本坂通り(姫街道)を歩く2-2
      (本坂宿~豊川)
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 西気賀姫岩-黒坂の森-大里峠-三ヶ日-日比沢-本坂宿-本坂峠-嵩山-小倉橋-豊川   24.41km              
 

1 浜松~西気賀   2-1 西気賀~本坂  2-2 本坂~豊川   3 豊川~御油追分  4 見附~三方原追分

★本坂宿 ※ 写真をクリックすると拡大します
 一里塚の先、国道に合流して、●左に下りて行くのが旧道で●本坂宿に入って行きます 宿に入ると右手に●本坂関所跡という碑があります。天正時代以前に関所が設置され、地頭の後藤氏が関守をしていた。気賀関所の設置により廃された。

 少し先を右手へ上がった国道脇に●橘神社があります。三筆の一人であり、唐に留学したことのある橘逸勢の墓を祀った神社です。石段を上った中央に●小さな社殿があり隣に逸勢の墓が祀られている。橘逸勢は承和9年(842)、伴健岑らと共に謀反の罪で伊豆配流となり、配所に赴く途中、板築駅で病没した。そこで駅の近くのこの場所で葬られた。娘の妙仲が都より付き添い父の死後墓を守っていた。嘉祥3年(850)、父の罪が許されて帰葬したが、代わりに埋めたa銅鏡は江戸末期に盗難にあい、庄屋により発見されたが、大正末年再び紛失し、いまだに不明であるという。
 宿場に戻り先に進むと、右手に●高札場跡が残り、石組みでできた土台が残っている。隣にと文化4年(1807)の秋葉燈籠がある。燈籠は鞘堂に納まる。その先左に入って行った所に本陣も残っている様だが、よくわからないのでそのまま過ぎた。
 まもなく宿も終わりになり、●二股を右に上って行き国道に合流します。   12:55

■本坂峠~
 国道に合流するとすぐ先、●右手に入る小路があって、そこを入ると朱色の小さな●大師堂があり、案内板には「弘法堂」とあります。二体の弘法大師像が祀られている。本坂峠越えの無事を祈ったものであろうと書かれている。 ここの小路は小さく半円を描くだけですぐ国道に合流してしまう。 国道から右手に上っていく細い道があり、これが●本坂峠の登り口となります。
 いよいよ本坂峠越えの始まりだけど、再び雨が落ちてきて傘を差しながら上って行かないといけない。引佐峠と同様に●石畳を上って行くが、ここの石畳は昭和34年の電話線敷設工事の際に敷かれた石畳で新しいものらしい。    13:05

 ★本坂峠
 滑りそうになるのをこらえながら上るのに必死で、あんまり回りを見ずに進んで行ったが、左手に●鏡岩というのがある。峠の鏡岩というと、鈴鹿峠の鏡岩を思い出すところだけど、あちらは・・山賊が往来する旅人の姿を岩に映して危害を加えた・・という物騒なものだったけど、こちらのは・・女性がここに映った自分の姿で、お化粧直しをした・・という風流なものでありますね。
 その先、一旦林道のような道に出て、(・・と言いつつ、この道は昔の国道362で旧の本坂トンaネルに通じている。現在は南側に新しい本坂トンネルが作られた)、またどんどんと上がると●本坂峠頂上に到着。樹木に遮られ、雨がシトシト・・という具合で昼なお暗しという感じ。 三河と遠州の国境にあたる。昔は眺望が良かったというが、現在は樹木が茂り、で全くよろしくない。昔から第一級の国道で、橘逸勢の一行も通り、武田の軍勢も通過し、享保3年には将軍吉宗の母の一行1万人以上が通り、享保14年には象も通った程。
 頂上を過ぎれば下り坂になる訳。雨の中の下りの石畳はかなり危険で、前日の引佐峠で経験済み・・・・かなり急の下り坂だけど、すぐ左手に●弘法水というのがある。昔、弘法大師がこの道を通ったときに、この湧水で喉をうるおしたという伝説がある。
 ●旧の本坂トンネルを抜けてくる国道車道の脇に「姫街道 嵩山宿」の赤いノボリが立つ場所を横断して行きます。13:50

