秩父三十四ヵ所参詣道 4 
   (第十八番~二十五番)
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  相生町交差点-18・19番-秩父橋-20・21番-江戸古道-22番跡-長尾根道-23番-小鹿坂巡礼道-24番-久那道-25影森駅 16.09km

1 小川町駅~1番四萬部寺  2 四萬部寺~9明智寺 3 明智寺~17定林寺 4 定林寺~25久昌寺 5 久昌寺~30法雲 6 法雲寺~31観音院 7 観音院~34水潜寺

2018年4月30日 ※ 写真をクリックすると拡大します
■相生町交差点~第十八番神門寺
 西武線からの直通電車で秩父駅到着。早速●相生町交差点まで来ました。正面に大正4年の●「右 皆野 熊谷道 左 國神 本庄道」 の道標があります。右へ入りすぐ●右手の民家の中を行く道が旧道で突き当たりに「左18番 右17番」の道標があります。
  秩父鉄道の歩行者専用踏切を渡り、道なりに進んでいくと国道140号に出る。ここを横断すると 十八番神門(ごうど)寺があります。元々修験寺で神門山長生院といい、今宮坊に属し栄えたという。●観音堂は天保年間に再建されたもの。●不動堂に祀られる不動は火災鎮護のご利益があるとか云われている。      9:35

■神門寺~広見寺西
 十九番へは一度国道を渡り返して、真っ直ぐ進み●秩父鉄道の踏切を渡ります。その先で●秩父往還といわれる旧道へ出て右折して行く。左手に雰囲気のある旧家なども見えます。 しばらく進むと調査書では右手に大野原病院があるという。 しかしそんな病院は見当たらず、代わりに●板東観音堂縁起と書かれた石碑が立つ広場がありました。正徳4年(1714)秩父観音総開帳が行われ、日野沢大通院と廣見寺はそれぞれ西国堂と坂東堂を建立し六十六観音を設置して秩父と合わせて百観音を拝観出来るという事業を行った。その後お堂は廃寺となったが、その事業を記念する祈念碑が建てられた。 板東三十三観音は近くの廣見寺に移されている。
 旧道は●広場の前を左手に坂を下って行きます。  9:48

■広見寺西~第十九番龍石寺
 坂は●坂東(ばんどう)坂と呼ばれ、南西方向に下ります。坂を下りきると●ログハウス風なカフェがあり、その右手を入って行きます。すると広い市道に出るので右折して進むと看板が出ていて、看板に従い左へ曲がると●石垣に乗る十九番龍石寺が見えてきます。  荒川の浸食でできた河岸段丘上に露出した大きな岩盤の上に●本堂が建てられている。  この地方で旱魃があった際、弘法大師が祈祷したところ、この地の磐石が二つに割れ龍雲が立ちのぼり雨が降りすべてが蘇ったといわれている。  9:56

■龍石寺~秩父橋
 境内に上がる入口の脇に●「みぎ 廿番」の道標があるので右へ曲がって行く。 寺が建っている岩盤に沿って南西方向へ向かい、二股を右に取って行くと広い道へ出る。右手に●安春地蔵菩薩というあまり聞き慣れないお地蔵が納められているお堂があります。
 向かいは●秩父橋でここを渡ります。20番から25番目では荒川の左岸に位置するので、ここで荒川を渡りますが、昔は秩父橋より少し上流にあった、「簗場の渡し」から舟に乗り込んだようです。この簗場の渡しは昭和6年に秩父橋の完成により廃止されたという。 現在の橋は3代目で初代は明治18年に完成した洋式木造橋で、その●初代の橋脚が左側に残されている。  10:08

 ■秩父橋~第二十番石之上堂
 渡った先の20番から25番までは龍石寺境内に立てられていた「荒川西岸 江戸巡礼古道」という地図による経路を歩くことにしました。 現在の22番の童子堂は明治末期に移動されたもので、江戸時代の立地は北方の山地の中といわれる。 江戸時代の古道を歩いている自分としては跡地の方を訪ねる方を取りたいので、22番童子堂は通過することになりました。
 さて21番へは秩父橋の左側から荒川に沿った道を取りたいところ、「通行止め」のフェンスにより通行できないので、国道の●迂回路へ回ることになりました。 左手から上がって行き、道なりにぐるっと左回りに行くと、20番手前、右奥の民家裏に●延慶の青石塔婆という石塔が立っています。 延慶3年(1310)、秩父丹党の先祖供養の為に建てられ、秩父に残る丹党関係資料のうち、最も貴重なものであるという。
 その先に●第二十番石之上堂があります。その名の通り、荒川の切り立った崖の上に建てられています。境内から川岸に下りて行く石段があり、ロープで遮られていたけど、くぐって下りて行くと岩盤の途中が洞になっており、無数の石仏が祀られている。ここには●「秩父二十番乳水場伝説」という看板が立てられています。 洞から下は崩れていて通行できない。 昔は荒川を渡った巡礼は河原を通って観音堂を仰ぎ見ながらここの洞の前を上って参拝したと云われる。 ということは「通行止めのフェンス」で通行できない道も江戸古道ではない。一度河原に下りてみたけれど歩けるものではなかったです。     10:45

