天)を鎮守としている。このあたりややこしい。神仏習合時代の名残で境内に鳥居が立っていたりするのでなおさらややっこしい。
 ●総門は入母屋造、唐破風付きの四脚門。明治17の建立。大きな●鳥居をくぐると突き当たりに●壮大な本殿が建ち、吒枳尼(ダキニ)天を祀る。明治41年に着工し、昭和5年に竣工したという。 建物の多くは明治以後のもので比較的新しい。 まあ 寺なのに巨大な鳥居が普通にあったりして面白い寺ではあります。  25分程滞在

★八幡神社・大聖寺
 次は今川義元の墓を見に行きます。
 稲荷を出て、県道495を道なりに30分南下して行くと、右手にまず●八幡社があります。ここで行われる「うなごうじ祭り」は「やんよう神」になった人はうじの様にごろごろと路上に寝転び、他の人が起こしてくれるまで自分では起きないという奇祭だそうだ。
 そこからJRの線路脇に云った所に●大聖寺があり、●今川義元の墓があります。今川義元は桶狭間の合戦で討死して、墓も桶狭間で見たことがあるが、胴体の方を家来がここまで運び、埋葬して目印に手水鉢を置いたという。墓というか胴塚というべきかもしれない。傍には一色城主一色時家の墓もある。 家臣に殺害され、東三河における下剋上の始まりとなったという。  10:20

★長谷寺・上善寺
 次は●山本勘助の墓がある長谷寺を目指します。
 山本勘助は武田信玄の軍師で有名だが、川中島の戦いで討死している。墓が豊川にあったとは全くしらなかった。案内によれば・・・勘助は26才までまでこの地で過ごし、諸国歴遊後、信玄に仕え川中島で討死にとなった。仕えた際出家して遺髪を長谷寺の住職に預けていた。勘助の死を知った住職がその遺髪を埋葬して墓を建てたのが始まりという。遺骨が納まっているわけではなく、遺髪だけで、遺骨の納まる墓は川中島の方にあるようだ。 次に少し南方にある●上善寺へ向かう。本堂の扉に葵の紋が描かれ、徳川氏に縁のある寺だとわかります。天正3年(1575)長篠の戦いで家康の宿陣になったとされる。しかし宿陣といってもここから長篠まで直線で20kmもあり、戦いに合流するにも1日はかかると思うのだが、昔の戦いってこんなものかと思う。    10:35

■中央通1丁目~筋違橋
 さて豊川市内の主要な史跡も巡って、元の姫街道である県道5号、中央通3丁目に戻ってきました。約2時間、7.5km程かかりました。これから御油の追分をめざして、●県道5号の姫街道を真っ直ぐ西へ向かいます。 しばらくは特に旧跡とよべるものは見当たりません。  ●佐奈川を金屋橋で渡ります。すると左手奥にいささか●三重のような塔が見え、近寄ってみると本体の壁に「乾為天」とか「炊為天」とか書かれている額が架けてある。地図を見ると「世界心道教本a部」とあるので、いわゆる新興宗教の一施設でありましょう。 諏訪橋交差点の先、右手に●諏訪神社がある。お祭りのようで、爆竹の音、煙でかしましかった。昨日豊川で「手筒まつり」というのがあったみたいだし、今日もあちこちで爆竹が鳴っていた。    11:55

★三河国分尼寺跡
 横道西交差点の先一帯は三河国府、国分寺が所在した地域でいくつか旧跡が残るので、それらを巡ります。
 亀ケ坪交差点を右斜めに入り、国分寺跡の北側に●三河国分尼寺跡があります。a広大な敷地に朱塗りの中門と回廊の一部が復元されている。南側にガイダンス施設である「三河天平の里資料館」が併設してある。 寺域は方500尺(150m)程であること。特に金堂の規模は全国最大の規模であったという。    12:40

★八幡宮・国分寺
 国分寺の西隣が●八幡宮。白鳳年間(7世紀半ば~)に宇佐八幡宮から勧請したといわれ、奈良時代に国分寺が建立されると、鎮護神として崇められた。●本殿は三間社流れ造りの桧皮葺。中世以後は武家の崇拝を受けた。文明9年(1477)の建立という古いもので国の重要文化財に指定されている。
 東隣は国分寺跡。寺域は180m四方。南大門、中門、金堂、講堂が一直線に並び、鐘楼、七重塔などを左右に配した大伽藍でした。現在は●塔の基壇跡が残り、金堂跡に●国分寺が建っているが、永正3年(1506)に再興されたもの。規模も小さい   13:05

■筋違橋~上宿
 姫街道に戻ります、●筋違橋という交差点から先に進みます。しばらく行き、佃というバス停の先を左斜めにちょこっと入るのが旧道で、入って行くと曹源寺があり、その一帯が三河国庁跡にあたります。 その西隣に●●三河総社がある。総社というのはその昔、任国に赴任した国司は毎年一の宮、二宮・・・と順に参拝しなければいけなaかったが、大変なので国庁近くに総社を設け、国中の祭神を勧請し、これを拝することで全部を参拝したことにしてしまうという、いわば横着な神社のことを指します。
 国府関係巡りが終わり、先に進みます。右手に舟山古墳があるが、雨だし工事中らしくブルーシートが架けられている。●名鉄跨線橋の左脇を進みます。  13:40

■上宿~追分
 名鉄線路を跨線橋で越して行きます。その先、●国道1号に突き当たり、その先に道が続くのがわかる。分離帯で遮られ進めないので、右手の「追分」交差点まで迂回しなければいけない。迂回して元の位置まで戻り、300mも進むと●旧東海道との追分に到着しました。角に●秋葉山常夜燈と秋葉山三尺坊大権現の石碑等が建っています。    これで、2泊3日の内2日間雨中となり引佐峠、本坂峠と苦労しましたが無事終わりました。 ただ見附、浜松追分間16km残っていますので後日改めます。 帰りは名鉄国府駅に戻り豊橋から新幹線で帰りました。   13:55

 2-2 本坂~豊川  4 見附~三方原追分