 ~嵩山入口
 その先●嵩山一里塚跡を過ぎた。本坂通で唯一完全な形で残されている貴重な史跡であるという。 やっと●舗装路の道に下りてきた。峠を抜けた様だ 左手に●新しい姫街道の道標がある。正面に「西 嵩山宿 、東 本坂峠」 左面に「 ましらなく 杉のむらだち 下にみて 幾重のぼりぬ すせの大ざか 景樹」・・と江戸期の歌人 香川景樹が詠んだ歌が刻まれている。 峠入口からここまで1時間10分 雨の為いささか時間がかかりました。     14:10 

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■嵩山~嵩山市場
 ●嵩山宿の町中に入ります。雨のせいもあり人がほとんどいない。宿は東西5町50間で継馬問屋がある程度の小宿で、本坂通の交通量が増して、明和元年(1784)に東海道と同格の宿場に指定された。本陣、脇本陣、12軒ほどの旅籠が置かれた。元々小宿であるので維持運営には困難をきわめたようです。現在は往時の建物は残っておらず、風情はうすれてしまっています。
 右手に案内板がある家が●嵩山宿夏目本陣です。建物は新しくなっている。 その先右手にあるという大きな秋葉山常夜燈があるわけだけど、なぜか見逃してしまった。
 この先旧道は国道362号に合流して、500m程進み、●天神川の手前で左に曲がり、突き当たりを右に曲がると又すぐ国道に合流します。。●この区間何も見る所もないが、一応こだわりの為通っておきました。       14:50

■嵩山市場~小倉橋
 国道に合流して800m程進むと、気持ち左斜めに進む道が旧道で、そこに入ります。国道に合流する所に「長楽寺」という大きな案内石があるのだけど、お寺があたりに見えず入口が分からなかった。 寺には光背に、「右ごゆ道 左よし田道」と刻まれている道標を兼ねた石仏があるという。
 少し先、左手にある●秋葉山常夜燈は文政3年(1820)のもの。前面の大きな岩に「右豊川 左豊橋」と刻んである。 そのすぐ先、左手の竹林の中に「姫街道長楽一里塚」と書いた石碑がある。
 しばらく進んだ小倉橋の手前、右手に●弁慶首塚二本松碑(右)と馬頭観世音(左)が建つ。馬頭観音は馬の頭だけ描かれて、馬頭観世音と彫られている。大正12年近隣の交通運輸関係者が建立したのだとか。首塚の方は・・「ここに弁慶の首塚が有り、径七尺の二本の松の大木があった。両方とも倒れたので、惜しんで地元の有志が明治34年7月に碑を建てた」・・・・という
 小倉橋を渡ると左右に●田園地帯が広がっています。    15:35     

■小倉橋~豊川
 まもなく国道は左にカーブして行きますが、旧道は●土手に向かって直進します。
 土手に突き当たり土手に上がった向こうが●豊川の当古の渡し跡になります。樹木が繁茂して全く川面が見えません。当古の渡しは昭和9年に当古橋が完成するまで使われたといいます。
 今では当古橋を渡るしかないので、左手の当古橋で●豊川を渡ります。       15:50

■豊川~豊川町
 豊川を渡ったら右手へ折れると、●渡し跡から延びてくる旧道があるので、そこへ入ります。
  右手に●秋葉神社と常夜燈があった。
 再び国道と合流しますが、雨がひどくなり、歩いた距離も30kmにならんとする・・で早く終わりたいので先を急ぎます。
 馬場町交差点を地下で渡ってすぐ右手に、●熊野神社がある。由緒がありそうだが、ざーと見ただけで通過した。 最後に三明寺の手前を右に曲がって、豊川駅近くのクラウンヒルズホテルに泊まりました。三明寺は明日回りますが、雨がやみそうにありません。  16:25

 2-1 西気賀~本坂  3 豊川~御油追分