川越街道歩き旅 1   1板橋駅から成増駅まで  歩行地図
 板橋駅-大山-上板橋-成増-白子-膝折-大和田-大井-川越-川越城  33.1 km
 

 川越街道
 
  戦国の世、太田道灌は古河公方に対する防衛として、江戸城、川越城を築いた。その際江戸、川越間の古道をつなぎ合せて一本の道を通した。
 この道が川越街道の始りとされ、江戸時代に入り、川越藩の
松平信綱によって、中山道の脇街道として整備されたのが脇街道としての川越街道である。中山道を板橋宿で分岐し、上板橋宿、下練馬宿、白子宿、膝折宿、大和田宿、大井宿の各宿が置かれた。
 川越は江戸の北西の守り地としても幕府も重視しており、松平
信綱をはじめ老中級を川越城主として送っている。江戸時代の
中期ごろには、新河岸(しんがし)川の舟運の便もひらけ、江戸と
川越はいっそう密接なつながりをもつようになった。「川越」の街は「小江戸」などと呼ばれ、土蔵造りの家や、「時の鐘」は、「小江戸」の面影をよく伝える。川越までの距離は名産のさつまいもを使い「九里(栗)よりうまい十三里半」とか宣伝されたが、実際は11里程で、板橋からの9里弱(34km)を3回に分け歩いた。
 参考資料・・・・・・・「川越街道」(笹沼正巳外著、)
             「歴史の道調査報告書」(埼玉県教委)
             「川越街道展  板橋区郷土資料館」など
                      
 1 板橋~成増  2 成増~新座駅  3 新座駅~川越市  4 川越市内~川越城

2009年1月3日
■JR板橋駅~大山
 2009年新年早々の3日、早々と街道歩きに出ました。今回は川越街道。日本橋、板橋間は中山道と同じなのでパスして、板橋駅から始めます。大体国道254号に沿っていますが、板橋宿平尾から分れて上板橋宿が最初の宿になります。JR埼京線板橋駅を下りると●近藤勇の墓が目につく。近藤勇は慶応4年(1868)平尾にあった刑場で処刑されている。板橋宿手前の「東光寺」に寄っておく。ここに●宇喜多秀家の墓がある。他に寛文2年(1662)の庚申塔などが有名。          10:25

 板橋3丁目交差点が「平尾の追分」で、商店街に入るのが「旧中山道・板橋宿」、左側の国道17号線首都高速の下を行くのが旧川越街道にあたる。
 ●板橋2丁目交差点、板橋警察署手前を左折して、「四つ又ワインロード」に入る。歩道がカラー舗装できれいな通だが、高速の建設で移転させられた店が多いという話でした。山手通り手前を左に入っていった所にぽつんと●四又観音がある。ここも高速道路の建設に伴い移転させられたそうだ。  10:35

大山~国道254号
 山手通りを渡ると大山東町の●「遊座大山商店街」に入る。正月も3日だし、個人商店が多いせいか、繁華街というわけにいかなくて、ほとんどの店は閉っていた。街路灯からは赤いペナントが沢山下がっているのだけど、寒々しい感じがする。
 東上線の大山駅先の踏切を越えると、今度はアーケードが続く●「ハッピーロード大山」という商店街に変わる。ここはかなり有名な商店街で、遊座商店街より繁盛している。アーケードは全長およそ560m、店舗は209店、1日の買い物客は25,000人に上るそうです。   10:45

 国道254号との交差点手前を右に入ったところに、●大山福地蔵尊がある。文化文政の頃、鎌倉街道(日大交差点付近)にお福という行者が来て街道筋の人々の難病苦業を癒し大山宿の人々に慕われていたという  
 ■上板橋宿
板橋宿は下頭橋まで下宿、中宿、上宿と続いていく。宿としての体裁をなしたのは幕末頃で、それまではうえ板橋村といった。いたって小さな宿で本陣もなかった。
 国道へ入り、つぎの日大病院入り口交差点で、旧街道は右斜めに下頭(げとう)橋通りへ入っていく。ここが江戸時代の「上板橋宿」の入口だった。宿の面影を伝えるものはほとんどない。

■国道254号~下頭橋
 宿に入って、右手に井戸のある「防災辻広場」という公園があるが、昔ながらの井戸ポンプが珍しい。宿は明治27年に大火に会っている。右へ入って行った角に●轡(くつわ)神社がある。小さな神社であるが、家康の馬の轡を祀ったという珍しい名前の神社で、また「せき」の病に霊験あらたかで賑わったという。
 街道に戻って行くと、右手に●「豊敬稲荷神社があり、境内に上板橋宿の案内板が立っている。神社の手前の「辰屋かぎや総本店」という和菓子屋さんは初代が京都で和菓子の修業をした後、板橋で開業したという江戸時代からの和菓子店。  11:10