 ■石之上堂~第二十一番観音寺
 二十一番へは江戸古道寺尾道を歩きます。●左下に荒川を眺めながら段丘上を行く道で、400mも進むと緩やかに右にカーブし、途中に●「みぎ 廿一番」の道標があります。更に100m進むと県道72号にぶつかるが、正面に●元禄15年(1702)の供養塔があります。 県道に出て100m左に行くと●第二十一番観音寺です。 通称矢の堂と称し、昔の堂は大正12年に隣接した小学校の火災で類焼、のち今の堂が建てられた。別名「矢之堂」といい、平将門が戦勝祈願のため矢を納めた、日本武尊が東征の折、武運長久、東国平定を祈り、鏑矢を納めたから、八幡神が放った矢がここに落ちたからなどの説によりこの名がついたのだと云われている。  11:05

 ■観音寺~旧二十二番童子堂跡
 県道を250m進むと●右手に入る道があって、角の建物の裏手に●薬師堂が建っている。ここを右手に入るのが江戸時代の22番への巡礼道と云われます。 現在の22番は県道を更に900m真っ直ぐ行って、公会堂の所を左に折れば22番童子堂があります。 更に云えば薬師堂から100m先を左斜めに入る道が「明治古道」と云われるので、ここを通っても面白いかと思います。
 旧22番跡地へ●林間道を上がって行きます。道が大きく右にU字形に蛇行し、更に左に曲がった先で二股になり、その角に●第二十二番童子堂の旧跡があり、説明板が立っています。江戸時代の童子堂はここより100m北に所在して、明治の末に便利の良い現在の地に移っていった訳です。 歴史道としてはこちらの方が正しいと思えるので、こちらへ来ましたので、現在の22番は通過することになりました。11:18

■童子堂跡~長尾根みち
 旧地の前が●江戸古道寺尾道入口になっているので、ここを左手に入っていきます。最初は浅い切り通しの様な山道だったけど、段々●深い切り通しの道となり、歩きやすい。調査書では土石の崩れや倒木などにより通行困難な場所も見られるとあるが、そんなことも無く、整備された道となっていて良かったかと思います。通る人もいないが、途中に「巡礼古道」の札も下がっていて、安心できます。 10分も行くと視界が開け●お馴染み武甲山が割と遠目に見えました。途中に●江戸巡礼古道の案内板も立てられていたりします。  11:34

 ■長尾根みち~第二十三番音楽寺
 道は段々●緩やかに、広い山道になってきて、気持ちの良くなってきます。●メープルの森という案内板があって、「NPO秩父農工森づくり」というNPO法人が整備されたのだと思います。
 しばらくすると左手に●沢山の石仏が立っていて「十三権者の石仏」というらしいです。正面に回るには左手に回り込むみたい。
 その先の●三叉路の様な合流地点は現在の22番童子堂から上って来る道で、ここで合流して23番へ向かいます。 
 山道の所要40分弱   11:46

 ■第二十三番音楽寺
 23番音楽寺へは●山道を外れ左手に下りて行くと●第二十三番音楽寺本堂があります。音楽寺の名の由来は、秩父札所を開いた13人の聖者がこの山の松風の音を菩薩の奏でる音楽と聞いたからと云われているそうです。
 堂前には明治17年の農民決起(秩父事件)の際、音楽寺境内に集結、梵鐘を乱打し秩父市内へ乱入したということで有名な●梵鐘があります。    11:52

 ★小鹿坂巡礼道ハイキングコース
 24番までの経路について、小鹿坂巡礼道ハイキングコースを行くコースを行くことにします。 まず寺を出て南側へ行くと寺の専用駐車場があって、ここは相当に広い。 ここを出て車道を少し来ると「梅園」の中に●「←札所24番2500m」の看板がある所があります。ここがハイキングコースの入口でここを入ります。 
 入ると●少々細い山道でトントンと下って行く。途中民家の前に出てしまい、人の庭先に入り込んだ気がしましたが、ちゃんと「古道」の札も下がっていて正しいルートでした。 一度●舗装路に出ると脇に小さな馬頭観音がありました。 その先で●案内標柱の立つ地点で再び山道に入っていきます。  入口から10分  12:35

  山道を抜ける舗装路に出て、広い車道の二股に出会う。二股を右に取り行くと、又●車道から左手山道へ入る様になっている地点へ来ます。脇に、●宝暦13年(1763)年建立の弁財天碑がありました。 この山道は中々鬱蒼としており、倒木も少しはあったり、他に歩くような人もいないのでイノシシでも出会ったらいやだねと感じながら進みます。 途中で●細い川のような場所に来るが、調査書に云う「桜久保川」の渡川点なのかどうかわかりません。水量もないので難なく渡ると前方に「観世音菩薩」の赤い幟が立っていますが、この幟はあちこちにたっていて、24番「法泉寺のものなのでしょうか。
 その先、急な●上り坂に出くわし「念仏坂」の看板が立っています。 念仏坂を上がり、竿の先で●木道を上がると明るく視界が開け民家の前に出ました。  12:56

