川越街道歩き旅 4
(川越市内~川越城)
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 板橋駅-大山-上板橋-成増-白子-膝折-大和田-大井-川越-川越城  33.1 km
 

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2009年2月15日
(2023.11.23再訪)、川越の町はゆっくり見たいと思い浅間神社から歩き直しをしました。
■新宿町北交差点~菅原町

 「東武鉄道」を越えてすぐ右折した先に●浅間神社がある。珍しいことに神社は古墳の上に乗っており、石段を上り社殿の裏側に回ると富士塚が築いてあるし、噴火口も作ってあった。入口鳥居の脇に「占肩(うらかた)の鹿見塚(ししみづか)」碑がある。昔は鹿の肩を焼いて吉凶を占なった習慣があったということだが、角を焼くのではなく、肩を焼くとはどういうことか理解に苦しむ。旧道である県道を城に向って真っ直ぐ歩きます。

■菅原町~通町
  左手にある●菅原神社に立寄ると、なんと社殿が全焼いなっていた。どういうことか帰ってからネットで調べると、2009年2月3日未明放火された。元派遣社員の28歳の男が逮捕されたということだった。在りし日の姿はこのよう。(http://www.koedo.org/wp-content/uploads/e5898d1.jpg) (20.23.11.23、現在修復されています
 少し先の左手奥の●八幡神社は長元3年(1030)甲斐守源頼信の創祀と伝えられて古いが、社殿は昭和50年完成で新しい。川越一ノ宮である。川越の歴代城主の崇敬が深いといわれる。拝殿隣に相撲稲荷神社というのがあって、由来がおもしろい。「まんが日本昔ばなし」に出たそうだ。  11:30

■通町~喜多院
 「通町」バス停先で城下町特有の●枡形があり、カギ型に折れる。この形は市立博物館にある川越の模型を見たら良く理解出来た。枡形を過ぎて、右手の細い道へ入り、」「埼玉病院」の脇を通って「喜多院」へ向った。 裏手にある●「どろぼう橋」を渡って喜多院に入る。どろぼう橋の名前の由来は、昔、喜多院境内は、江戸幕府の御朱印地で、川越藩の町奉行では捕らえることができないことを知った泥棒が逃げ込んだところ、寺男たちに諭され、その後真人間になったということからつけられたという。  11:55

★喜多院
 喜多院は広く、重要文化財がたくさんある。創建は平安初期にさかのぼるが、家康や家光の信任も厚かった「天海」が慶長4年(1599)第27世の法統を継いでから寺勢が大きくなった。寛永15年(1638)、火災で山門以外の伽藍を焼失するが、翌年、江戸城御殿の一部を移築した。慈眼堂鐘楼門山門、いずれも国指定重要文化財。多宝塔は県指定有形文化財。「東照宮」は神仏分離令により別管理になっている。●慈恵堂●東照宮拝殿  12:10

■喜多院~市立博物館
 喜多院から旧道へ戻って、「松江町」交差点から北上します。このあたりから川越の老舗が現れてきます。少し上がった左手に明治元年創業の「芋十」。また古美術商「芋十」でもある。
 右手に煉瓦造の風格ある建物は、日本聖公会●川越キリスト教会。大正10年建築の国登録有形文化財。
 カギ型の通りを曲って、市役所前交差点に着いた。正面は「川越市役所」。角に川越城を築造した大田道灌像が立っている。一応「川越街道」はここまでで終りとなるが、右折して川越城跡へ向った。
 途中の左手にある大きな建物は●「市立博物館」。ここでは川越の昔の模型が興味深かった。

 ■市立博物館~三芳野神社
 「博物館」の南側に●「川越城本丸御殿」がある。ちょうど平成23年まで修復工事中であった。入れなかったけど、3回目位なのでそう惜しくもなく、足場の前に大きな写真が掛けてあった。(2011年修復完了)
 「太田道灌の築城になる。天文15年(1546)の「河越夜戦」により、後北条氏の支配になったが、家康に敗れた。江戸時代は、柳沢吉保など譜代大名が城主となっている 本丸の東側に●三芳野神社がある。三芳野という社名は在原業平の『伊勢物語』に出てくる「入間の郡三芳野の里」という地名が川越の旧地名であるからつけられたという。童歌「とおりゃんせ」は当社の参道が舞台といわれる。
 。「川越街道」の旅はこれで終ります。板橋からここまで35km程度の旅でした。延3日かかりました。  13:00

■三芳野神社~一番街通
 帰りは「川越駅」まで「札の辻」から蔵を見ながら帰ることにしました。
 町のシンボルとなっている●「時の鐘」は、寛永年間(1624~)に川越城主酒井忠勝によって建てられた。火災にあい、現在のものは明治26年(1893)の川越大火の翌年に再建されたもの。この鐘は350年近くにわたって、1日4回「時」を告げてきた。
●大沢家住宅
 川越の蔵造り建築の中で最も古く、寛政4年(1792)に建てられた。川越で唯一、国の重要文化財に指定。簡素な外観だが、壁の厚さは30cmあり、堂々としている  13:45

●亀屋本店
 亀屋は天明3年(1783)の創業という老舗の菓子屋。蔵は明治26)年の建築。塗籠出桁に重厚な屋根を特徴としていて市指定文化財。この他にも沢山あり、蔵の紹介だけで1頁作らないといけなくなるのでここでやめとく。一つだけ面白いのは「金笛」の看板が掛る「笛木醤油」で、創業200年以上の老舗だけど、蔵は平成になってからのモルタル作りだとか。
●連馨寺
 駅へ着く前に寄ってみた。河越夜戦後、河越城の城主となった大道寺駿河守政繁が、亡くなった母・蓮馨尼のために浄土宗の僧・感誉を開山として創建したお寺です。正面の呑龍堂は呑龍上人の像が安置されており、「子育ての呑龍様」として親しまれています。以上で川越市内見物も終了して、帰りはJRで大宮経由にて帰りました。   15:00

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