川越街道歩き旅 3
(新座駅~川越)
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 板橋駅-大山-上板橋-成増-白子-膝折-大和田-大井-川越-川越城  33.1 km
 

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2009年2月8日
JR新座駅到着(2023.11.19再訪成増から)
■新座駅~英IC
 右手に野火止の鎮守
●神明神社がある。案内板に「昭和の始めには野火止用水が境内の横を流れ…」とあり、境内の左側にそれらしき跡を認めるも確信はできず。神社を過ぎると大和田地区に入る。大和田地区に入ってすぐ右手の高台に、「●鬼鹿毛の馬頭観音」がある。元禄9年(1696)の建立で、名馬「鬼鹿毛」の伝説(後述)が残る。新座市内では最古最大の三面六臂造の石造馬頭観音。 右隣に芭蕉句碑があり、草に半分覆われて、よく読めないが「花は賤乃眼にもみえけり鬼薊」とあるらしい。意味はよくわからない。 10:35

■大和田宿
 新座郡最後の宿場で、現在の大和田地区にあったといわれる。本陣、脇本陣は設けられず、旅籠の跡も残っていないので、宿の跡をたどることは難しい
  このあたりの県道沿いに大和田宿があったはずといわれている。しかし宿場の跡はなにも残っていない。この先左手に享保13年(1728)の●石造地蔵菩薩立像と天明2年(1782)の庚申塔が立っている。大和田中町交差点を横断した先、右手に地蔵が立ち、横に●観音堂らしき建物も建つが廃屋同然になっていた。

■英IC~三芳町
  県道は柳瀬川に架かる
●英(はなぶさ)橋で国道254号と合流する。旧道はまっすぐ右の道を通って川にぶつかってしまうが、昔は土橋で柳瀬川を渡っていたという。インターチェンジを越えたところの左手に立派な農家の屋根が見えた。 跡見女子大学の手前左、急勾配の石段の上に●富士塚がある。「三国第一山」と書かれた大きな石碑が建っている。県道が直線化する改修のため、山の部分が削られてしまったそうで、こんな場所にある。  11:05

  三芳町、資料館入口交差点から、中央分離帯が続き先頭の所に●「川越街道」と書かれた大きな石がある。ここから歩道、分離帯共に、見事なケヤキ並木が続く。上り車線が旧川越街道だというので、道路を横断して右手に渡ると、川越街道の大きな案内板がある。・・・といっても老朽化というか、何も描かれておらず、きたない案内板が立っているだけ。なんとかすべきではないかな。 ●街道はケヤキの大きな木が続き、歩道も広く、美しい。

 ■三芳町~藤久保
 しばらく歩き、三芳町役場入口の交差点の少し先の左手に●木宮稲荷神社がある。祭神は宇賀豊受比売命。境内は意外と広く、だれもいなくて、静かなもの。寛文元年(1661)の建立になる神社。
  ケヤキ並木道はこの先で終わり、ここにも上り用の「川越街道」の大石がある。すぐ右手に、民家の前に「御嶽信仰と塚」と書かれた三芳町教育委員会の案内標識が立っている。奥の民家の横の塚の上に
●「蔵王権現石像」が祀られている。木曽御嶽山に対する山岳信仰であり、藤久保では明治の初めに「覚明講社」という御嶽講が結成され、ここ「正木家」が代々先達をされている。

■藤久保~大井坂下
 先の左手に
●広源寺がある。広源寺は川越街道の成立や藤久保の開拓着手の時期に当たる寛永16年(1639)呑海和尚の創建されたと言われています。明治7年、藤久保小学校が開設された所でもあります。ここは珍しく本堂の左右に一対の仁王像が立つ。
 藤久保の交差点の先から再び分離帯と並木がはじまる。中央にはさっきと同様に「川越街道」と書かれた石が置いてある。ここからの並木の主役はマツで、杉やケヤキも混じっている。11:55

■大井坂下~大井小学校
 藤久保の
●松並木が続く。背の高いこの松は特に有名なようで、「川越街道」の写真というとこの松が出てくる。たしかに高くて堂々としている。右手に「川越街道」のくわしい詳細な説明板」が立っていて参考になった。
 左手に克福稲荷神社がある場所の右手に、下木戸跡の標識がある。このあたりから「大井宿」が始まっている。右手に●大井稲荷神社がある。説明が長くて要約しずらいが、昔は「徳性寺」の管理下にあり大きな神社であったらしい。12:50

 ■大井宿
 江戸時代以前は「大井郷」としてあったが、寛永頃には宿場として成立し、本陣、問屋場、幕末には旅籠も置かれた。明治の3度の火事によって宿場としての町並みは失われてしまっている。
 「トヨペット」の前を右折していくと、右手に「大井」の地名の由来となった●「大井戸跡」が復元されている。大井戸は昭和50年の発掘調査により確認され、砂川堀改修工事のため、元の場所より北側に原石を使い復元された。 
 街道左手に
徳性寺(とくしょうじ)がある。約450年前、秀山律師の開山と伝えられています。山門を入った左手に、「坂上」近くに「石塔畑」と呼ばれる場所から出土した弘安4年(1281)の●板石塔婆や南木戸跡にあったといわれる明和4年(1767)の石地蔵などが並べられている。

