秩父三十四ヵ所参詣道7
     (小鹿野バス停~34番)
歩行地図はこちら 地図
 小鹿野バス停-小判沢-大日峠-32番法性寺-般若-松井田-33番菊水寺-吉田橋-馬頭尊-頼母沢-札立峠-34番水潜寺 19.27km

1 小川町駅~1番四萬部寺  2 四萬部寺~9明智寺 3 明智寺~17定林寺 4 定林寺~25久昌寺 5 久昌寺~30法雲寺 6 法雲寺~31観音院 7 観音院~34水潜寺

2018年7月1日 ※ 写真をクリックすると拡大します
■小鹿野バス停~役場東
 西武秩父駅より西武バスで9時過ぎに●小鹿野役場前に到着。無人だけど観光案内所があった。旧道はこの右手より奥に入り込み、役場の裏側を回ることになります。 回り込むと●小鹿神社旧本殿が建っている。小鹿神社は、明治43年の洪水により現在の小鹿野高校北側に本殿だけ残して移転していて、ここは旧地にあたる。 覆屋に覆われてよく見えないが、唐破風と千鳥破風の向拝が付き、見事な彫刻が施されている。
 役所の裏をぐるっと回って再び県道へ出て、出た所に●安永5年(1776)の馬頭観音があります。 郵便局の先を右折して、民家の間の小道を進むと●庚申塚があり、そこを左折し先に進みます。  9:15

■役場東~小判沢
 ●ケヤキの大木が左手に聳え、緩やかに右に曲がり下って行くと、左手、石垣上のお堂の中に●安永4年(1775)建立の道標を兼ねた地蔵菩薩座像があり、 台座の左側面に「右三十二番みち」とある。 その先右に下って赤平川に架かる●金園橋を渡ります。渡って● 小判沢に沿った林道を上って行きます。   9:21

■小判沢~大日峠登山口
 5分程進むと右手に●こんせい(金精)宮というのがあります。よくある男根をまつった神で、御神体は男根に似せた自然石。五穀豊穣や子孫繁栄などを願ったもの。
 その先で●大日峠越えの巡礼道へ入ります。 峠越えというので山に登るのかと思ったら沢に下る変な形。 「熊出没注意」と云われていたので熊よけ鈴を用意して入って行った。「熊注意」の看板は見当たらなかったので大丈夫なのかと思った。●山道に入ると右手に●弁財天を中心に多くの石碑があったりします。ただ誰も通っていない様で、大体、秩父巡礼は車が多いようで、巡礼路としての山道は人とあまり出会わない。クマの話もあったりで気分の良いものではないですね。   9:32

■大日峠登山口~頂上
 ●山中は上がったり下ったりで、がれきもないし、そう大変な山道ではないように思います。 途中で●沢を渡ったりします。 しばらく進むと●大日峠に着きました。入口から20分程。 頂上には大日峠の名前の由来からか、●石造大日如来座像があります。    9:50

 ■大日峠頂上~柿ノ久保
 頂上には●大正9年の道標があり、正面に「右手 小鹿野道、次ノ大字ハ小鹿野町大字下小鹿野ニシテ懸道マデ約二十町」、「左手 札所三十二番柿ノ久保道」などと刻まれる。
 峠から当然下りとなります。下りも●草道で楽々と下がって行きます。左手に●六十六部塔。 舗装路に出て左に曲がる。頂上から10分程度。出口に●石造地蔵像と笠付き石塔が並び、石塔右側面に「順禮道」、左側面に「左山道」とあります。左に曲がって右手に●諏訪神社。 柿の久保の鎮守でしょう。   10:05

 ■第三十二番法性寺~聖天宮
 すぐ先右手に堂々たる●山門が。第三十二番法性寺の山門になります。ここの山門は札所では唯一の鐘楼を兼ねる鐘楼門。 山門をくぐると、ちょっときつそうな●79段直登の石段を上がると本堂。大日峠を登って来た者としては少々きつい。 更に石段を上がった奥に●観音堂がある。 宝永4年(1707年)の建立で、懸崖造りとなっており、この様式はここと26番岩井堂のみ。 更に岩船山を登った頂上には奥の院があるといい、そこからの眺めは素晴らしいと云われるのだが、とても登る元気が出なかった。
  寺を出て、東に進むと左手に神社が見える。●聖天宮と称される「秩父大神社という。 創建時期不明だが、 法性寺の近くに歓喜天を祀った聖天社が起源と伝える。 神仏分離後は「秩父大神社」と改称された。 10:25