 神社の隣に、板壁古めかしい家がある。●三春屋という。大正時代、都内で「説教強盗」という泥棒がいて、「泥棒除けには犬を飼いなさい」「戸締りは厳重におこないなさい」と忠告して、金を奪う強盗事件が起り。ここに指紋が残されたのが決めてとなって逮捕されたという。
 やがて商店も人通りも少なくなって、石神井川に架かる●下頭橋(げとうばし)に差しかかり、上板橋宿がここで終わる。下頭橋という変った名前の由来には色々伝えられている。   

■下頭橋~上板橋商店街
 橋の袂に●「六蔵祠」というものがあって、説明によると・・・橋の名の由来については、諸説がある。一つ目は、旅僧が地面に突き刺した榎の杖がやがて芽を吹いて大木に成長したという逆榎がこの地にあったから。二つ目は、川越城主が江戸に出府の際、江戸屋敷の家臣がここまで来て頭を下げて出迎えたから。三つ目は、橋のたもとで旅人から喜捨を受けていた六蔵の金をもとに石橋が架け替えられたからというもので、六蔵祠はこの六蔵の道徳を讃えて建てられたもの。
 下頭橋を渡り、左斜めにはいって行くと、国道254号線と環状7号線の●「板橋中央陸橋」交差点に出る。交差点の向こうには「長命寺」がある。  11:30

■上板橋商店街~東武練馬駅
 この後、しばらく国道を歩いて「上板橋1丁目交差点」で斜め右の商店街に入って行く。●「上板南銀座」の看板が架かる。右折しないで国道を少し直進すると、国道の分離帯上に●五本ケヤキが立っている。国道の敷地は「元上板橋村長飯島弥十郎家」の屋敷があり、現国道254号が出来た時、飯島家の屋敷林が道路用地となったが、同家の強い要望で、その一部が国道に「五本ケヤキ」として残された。                11:55

 ■下練馬宿
 街道と「上板橋駅」から来る道がぶつかる辺りから、下練馬宿が始る。江戸側から下宿、中宿、上宿とあった。本陣、脇本陣が設けられていた。
 「上板南銀座」商店街は練馬区に入ると、「北一」商店街と名称が変った。「環状8号」は工事中で、陸橋上に宝暦3年(1753)の●「大山道道標と東高野山道標」が屋根を架けられて建っている。
ここの地点は大山道との分岐点であり、東高野山というのは環八を南に行った、高野台3丁目にある「長命寺」のことをいう
 
「環8」の先右手に●浅間神社がある。境内に富士塚が築かれており、富士山信仰が盛んになると、富士山に登れない人のために、富士山の溶岩を持ってきて、富士山を模して造られた。

東武練馬駅~成増
  東武練馬駅前通り焼肉店隣に●北町観音堂(石観音堂)が窮屈そうに建つ。天和2年(1682)銘の北町聖観音座像や、馬頭観音、庚申塔などがある。聖観音座像は高さ270cmで区内最大の石仏。また、山門には二体の仁王像が立っている。
 国道に出ると又板橋区になり、地下鉄赤塚駅出入口脇に●騎馬武者像が立つ。台座に「鎌倉古道 至かまくら 至はやせ」と記されている。脇の細道が、昔の鎌倉街道らしい。  13:15

 国道を進み、「成増駅」手前右手に●「小治兵衛窪庚申尊」がある。案内板をじっくり読んで見たけど、庚申塔の説明が多く、このあたり「小治兵衛久保」といったり、「盗人小治兵衛」橋を作ってくれたとかの民話があるそうだが、それ以上の説明はなかった。
 この先右手は「成増駅」だけど、実は昭和の終り頃、通勤で成増を使っており、懐かしいので駅へ行ってみた。駅舎は変わりなかったが、南口に建てられた●「時計塔」には童謡「叱られて」の歌詞が書かれている。作詞した「清水かつら」(明治31~昭和26)は、東京深川で生まれだが、後半白子に住み、利用する駅は成増駅だったといい、成増には縁が深い。和光市と成増には、清水かつらの業績を顕彰するものが多いという。
川越街道2へ続く。        13:40

1 板橋~成増  2 成増~新座駅  3 新座駅~川越市  4 川越市内~川越城