 ■小鹿坂巡礼道~二十四番法泉寺
 ●前方に武甲山が、手前ではお馬さんがのんびり草を食んでいたりしてました。 ハイキングコースが終わり「別所」という所でしょう。道なりに行き、県道に出て右折して行くと右手奥に●116段という急な石段があり、これを上がると●第二十四番法泉寺です。 13:15

 ■法泉寺~酒蔵資料館
   二十五番へは二十四番の手前で県道を左へ折れる。 これは●県道の旧道で、集落を通ってから県道に合流する。 ここで県道を横断して山側に上がる道を右に入ります。 しばらく●切り通しの様な道を行くと、山道となり森の中を進む道になります。 やがて●トンネルが見えてきてこれが国道の下を抜けるトンネルで、ここをくぐって国道へ出ると●酒蔵資料館があります。これは「秩父錦」が開設している施設で酒造に関する見学ができる所。  13:45

 ■酒蔵資料館~民宿はまだ
 国道をしばらく北上すると●「江戸巡礼古道」の立つ地点で左へ折れていきます。すると三叉路に出逢い●「右 久那道 25番寺」の表示がある。本来の旧道は左へ行って、法林院の裏手の道を通る訳だけど、この先の「巡礼坂」の案内板にあるように、崩落が激しく通行不能になってしまっている。それで左方向への案内は表示されていない。
 右へ向かうと国道に出て、左へ曲がって進むと、二股になるのでここを左へ入ります。 道は●三叉路になり、正面に寛政7年(1795)の弁財天石碑があります。 道なりに進み「ホテルすぎな」を過ぎて、先ほどのの「巡礼坂」の案内板の設置してある地点に来ます。●小さな馬頭観音がありますが、ここは法林院の裏手から来る崩落した旧道が合流する所となっています。 その先、●民宿「はまだ」の右脇を抜け、安立の集落へ進みます。  14:10

 民宿はまだ~久那小学校
 集落を抜けると道は鋭く左に折れ、沢に沿って県道へと下りて行く、少しすると県道を外れ●右へ折れ、スチール階段を下りていくように案内板が出ている。案内に従い階段を下りると、●沢を渡る木橋があるのでここを渡ります。すると再び山道に入り5分程で民家の前で出てきます。前方に武甲山が、今度は側面が見えています。 民家の脇に●25番への道標があるのでここを通って行くと、●久那小の脇に出ます。ここにも小さな道標が置いてあります。   14:30

 ■久那小学校~第二十五番久昌寺
 少し行った先、●田んぼの脇にも●お馴染み「はま」の道標があります。 この先真っ直ぐ進めば●第二十五番久昌寺の山門が見えてきます。山門の扁額に「御手判寺」と書かれてあり、山門をくぐって道を隔てた先、石垣の上に●観音堂があります。お堂に本尊聖観音が納められ、書写山を開いた性空上人が秩父札所を巡った時、閻魔大王に石の通行手形を贈られ、当寺に納めた伝えられている。 その手形を御手判(おてはん)と云い、当寺にあることから「手判寺」ともよばれるという。  14:25

 ★第二十五番久昌寺
 観音堂の背後は土手になっていて、●弁天池があります。池に沿って行くと、竹林の中に●弁天堂、●本堂があります。 観音堂で見たように、閻魔大王と御手判の伝説があって、御手判寺とも称されている。
 その外に寺の創建として・・・・その昔、上ノ山奥野の女、心荒く父母親類縁者のも疎み果てられ、自ら懐胎の身ながら も追いたてられ久那の岩洞に住み、鬼女如く振るまい里人に恐れられていました。  女の子生まれて母に似ず神仏を尊び里人の助けにより、旅僧の持ちし観音像をまつり、 母没後の菩提のためにこの地を霊地にしたという・・・・という様な案内がありました。
     14:30

 ■久昌寺~影森駅
 二十六番は影森駅の向こうであるので、駅に向かうのが古道になります。 山門をくぐって県道へ出て信号の所を右折するが、真っ直ぐ行かないで途中の●脇道を左へ入ります。これが旧道。 100m先で三叉路になり、ここを左へ行くと柳大橋に至る車道へ出ます。旧道はこの車道沿って右側に見え隠れしているらしいが、よくわからないので車道を行くしかありません。15分も行くと●柳大橋に来ます。 旧道は柳大橋の下をくぐり荒川の河原に下りて行き、「柏木瀬(柳の渡し」で渡っていたという。
 対岸に渡るとそのまま段丘を真っ直ぐ上って行ったと思われますが、現在は右折左折して上がって行きます。上りきると左手に「一本木地蔵」があるとされていますが、よくわからなかった。国道を渡り、この先の路地を行くと、「影森小学校に」にぶつかる。旧道はこのまま校庭を突っ切って行ったようです。 学校に沿って左に曲がり、県道を右に曲がると●秩父鉄道手前の交差点に来ます。ここが本日の終了地点で26番へは真っ直ぐ進めば良いです。 ここを右に曲がると●影森駅になります。  15:30  西武線直通電車で帰りました。

     3 明智寺~17定林寺  5 久昌寺~30法雲寺