 ■聖天宮~般若
 その先三叉路になっている所の左手に消防団の詰所があり、その脇に●小さな馬頭観音が鎮座している。 小さいながら端正な形をしている。 旧道はこの三叉路を右折して、左へ折れ般若川の方へ下りて行き、対岸へと渡るというのだが、渡れそうにないので三叉路を直進して進み落合橋を渡ります。
 ●長若方面へ進む市道(町道?)を進むと左手に●お堂があり、回りに笠付石仏など数体置いてある。堂内に●金銅仏が一体安置してある。案内として「秩父路物語」からの一文が貼ってありました。 道はこの先で●長若交差点へ向かう道と下小鹿野方面へ向かう道との二手に分かれます。正面の案内板の後ろに如意輪観音像が祀られています。 ここを左に曲がります。   10:40

■般若~松井田
 曲がって10分程で県道にぶつかり、左手に●日本武神社がある。「やまとたけるじんじゃ」と読むようだが、普通は「日本武尊」、又は倭建命と表記されると思うので、この表記は古式色を現す為だろうか。 ヤマトタケルが東国平定後、当地を通過した際、里人が産土神として保食神並びに日本武尊を奉祀したのが起源と いう。由緒は古いが、社殿そのものは新しく平成10年完成のもの。
 神社の前の●バス停の所から右へ入ります。入口左手に小さな道標 (大正8年建立) 「右手 小鹿野下吉田方面道」 「左手 般若西部及長留道」とある。 その先道は●大きく右へ曲がるが、旧道はそのまま直進して赤平川へ下りて行くという。 しかし直進する道はあるのだが、民家の敷地へ入って行くようだし、手前から川を覘くと崖のようになっており、とても進めるものではないと思われた。 為、 道なりに大きく右へ曲がって進んだ。これからしばらくは迂回路で面白くはない。途中「宮本湯」という温泉場があり、お客さんは結構入っているみたいだ。●県道に出た所が松井田のバス停。   11:20

■松井田~大徳院
 ●赤平橋を渡った先の十字路が、先ほどの直進して赤平川を渡ってきた旧道との合流地点となる。 これを右折ししばらく進むとすぐに県道に合流する。これを道なりに行くと、左手に●二十三夜堂があります。 お堂の中には勢至菩薩ならぬ、文政12年(1829)の●勢至塔が安置されている。  この先10分で県道は●左へ曲がって行き、旧道はこのまま直進し、●大徳院に出ます。
   11:42

 ■大徳院~第三十三番菊水寺
  大徳院の境内を直進すると赤平川へ下る坂がある。これを●馬坂といい、ここを下って仮橋を使って川を渡っていたが本来の参詣道だったが、現存しないので、迂回路である●奈倉橋を渡ります。道は秩父市伊古田方面に向かう道と下吉田へ向かう道と二手に分かれ、33番菊水寺は長享の番付では17番であり、右の伊古田方面を300m行った所(小坂下)に存在して、永禄12年(1569)の信玄攻めにより焼失してしまった。本尊は現在の菊水寺(長福庵)に逃れて難を逃れたという。
 二股から500mで●第三十三番菊水寺の到着します。 参道の入口の標石には「大桜山長福寺」とあり、その側面には「延命山菊水寺」と彫られている。元々旧17番菊水寺を管理していた別当寺が長福寺であって、こちらが本家のようなものでしょう。
  34番へ向かうには門前を北上し、●桜井橋の手前を左へ折れる道が旧道なので曲がります 。   12:25

 ■菊水寺~永法寺  
   旧道を真っ直ぐ行って、民家の間を抜けると●赤平川に達します。かつてここには吊り橋が架かっており、その跡が残ると云われるが、判然としません。旧道は100m上流に上がった地点で渡河していたという。川を渡れないので●桜井橋を渡ります。
  ●取方の交差点の正面は●永法寺の参道にぶつかる。あたりは工場団地と化している感じで工場が多い。旧道はこの辺りから工場を抜けて吉田川へ下りて行くというが、またしても通れないので吉田橋まで迂回しなければならない。    12:41

 ■永法寺~吉田橋
  吉田橋への途中、右手●吉田川が蹄鉄状に湾曲しているあたりのこんもりとした灌木の向こう側に旧道が通っていたのではないかと思います。 吉田橋の西側にレトロな洋館が建っているので、何だろうと近づいてみたら●旧武毛銀行本店という建物でした。秩父から上毛地方の顧客を対象とした銀行の本店社屋として大正7年に建てられた。
 旧道は橋を渡り、すぐ●右側に入り込んで行くようで、案内板が立っている。案内板がないとちょっとわからないところ。 橋を渡ってすぐに左折すると、●畑のあぜ道の様な所を歩くことになった。少々藪こぎする必要がありました。  13:10

