川越街道歩き旅 2
(成増駅~新座駅)
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 板橋駅-大山-上板橋-成増-白子-膝折-大和田-大井-川越-川越城  33.1 km
 

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2009年1月3日 川越街道1 からの続き(2023.11.19再訪
■成増~白子橋
 成増を過ぎると、国道254号は急坂を下りて行くが、急坂緩和の為か深い切通しになっていて、旧道の方は右側にそのまま台地状に残って
●新田坂と称している。国道は坂の相当下の方走っている形になる。
 途中左手の林の中に、石地蔵、常夜灯、道祖神などををあつめた
●「新田坂石造物群」がある。 13:55

 ■白子宿
 白子は「新羅」の転訛で、渡来人らが開いた土地とされます。湧水が豊富で、このあたりの中心地として栄えた。江戸から下宿、中宿、上宿とあり、中心部には本陣、旅籠などがあり、賑わっていたが、東武線の開通により廃れていった。
  坂を下りると正面に●八坂神社がある。案内板には、神社の前の道が旧道で、白子川への急な下り坂になっていること、新田坂から白子の間は「新田宿」と呼ばれて、魚屋、造酒屋などが並んでいたとある。現在ではマンショなどが立ち並んでいるが、右手に一軒"面影を残す家"があった。 その先の●白子橋の欄干には、清水かつら作詞の「くつが鳴る」の"歌詞"が刻まれている。 橋を渡ると「白子宿」に入り、この先を左に曲がったあたりが中心で本陣があり、白子坂上まで続いていた。橋を渡って突きあたって、交差する通を"「白子宿通」"と呼ぶ。   14:00

■白子橋~大坂
 白子の名前は渡来人の「新羅」に由来している。この先「志木」、「新座」など渡来人に由来する地名が多くなる。
 「白子宿通」の中程を右に入った奥に、白子の鎮守
●「熊野神社」がある。往時の賑わいを感じさせるような、大きな境内を持っていた。また付近の豊富な湧水を利用して我が国最初の「養魚試験場」が設けられた。現在でも本殿の左奥には小さな滝があり「龍の口」から水が落ちている。左手の石段を上がると●清龍寺不動院。奥の方には洞窟があり、「伊賀忍者修行道場」の地でもあるそうだ。  14:15

 県道の手前の郵便局は中宿本陣だった●「富沢家」だった場所。裏手に蔵などが今でも建っている。辺り一帯すべて「富沢家」で医院、薬局など経営して、地元の名家であることがわかる。
 県道をよこぎると道は
●「大坂通」と呼び、急な坂を登っていく。右手の黒々とした格子がみごとな旧家は旅籠 川越屋と思われる。坂の途中左手に上宿本陣「芝崎家」の建物があるといわれるが、なくなっているでしょう。同名の医院が建っている。(再訪時、見当たりません)。
 街道は笹目通りを歩道橋でよこぎり、「くらやみ坂」に進んで行く。
14:25

■大坂~朝霞警察前
 「くらやみ坂」を下りたところの右手に、茅葺屋根をトタンで覆った巨大な屋敷がみえる。、旗本酒井家の代官を勤めた豪農
●柳下家で、代官屋敷と呼ばれていた。昔は見事な茅葺大屋根であっただろうと思われます。
 少し先のの高台に
●石造馬頭観世音がある。後背型座像形という珍しい形をしている。文化15年(1818)の建立で、現在の東松山市上岡の妙安寺にある馬頭観世音を模して造られた。
14:35

東京外環状道路を歩道橋で渡る。右へ行くと「和光市駅」がある。左側は陸上自衛隊朝霞駐屯地が広がっている。
 本町小交差点を渡ったところで、旧道は
●右側の細い道に入る。ここから100mくらい行くと「朝霞市」との境界で、朝霞市栄町に入る。この道は別に変った道ではなく、旧道にこだわっただけですぐに県道に戻ってしまう。 このまましばらく歩き、●「朝霞警察署前」バス停の先で県道の方は左に曲がってしまうが、旧道の方はまっすぐ細道に入って行く。15:00

 ■膝折宿
 膝折の名は、賊に追われた小栗判官が鬼鹿毛という名の馬に乗って当地まで逃れてきたところで、鬼鹿毛が膝を折って死んだことに由来すると伝えられる。川越街道4番目の宿場町で平林寺や川越東照宮への参拝、者川越藩の参勤交代などで賑わいました
 ■朝霞警察前~野火止
 この旧道も250mほどで県道に合流します。合流部分は極めて急な下り坂となっており、この坂を一人で荷車を引き上げるのは無理であるので、この坂を"「かせぎ坂」"と呼び、車の牛を押し専門の人足がいたといわれている。但し今では急ではあるが、距離は短い。このあたりから「膝折宿」がはじまっている。
 合流点からすぐ右手に
●一乗院がある。渡来人の「高麗氏」の開基と伝えられる。案内板の記述が長く、要約することが難しい。一乗院参道から進み、右手に中宿の●脇本陣「村田屋」がある。高麗王を先祖に持つ「高麗家」が「村田屋」の屋号で営む脇本陣で、大きな茅葺屋根はトタンで保護されている。重厚な屋根と格子は品格を感じる。すぐ先の斜め左手には、郵便局に隣接して本陣だった牛山家が、家は本陣の名残はない。  15:30

 街道は●膝折宿町内会館交差点を左折して、黒目川に架かる大橋を渡り。新座市に入っていく。道は右にやや曲がり、「たびやの坂」と「合同の坂」の分岐点には庚申塔立つ。二股の分岐点を左にとって、●「たびやの坂」とよばれる急坂を上る。マンションや戸建住宅にはさまれた道は朝霞市と新座市の境界となっていて、左右で住居表示が違っていたりする。坂上で道が平らになると、幅はいちだんと狭くなって、又県道に合流する。合流地点に「横町の六地蔵」というのがあったというが、見落したか、よくわからなかった。帰ってから整理中に気がついたが跡の祭り。(再訪時撮りました)"六地蔵" "説明板" 

 ■野火止~新座駅
 ●野火止大門の交差点で左折する道は有名な「平林寺」への参道となります。交差点角に文政年間に江戸の豪商、松前屋が建てたものといわれる金鳳山平林禅寺」と彫られた大きな寺号石がある。平林寺は学生の頃から何度も行っており、今回はやめにしておいたが、境内にはほとんど埋められてしまった「野火止用水」が史跡として良く保存されていて訪れる価値はある。
 道向かいには見事な
●茅葺の家があった。16:00

 、西に進み●武蔵野線のガードをくぐって、先を左折すると、●JR武蔵野線「新座駅」がある。本日はここで終ることとしてそこから帰宅した。次は大和田から続きます。

       川越 3に続く  
  16:25

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