左手に●「大井宿と本陣跡」の標柱が立っている。"「本陣新井家跡」"で、今は池坊いけばな教室になっている。〔現在はcafeのよう)名主、問屋場も兼ねていた。川越藩主の参勤交代では、江戸に近いため宿泊することはなく、休憩と人馬継ぎ立てのみが行われていた。
 東入間警察入口交差点を越え、大井小学校の前に国指定有形文化財の
●「旧大井村役場」がある。明治22年の「市町村制」により「大井村」が誕生し、その後明治42年ここに庁舎が建てられた。当初平屋であったものが、昭和12年に改築され、その後の改築を経て、現在は埋蔵物整理センターとして使われている。

■大井小学校~八幡神社
 大井小を過ぎると旧道は国道254号線と分かれて
●左側の細い道に入っていく。半分ほど過ぎた支所入口交差点で、旧川越街道と、地蔵街道が交わる。この地点を「角(カド)」と呼ぶ。ここに●「角の常夜燈」というのが立っている。丹沢の霊峰、大山の阿夫利神社へ参拝する際に亀久保村から最初の曲り角に立つのでこの名がある。享和2年(1802)の建立で、道標も兼ねており、当時は街道の中央に置かれていた。"説明板"  13:30

 旧道をすすむと右手に●地蔵院がある。正和3年(1314)の開基という。本尊は2尺5寸の地蔵尊像。歴史はあるが、昭和27年の火災で、本尊と山門をのこしてすべて焼失してしまった。本堂はコンクリート造りで再建されたもの。 その先国道と合流する手前、左手神明神社がある。亀久保村の鎮守で、「地蔵院」が別当を努めていた。境内に天保12年(1841)の手水鉢や力石などがある。 神社の左手に、●馬頭観音堂がある。境内に庚申塔、馬頭観音等がまとめて置いてある。この馬頭観音には、大和田で見た「鬼鹿毛伝説」と似た伝説が伝わる。その昔北国より火急の用事をおびた3人の武士が早馬で江戸を目指して走った。伊佐沼で1頭が倒れ、亀久保で1頭、さらに大和田で疲れ切った1頭が松の根につまずいて倒れたが、起上がって江戸までたどりついた。しかし大和田で確かに死んでいたという鬼鹿毛伝説となっている。このうちの1頭がここの馬頭観音であるといわれている。堂内を撮影してみたが暗いのでかなり修正してこんな感。馬頭観音像であろうか。
   13:50

■八幡神社~新宿町北
 国道に合流すると又
中央分離帯で分割されており、左側が旧道となる。●鶴ヶ岡八幡神社の前の歩道橋で、左側脇へ入って行く。手前左手奥に「八幡神社」。国道寄りに鶴ヶ岡村の成立を語る「芝開地蔵」がある。ここを境に大井町から川越市に入る。
  脇へ入って900m程左手に「東光寺」がある。その先の左手に●「開明地蔵大菩薩」がある。覆屋になって顔が見えないが、近くに刑場があったので通称「首切り地蔵」と呼ばれている。  再訪時見えなくなっているので、調べると、2022年4月頃、土地の所有者が不動産会社に移り、取り壊されたということでした。)。14:35

 「高階中」を過ぎ、右に「いなげや」が見える交差点を左に行った、右手に●地蔵院がある。ここに六地蔵、馬頭観音や道端にあった庚申塔、石造り千手観世音立像などの石仏がまとめて置いてある。
 やがて「御代橋」を渡り、長田寺を過ぎると上り坂となり、ここを●「烏頭坂」と呼ぶ。往時は杉並木がありうっそうとしていた。新河岸川舟運が盛んな頃は、荷揚げされた荷物を市内の問屋街に運ぶときに必ず通らなければならず、難所として知られていたという。  15:20

 「烏頭坂」の石碑が立つ石段を上って行くと、●熊野神社がある。高台に建つのでなかなか眺めが良い。
 旧道は国道254号と合流して、煩雑な「新宿町北」交差点に出る。旧道は左から来る国道16号線を渡り
●「東武線」の上を通って県道39号線に進んで行く。いよいよ川越市内に入って来たわけである。ここから先は川越街道4 市内~川越城編に移りたいと思う   15:30

  鬼鹿毛伝説
 
昔、秩父の小栗という人、江戸に急用があって、愛馬鬼鹿毛に乗り道を急ぎました。大和田宿に入ると、さすがの鬼鹿毛も疲れが見え、この場所にあった松の大木の根につまずき倒れました。 しかし、さすがは名馬、ただちに起きあがり主人を目的地まで届けたといいます。所用を終えた主人が先ほど馬をとめたところまで戻ると、いるはずの鬼鹿毛の姿が見えません。不思議に思いましたが仕方なく家路を急ぎました。やがて、大和田の地にさしかかると、往路愛馬が倒れた場所に鬼鹿毛の亡きがらを見つけました。鬼鹿毛は主人の急を知り亡霊となって走り続けたのでした。 村人は、のちに鬼鹿毛の霊を弔って馬頭観音を建てたといいます。これが「鬼鹿毛の伝説」です・・・・・・・案内板より

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