 ■吉田下橋~馬頭尊前
 ここから先は●広い舗装路で、右側はパターゴルフ場のような場所。案内板がなくて道筋がやや不安になる所で、道なりに進むしかないが、まもなく案内板が現れて、畑の中を左折して進みます。吉田橋から来ている町道が通る土手にぶつかるので、土手を上がると●清泉寺の所に出ました。
 その先●龍勢会館前を通過します。秩父名物吉田の龍勢祭りは毎年10月の椋神社の例大祭の催しとして行われる。 その先は調査書で書かれている内容では、・・・・久長バイパスとか出てきて、久長橋の先で右に下り、奈良川橋をくぐる。くぐった先を左に上がって県道を越え、さらに進むと平石馬頭尊の前に出るとある。・・・現在の状況と違うので道筋が良くわからず、そのまま道なりに進み、奈良川橋が架かる県道を越え、左手に●平石馬頭尊が見える所まで来ました。 ここから先は山道を上がり、札立峠を経て最後の34番水潜寺へ向かう訳だが、 残念なことに急に用事ができてしまって、ここから帰ることになりました。 現在2時前で水潜寺まで2時間弱の行程。札所前バス停の最終時間が15時59分なので本来なら十分間に合う予定でした。・・・ ということで「馬頭尊バス停」14時31分のバスで帰りました。   13:50

 2118年7月8日
■馬頭尊前~頼母沢分岐  
 前回中途で帰ったので、1週間後、西武秩父駅から吉田行きバスで「馬頭尊前バス停」に10:40到着。 左手に●平石馬頭尊が鎮座している。このお堂は弘化4年(1847)に建立されたもので、 お堂の軒下に2基の道標、があるといわれるが、探してみたけどよくわからなかった。  ここから最後の難所札立峠に向かいますが、この1週間で梅雨が戻り、雨が降ったみたいで道が濡れている。山道もグチャグチャかと少々不安な感じ。
 まずはしばらく●沢沿いの車道を上がって行く。車の通行もなく、人にも遭うことなく進むと、前方に赤い幟が見え、左手に●石碑が3つ並んでいる。真ん中は石仏、両側の石碑に何やら文字が彫られているが、摩滅して読めない。 石碑から少し先に●案内板があって、右へ折れるようになっている。 10:58

 ■頼母沢分岐~
  右に折れると●土橋が架かっていて、山道となっているので上って行く。ゆるい上りなので楽ちん。しばらく上がると右手に●石塔と巡礼道の案内プレートがあったりし、●歩きやすい山道をサクサクと行くと舗装路の林道へ出た。 林道を下りたり上がったりしていくと、●養蚕をやっていたような特徴ある屋根を備えた家に出ました。     11:12

    ~札立峠頂上
 その先上がった所が●札立峠の入口で、札所34番 水潜寺 ここより徒歩約一時間半」という案内板と「熊出没注意」の看板があります。 登山者が3人。発風山に登るのかも知れない。 熊よけの鈴を準備して●山道に突入と相成りました。 ただ雨の為かジトッとしていて、滑りやすく、登山靴ではなく普通のウオーキングシューズなので、どうかな?と思いました。●上りの山道は道もしっかり付いているが、結構急坂もあり、暑くて、湿気がひどく大汗をかいてしまいます。入口から22分で●札立峠に到着。上り坂になると急ぎ足になる癖があって 早く着いたけど、普通は40分位の様です。 名前の由来は・・・昔 大旱魃の折、旅の僧の「雨を祈らば観音を信ぜよ」との教えにより村人が「樹(澍)甘露法雨」と書いたの札を立てて拝んだところ、大法師が現れ、岩を杖で突くと水が湧き出てきたという。・・・・・
  ここから下りとなるわけだが、下りが大変で、急坂の上にガレ場で、ゴツゴツと岩がせり出し、おまけに雨の為に滑りやすく、滑落しないように注意しながらで、上りの3倍くらい時間がかかる。 滑って膝を付き、ズボンに穴を開けるしで、ゆるゆると下りた。 下りるのに気を遣ってしまい、おかげで写真を撮ってないことに寺に着いてから気がついた。   11:35

 ★第三十四番水潜寺
 下りは時間がかかり、約50分で●●●三十四番水潜寺に到着。 結願寺でお寺巡りはここでおしまい。歴史道を歩いてきたつもりで、仏教徒でもないのであまり感慨は湧きませんでした。 しかし大汗で服が上下びっしょり。 小雨が降ってきた。 すぐ北側に県道が通っているせいか、車で来る巡礼者ばかりで、汗だらけなのは自分だけ・・て感じ。
 本尊の千手観世音は一木造りで室町時代の作と伝えられ、脇侍に西国をかたどる西方浄土の阿弥陀如来と、坂東をかたどる東方瑠璃光世界の薬師如来がまつられている。・・・ということだが、そこまで気がつかなかった。
 寺の奥にある●岩窟の清水で巡礼を終えた人々が胎内くぐりをして、身を清めてから俗世にかえったといわれる。寺名の「水潜寺」はこれに由来する。 現在は崩落の危険ありということで立入り禁止   12:40 終了 
 帰路は「札所前」のバス停が14:09なので、ゆっくり休憩したり、日野沢神社を見物したりで、皆野町営バスで帰りました。

     26 法雲寺~31観音院